昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

スペイン旅行記10

2009-07-31 06:36:35 | スペイン旅行
 10.地中海の旭日

 スペインの朝は遅い。
 7時でもまだ真っ暗。8時に出発。
 今日はグラナダまで511キロをバスで行く。
 東京から京都までの距離だ。
 ・・・さあ、覚悟を決めて出発だ。・・・

 

 左手、地中海から強烈な朝日が昇ってきた。
 
 ・・・16世紀後半、コロンブスの新大陸発見をきっかけに、スペインは大航海時代を迎え、南米を蹂躙、さらにポルトガルを併合、その植民地も得て<太陽の沈まぬ帝国>となった。・・・

 右手に所々現れる要塞は第二次英仏百年戦争時代のものだという。

 ・・・1588年、アルマダ海戦で無敵艦隊がイングランド海軍に敗北すると、スペインは徐々に獲得した利権を手放すことになる。
 17世紀終盤から19世紀初頭にかけて、ヨーロッパは国境紛争と王位継承にからむ戦争で乱れる。 
 そしてスペインもその争いに巻き込まれ衰退していった。
 要塞はその頃のものだろうか?・・・

 写真を撮ろうとしたら、電池表示線が一本欠けている。
「バカね、予備に私のも持ってくればよかった・・・」ウチのに言われる。
 ・・・しばらくは大丈夫だ。そのうちインスタントカメラでも買おう・・・

 

 途中のサービスエリアでトイレから出てくると、揃いのユニフォームを着た若い男の集団がぞろぞろとバスから降りてきた。
 なかなかのイケメンぞろいだ。

「どこから来たの?」と聞くとブルガリアのサッカーチームだと言う。
 突然、ウチのバスからキャーッと嬌声が上がる。
 グループで一番若いギャル三人組だ。
 窓から身を乗り出して手を振っている。

 イケメンならどこの国でもいいんだ・・・。
 幼年期、国粋主義の昭和時代に育ったわが身の偏狭さを痛感させられた。

 ─続く─

有名人()男の魅力(9)

2009-07-30 06:08:48 | 男の魅力
 <男の魅力9>
 
 

 「福澤諭吉のことを服部禮次郎さんが講演している内容が載っているよ」
 恒例の雑談会のあと、先輩がかばんの中から交詢雑誌を取り出した。
 正直ぼくは気が乗らなかったが、他の者が手を出さなかったので塾の後輩であるぼくが受け取った。

 だいたいぼくは変に遠慮深いところがあって、わが母校を誇る行為にためらいがある。
 臆面もなく関係ない人たちの前でそういう行為のできる人がうらやましくもある。
 何か自慢しているように受け取られるのを気にしているのだが、内輪同士でもそういう話題にはあまり気乗りしない。
 <福澤諭吉>のことを勉強していないからかもしれないが・・・。
 塾の風上にも置けないヤツなのである。

 そんなぼくが、「福澤諭吉は話しかける ─三寸の舌、一本の筆 ─」という服部さんの講演内容をを読んで実に素直な気持ちになった。
 福澤諭吉という男は、実に世の中の何にでも興味津々、決して格式ばってなくて、ざっくばらん。
 長屋のご隠居のようなオジサンだとうれしくなってしまった。

 彼は本を著すだけでなくおしゃべりも好きだったようだ。
 自らが人に語りかけるだけでなく、ひとにもおしゃべりを推奨して、自宅でティーパーティーのようなものを開いたり、交詢社をつくってみたり仕掛けをする人でもあった。

 ・・・さて身にかなう仕事は三寸の舌、一本の筆より外に何もないから、身体の健康を頼みに専らに塾務を務め、また筆をもてあそび、種々様々のことを書き散らし・・・などと<福翁自伝>に書いている。
 彼の<三寸の舌>は独り言ではなく、対話である。
 話し上手であると同時に聴き上手でもあった。

 「福澤先生は偉いものだ。人を書物にしていた」
 主治医の松山棟庵は福澤の死後述懐している。
 つまり彼は書物からだけではなく、例えば一人の来客から得た知識を他の来客に受け売りしていきながら、対話で得た知識をどんどん蓄えていったという。

 ・・・日進、日進といいながら蒸気機関、電信などの新発明があるが、<旧発明の機械>というのがある。この機械があれば、それはそれは自由自在の働きができて、馬鹿者を利口者にしたり、利口者を馬鹿者にしたり、世の中を治めることも、世の中を乱すことも、人の喜怒哀楽を自由自在に扱い・・・
 それは<筆と紙>ですと<学問のススメ>の中で言っている。

 本を書くということは、まず自身が知識を蓄えるために本を読む。
 どこかへ出かけてものごとを見る。
 ひとびとに接する。
 そして理屈づけ、体系的にまとめあげる。
 さらに人にそれを語って反響を聞いた上で、練り上げて本にして社会に出す。

 しかも自分の思ったことを勝手に偉そうに書くのではない。
 あくまでも知見の広き人が知見狭き人に情報を与えるのが著述であるから、相手の程度、レベル知識をよく理解して、それに向くように書いてこそはじめて著述といえる。

 つまり自分のためにするものに非ず、全くひとのためにしているのだ。
 常に人のためであるとすれば、他人のほうが主であって、書く人のほうが従である。

 特記すべきは彼の著書のタイトルだ。
 <学問のススメ>などは当時としてはユニークでフレッシュな感じがする。
 <日本人は馬鹿なり>というタイトルの漫言がある、
 読んでみると、日本にはこうすればいい、ああすればいいといろいろあるのだが、なかなか手をつける人がいない。
 本当にもったいないことだ。今、やっておけばいいのに、というようなことが面白おかしく書いてある。
 それを<日本人へのお勧め>などとはせず、みんなの目を引くネーミングが上手だった。

 彼は手紙をたくさん出している。
 門下生に叱責や励ましの手紙、親戚に宛てたものもあるし、友人への礼状、出入りの大工さんや植木屋さんにいたるまで実にこまごまと、相手が分かるような本当に上手な、相手の心を捉えた手紙を出している。
 情の深い先生の一面を知る上で貴重な資料だ。

 福澤諭吉は、けっして独りよがりでなく、いろいろな後世の人たちにも伝わる分かりやすい言葉をたくさん残された。

 卒業して何十年も経ってようやく先生の魅力を知るなど、まさに不良塾生のそしりを免れるものではないと、深く反省。



 

スペイン旅行記9

2009-07-29 05:06:31 | スペイン旅行
 9.愉快な仲間

 海岸べりのレストランで遅い昼食をした。
 外国マンガに出てくるような眉毛の濃い、目玉をぎょろぎょろさせた小柄なおじさんが、太ったマスターに怒鳴られながら配膳している。
 白ワインを頼んだに赤ワインを持ってきたり、一人分足りなかったり、間違いのし放題。

 テーブルに並んだのはスペイン料理定番のタパス。
 肉団子に、いかリング、小野菜のオリーブ和え、サーモンのカナッペにキッシュ。ワインは白をセレクト。

 旅行社お仕着せのツアーだと現地の人たちとの交流は難しいが、同行の仲間たちとの交流も楽しい。
 同席したのは熊本から来たひょろり夫婦。
 二人とも痩せていて背が高い。
「奥さんにひっぱられて来ちゃいました・・・」
 優しそうな旦那は生物の教師で釣りが趣味だと言う。
「下着を濡らしちゃって、・・・」ぼくが恥ずかしながら昨夜の失敗談で誘導すると、「ぼくだったらショックでしたね。なにしろパンツは2枚で靴下は1枚で通すつもりですから」と旦那は身軽な旅を強調。

 中学校の先生だったという奥さんは、そんなこと言わなくってもという顔で苦笑いして下を向いた。
 ウチのは、男ってバカなんだからという顔でぼくを睨んだ。

 その後バレンシアのホテルまで368キロをバスで走った。
 途中サービスエリアに2回寄った。
 
 

 エキスポ バレンシアホテルで夕食。
 例のライオン女ととかげ男のカップルと同席になる。
 ひそかに期待していたぼくは、席へ着くみんなの流れにうまく乗りながら彼らと一緒になった。
「昨日のホテルは最低でしたね・・・。暖房があまり効かなくて」
 男の方が話しかけてきた。
「うちのほうは大丈夫でしたよ。ただシャワーヘッドが固定式で・・・」
 また思わず失敗談をしそうになったが、ウチのからの目配せがあったのでやめた。

 今日のメインディッシュはチキンパエリアだ。
 ウエイーターがどうだという笑顔でテーブルの真ん中に置いた。
 芯のあるごはんにチキン、手長エビが乗っかっている。
 エビは思ったより小ぶりだし、具材が少ない。

 ライオン女は期待通り魅力的だった。
 すくっとモデル立ちをしてカメラを見つめている姿は猛獣のようだったが、近くで見ると目が優しい。
 頬をぽっと染めて、話しぶりも穏やかで優しい声を出す。
 旦那の方は、奥さんとの対比でトカゲみたいと思ったが、村上春樹に似た顔の紳士だった。
 一眼レフやビデオカメラを常時持ち歩いているので「ご専門で?」と聞いたら「いや、趣味で・・・」と言う。
 ・・・被写体はもっぱら奥様で?・・・と聞こうかと思ったが嫌味になりそうで止めた。

 ゴルフの話からホテルの評価の話しになり、飲んだ勢いでぼくは例の封印していた失敗談を暴露。
 ライオン女がケタケタと声を上げて笑った。
 ぼくはバカやっちゃったと思ったが満足だった。

 

 ウチのがワインのラベル集めをしている話をしたら、相手はどうやってラベルを剥がすのかに興味を示した。
 ラベル剥がし用の特殊ラベルがあって、新宿の東急ハンズで買ってきた話をする。

 向こうは二人ともお酒好きのようだ。大瓶の白ワインを飲み干して、我々の赤ワインも半分近く彼らが飲んだ。
「もう我々しか残っていないですよ・・・」と旦那。
「足にきちゃったけど楽しい会話でした・・」と奥さん。
 ラベル剥がし用に彼らからもらったワインのボトルと2本ぶらさげて部屋にもどった。

 「幸せ・・・」とウチのやつ。
 シャワーもしないで二人ともバタンキュー。
 
 尿意で目覚めるとドアが半開きになっている。
 あわててパスポートを点検する。2時だ。
 又寝して5時半に起床。
 ウチのに続いてシャワーを浴びる。
 ここのはフリーヘッドのシャワーで快適。
「お肌ツルツル、3時間熟睡で十分・・・」とウチのもご機嫌。

 ─続く─




スペイン旅行記8

2009-07-28 05:03:36 | スペイン旅行
 8.ピカソ美術館
 
 

 「へえ・・・スゴイ!」
 ピカソ美術館に入るなりぼくは呻ってしまった。
 ピカソは最初からおかしな位置に目があったり、鼻がひん曲がっているような絵を描いていたわけではないのだ。
 子どもの頃は、いわゆる我々が言うところの描写力の確かな写実的で<上手な絵>を描いていた。

 <上手い絵>を描くために彼はたくさんのデッサンを残している。

 
 これは彼が11歳のときの作品である。

 
 14歳のときの作品

 そういうベースがあって、だんだん内なる不安や不満、欲望、願望を<青の時代>、<バラの時代>を経て、我々から見ると奇異とも言える<キュビスム>へと発展させていった。

 ピカソの家族は彼が14歳の時バルセロナに移住、彼は美術学校に入学した。
 その後、作品が地方展で金賞を受賞、マドリードのサン・フェルナンド王立アカデミーに入学。

 しかし、学校で学ぶことの無意味さを悟り中退する。
 応接間やレストランの飾り絵では満足できなくなったのだ。
 ・・・この辺が凡人との違いだ・・・
 ぼくは解説者の説明を聞きながら思った。

 バルセロナで若い芸術家と交流、思うがままに、自由に、熱心に絵を描く。
 友人の自殺にショックを受けた<青の時代>には暗青色を基調とした売春婦や乞食などを描いている。
 一転恋人ができた<バラ色の時代>には明るい色調で、サーカスの芸人などの絵をたくさん描いた。
 自分の心に素直な人なのだ。

 最終的にいかに奇異な表現で作品を描こうと、大家と評される芸術家たちは根本には技術力の確かさを獲得することから始まるのだということを、この美術館にあるたくさんあるピカソの若かりし頃の作品から認識させられた。
 ・・・そうなんだ、やっぱり・・・
 ぼくは妙に納得させられるものがあった。
 その点はガウディも同じだと。

 それにしてもかの絵画界の巨匠、ディエゴ・ベラスケスのラスメニーナス<女官たち>の模写がたくさんあったが、ピカソの皮肉なユーモアに富んだ性格を見るようで興味深かった。

 

 

 ピカソのみならず、ミロやダリのような世界的な芸術家がこのバルセロナに住んで大きな影響を受けている。
 地中海の陽光を燦々と浴び、気楽な、陽気な人たちを育んだ環境が、解放的でユニークな芸術を生む素地となったのだろう。

 ─続く─

三鷹通信(3)麻雀会

2009-07-27 05:48:16 | 三鷹通信
 
 
 昨日、大学の同窓会地元組織の月例麻雀会が行われた。
 指先を使い、頭脳を活用するということで麻雀はシニアに人気がある。
 今回も女性8人を含み、年齢は50台から最高85歳まで、12組48名を集め、第138回大会が開かれた。

 11年前、12名から始まった大会は最近では常時44名から48名が集まり、毎月1回開催されている。
 13時から18時まで、50分限定で4回戦われ入賞者を決定、場所を変えてお酒も飲み放題で食事しながら表彰、歓談をする。
 中にはさらにその後、二次会にチャレンジする者もいる。
 みんな元気いっぱいである。
 
 表彰も豪華だ。
 1位から10位までさらにとび賞、ブービー、ブービーメーカー、水平賞、当日賞、役満賞、それに各回の最高点、最低点獲得者に区間賞も出る。
 また100回参加者には記念賞もある。
 新年会には同様の年間賞、そして皆勤賞や精勤賞も出る。

 同窓会組織にはゴルフ、テニス、囲碁、グルメ、そば打ち、ハイキング、釣り、パソコン、名誉教授を囲むサロンなどがあるが、麻雀会は最大の参加者を誇っている。

 今年からぼくはその幹事長を引き継ぐことになり、事務局担当と会計担当と3人で運営している。
 たまたま今回事務担当が体調不良のためぼくがその代役も務めることになった。
 今まで賞品手配、成績記録係のみだったが、今回当日参加者の取りまとめ、大判の成績表、名札(回収漏れで今回8枚も新たに作らねばならなかった)、卓番、組合せカードなどの作成もする。

 参加者は前回確認済みが42名、他に前回不参加で今回参加する予定者を電話で確認すると、46名になった。
 会員に当たってさらに1名の参加者を確保したがまだ1名足りない。
 顔の広いメンバーに依頼して何とか48名確保した。
 ところが大会前日ドタキャン発生。
 年寄りが多いから病気や慶弔関連でドタキャンは避けられない。
 場合によっては、規約で3人麻雀も許容している。
 2人、3人とドタキャンが出た場合は幹事の参加辞退で乗り切らなければならない。

 なんとかさらに顔利きのおかげで48名そろった。
 電話がかかるとドタキャンではと気が収まらない。
 当日も時間ギリギリになっても現れないのがいるとハラハラする。
 表作成の方も結構たいへんだ。
 当日、大会開始の号令をかけ、タイマーの押し忘れをしたりしてあたふたする。

 「おいっ!でかいぞ、やったぜ」
「やだー、こんなの当たるの?」
 悲喜こもごものうちにもゲームは無事終了。
 優勝は73歳、準優勝は80歳。
 久しぶりのコンビで、ウマの当選者はなかった。

 ぼくはといえば、 ゲームにも集中を欠いて、負けが混みチョンボまでしてしまった。
 事務局担当が体調不良になるのもムリないなと痛感した。


  

スペイン旅行記7

2009-07-26 05:28:28 | スペイン旅行
 7.ソバージュの女

 ガウディの最大の理解者であり、パトロンであったグエル伯爵の名をとったグエル公園を見学。
 
 

 破砕タイルを使った色鮮やかなベンチや欄干、階段などが印象的な陶器の公園だ。

 

 カラフルなイグアナみたいな作品をバックに、中年の男が、ソバージュの長い黒髪、首まわりに毛皮のついた真っ赤なコートに黒のセーターとパンツの目立つ女にカメラを向けている。
 
 

 専門のモデルというほどのスタイルではないので彼の奥さんだと思うが、他人に頼んで二人を撮ってもらったり、彼女に自分を撮らしたり、ガウディの作品や建造物、風景だけを撮ることはしないで、もっぱら彼女だけを撮っている。

 ・・・うん、このソバージュの女は優しいライオンって感じだ・・・
 ぼくは子どもの玩具のようなグエル公園よりそのカップルに興味を抱いてしまった。

 ─続く─


有名人(26)女の魅力(24)

2009-07-25 04:50:41 | 女の魅力
 <女の魅力24)

 生活ほっとモーニング「この人にときめっき!」は<由紀さおり>
 
 

 艶々とした顔色、とても還暦を過ぎているとは思えない。

 現在、お姉さんの安田祥子さんとコンビで童謡や歌曲などを歌っているが、きっかけはお母さんのひと言だった。
 彼女が15年スランプに陥っていた頃、復活を狙ってNHKホールを借りきり、オーケストラをバックに演奏会を企画した。
 その時、誰をゲストで呼ぼうかという話になった。
 彼女のマネージングをしていたお母さんは「お姉ちゃんと一緒に歌えば」とアドバイスした。

 お姉さんは、童謡歌手から東京芸術大学に入学したのは後にも先にも彼女一人というクラッシック界のエリート、お兄さんも東大からマサチューセッツ工科大学に進んだ超エリートだった。
 そんな姉や兄にコンプレックスを抱きながらも、母親の奨めで歌謡曲の世界に入った。
 最初売れなくて長い下積み生活を余儀なくされたが、「夜明けのスキャット」が大ヒットし、紅白にも出場、スター歌手となる。

 「その後、ヒット曲が出なくなった自分がこうして40年も歌手生活を送ってこられたのはお姉さんとのコンビのおかげです。これはまさしくお母さんからのプレゼントです」と彼女は述懐する。

「クラシックでは、時間がくればきちんと手順どおり演奏が開始できるのに、あちらの方はだらだらと、ああでもない、こうでもないと、なかなかまとまりがつかなくってイライラすることもありました」
 お姉さんも言うように、型どおり練習して手順よくことが運ぶクラッシックに対して、ポピュラーの方はやりながら変化を模索し、ディスカッションしながら仕上げていく。
 演奏前の段階からお互いが違和感を感じていたのだ。
 
 

 そんな二人でもきっと上手くいくとお母さんは分かっていた。
 今や彼女たちのコンビ演奏は多くの人の支持を得て評価されている。
 <トルコ行進曲のスキャット>は姉妹の技巧的ハーモニーが抜群である。

 由紀さおりは、1980年ごろ以降、マルチな才能を開花させる。
 松田優作の「家族ゲーム」や連続テレビ小説{チョッちゃん」の演技者として、また、ドリフの「8時だよ!全員集合」で、いかりや長介からお笑いイロハを学び、NHK「コメディー・お江戸でござる」では伊東四朗から演技の間やリズムなどの極意を習得、今では<コメディエンヌ>と言われるまでになった。

 伊東四朗に言わせれば「彼女はとても幅の広い方です。・・・からだの巾が広いといってるのではありません。彼女は歌の領域はもちろん、演技の幅もシリアスからコメディまでととても広い」

 今後の活動について聞かれた彼女は新曲「真綿のように」を挙げた。
 ・・・一途に生きた幼い日々は もう戻らないけど あのころに見た夢を見つめて 今もひたむきに 真綿のようにやさしい言葉 素直な心 縦糸横糸を 大切に織りつづけたい・・・
 彼女自身の作詞である。
 <由紀さおり>という名は結城つむぎから取った。
 そして縦糸横糸を織る、さおりだ。

 ・・・生きることは愛すること 歌うことが真実 生きる道程(みち) また今がはじまりのとき また今日からはじまる夢・・・

 彼女は色紙に、大好きな言葉として<今が好き>と書いた。

 艶々とした肌も、明日の歌のために備える<今>が好きということの表れだ。
 自信に満ちた彼女の笑顔はまさに<女の魅力>である。 
 
 
 

金沢便り(14)金沢の日食

2009-07-24 03:51:12 | 金沢便り
 金沢の山ちゃんからの金沢便り。

 <金沢、如来寺の日食>

 天気予報は「曇り空」、本当に曇っている。
 しかし、雲の動きは超音速ロケットのようだ。
 お月さんの影になったお日様が姿を変え地球の人たちに微笑んでいるようだった。
 平成21年7月22日、金沢如来寺境内にて。

 

 10時40分

 

 11時00分

 

 11時25分

 

 11時30分


 子どもの頃、金沢でガラスに煤を塗って見た記憶がある。
 46年前の皆既日食のときより前だから多分部分日食だったのだろう。

 今回、東京では曇りだったので、頭から期待していなかった。 
 皆既日食が見れるはずのトカラ列島の悪石島でも多数の観光客の期待を裏切ったようだ。

  

 わが大学の同窓会会長は事前に東京天文台で講義を受け、現地までクルーズで追いかけたようだが首尾はいかがだったろうか。

 次回は2012年5月21日、日本でも金環日食が期待できるそうです。

スペイン旅行記6

2009-07-23 05:22:18 | スペイン旅行
 <仮装の街・バルセロナ>

 6時モーニングコール。
 洗面したり、着替えしたりしていたら朝食時間の7時10分前。
 足がふくれたせいか靴になかなか入らない。
 ウチのに急かされながらエレベーターで降りていったら、蛙女Jさんと一緒になった。

 

 すでにほとんどが食堂前で待機しており、「Jさんは?」と仲間に問いかけていたオバサンが、彼女に気づいて「あらっ! スイマセン。いらっしゃっていたのね・・・」とあわてた素振りで近づいてきた。

「時間にはちゃんと来ますから。・・・そんなバカ早くではありませんけど」
 蛙女は臆するところなく、堂々と対応していた。
 せっかちなオッサンが食堂に入りかけると、「遅れるのが普通です」とたしなめる。
 その瞬間レストラン開始の電灯がカチカチと灯った。
 朝食はバイキング。
 ハムやベーコンなどの種類が多い。さすが生ハムの本場だ。
 しかし、野菜がほとんどない。

 バスで市内に出た。
「何?あれ!」
 みんなの目が窓外の一点に集中した。

 

 キューブが走っている。
 よく見ると女の子の頭が巨大なルービック・キューブから突き出ている。
 後ろから骸骨が歩いてくる。
 あっちにはロビンフッド姿の子どもがお父さんと歩いている。

 

「ほら、海賊がお父さんに衣装を直してもらってる・・・」
 みんなからざわめきが起った。
「カーニバルがあるので、子どもたちが仮装して学校に登校するのです」
 蛙女が冷静な声で説明した。

 そのうち風呂敷を担いだ黒人たちが何人も走ってくる。
 大きな男たちだ。
「彼らは仮装ではありません。・・・手入れがあるという情報がは入ったのでしょう・・・」
「・・・」
 みんな声もなく眺める。
「露天商が蜘蛛の子をちらすように慌てふためいている図というわけです」
 蛙女がしゃれた説明を加えた。

 ─続く─

有名人()男の魅力(8)

2009-07-22 05:05:55 | 男の魅力
 <男の魅力8>

 NHKスペシャル、<マネー資本主義、危機を繰り返さないためにどうすべきか>



 ぼくはバングラディッシュに投資したベンチャーキャピタリスト<原丈人>という男にひと目で惹きつけられた。
 50歳を越えているだろうか、柔和な表情の中にも目は鋭い。
 ベンチャーキャピタリストというと、村上ファンドの村上世彰のように「金を儲けてどこが悪いんですか?」というマネー資本主義の寵児を思い出すが、彼は違う。

「日本のことを尊敬される国にしたいんです」という深い思いが彼の根底にある。
 ただお金を儲ければいいとは思っていない。
 
 彼がバングラディッシュに投資したケースが取り上げられていた。
 バングラディッシュはアジアでも一番貧しい。
 乳児死亡率が非常に高い。
 6人に1人の子どもが6歳までに死んでしまう。
 そこには彼にとって絶対に何とかしなければいけない環境があった。

 医療と教育をなんとかしなければいけない。
 一番の問題は大人の半分が字を読めないことだ。
 学校があっても、病院があっても先生が、医師がいない。
 少ない先生や医師を育て、効率的に活用するにはどうしたらいいか。

 彼は日本の得意なワイアレスのブロードバンドの最先端技術を使って、ハイビジョン画面で双方向で接続することを考えた。
 投資するにあたって、40%は地元のNGOに拠出してもらう。
 彼らはボランティアだから株主配当を出す必要がない。

 このNGOは<マイクロクレジット>という無担保で貧しい人々に融資して自立支援するやり方で、担保も無いのに100%近い回収を可能にした実績を持っていた。
 そしてこの試みは成功した。

 この番組ではもうひとつのケースとして鹿児島銀行が地場産業に投資する例が取り上げられていた。
 リスクがあると躊躇しがちな畜産業に、建物土地ではなく、ブタや牛を担保に融資するというユニークな方法で顧客に感謝されている。
「銀行は黒子に徹するべきだ」とこの銀行の頭取は言っていた。

 ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、これからの資本主義経済には<公共の概念>が必要であると説いている。
 この二つのケースには単に金を儲ければいいということ以上に、まさにこの概念が取り入れられている。

 こういう新しい概念に基づいたアイデアで事業が成功すると、あちこちの権威あるところから評価されることになる。
 
 <原丈人>は、デフタ・パートナーズグループの会長であるが、実績を足がかりに今では、国連の後発発展国担当大使、アメリカ共和党のビジネス・アドバイザリー・カウンセル名誉共同議長、さらに日本の財務省の参与、政府税制調査会特別委員、
産業構造審議会委員、総務大臣ICT懇談会委員等の要職に名を連ねることになった。
 しかも彼の賢いところはこれらの立場を利用して、さらなる社会的に有意義な投資を成功させていることである。

 1952年生まれの57歳。
 慶応義塾大学法学部卒業後、考古学研究を経て、スタンフォード大学で経営学、工学を履修、29歳で光ファイバーのディスプレイメーカーをシリコンバレーに設立成功を収める。
 その後、デフタ・パートナーズを創業、多数のIC関連企業の立ち上げに関与している。

 社会に対して厳しくも、柔和な目を注ぐ<原丈人>は魅力的な男である。