昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

金沢便り(18)金沢の風景

2010-05-20 05:37:08 | 金沢便り
 ・・・金沢の山ちゃんから、卯辰山から見晴らす金沢の風景が送られてきた。金沢もおふくろが存命のころだから、10年ほど行っとらん。ましてや卯辰山なんて子どものころ以来やから60年以上前のことだ。なつかしい。・・・

 

 お城から見ると<向山(むかいやま)>という<卯辰山>。江戸時代はお城が覗かれると、町民は入山禁止だった。
 この山のいくつかの展望台から<白山><立山>を望むことができるが、動物園があったこの見晴台からは金沢の地形がよく分かる。

 手前の<卯辰山>から<浅野川>を挟んで緑の帯が<小立野台地>そして<犀川>は見えないが奥の緑地が<寺町台地>その奥には<野田山>が見える典型的な<河岸段丘>の形成である。

 昔だったら覗いてはならない<金澤城・五十軒長屋>も樹木の間から見ることができる。
 見晴台右手の方は日本海だが、ここからは見えない。蓮如上人ほか幾多の銅像も建立されている。

 ・・・<日本海>に面する<金沢港>の写真も送られてきた・・・
 ここには親戚があって、戦時中ぼくひとり預けられた頃を思い出す。・・・

 

<北前船(きたまえぶね)>は江戸時代から明治時代にかけて、西廻(にしまわり)航路に就航した<廻船(かいせん>のこと。
 ここ当地・金沢にも<銭屋五兵衛>など船主・豪商の栄華を極めた歴史的建造物や遺品が残っている。
 今では大型産業機械や石油備蓄基地として市民の台所を潤している。
 
 歴史小径の散策や家族連れで釣りを楽しむ口径が微笑ましく、見る人も安らぎを覚える。
 

「この季節、大物が釣れないかなあ~」・・・女の人がひとり釣りしている・・・
 


 聞いてみると<稚鮎>釣りでした。・・・あ、<海月>だ・・・

金沢便り(17)浅野川の鯉流し

2010-05-06 04:49:24 | 金沢便り
 昨日は五月晴れの<こどもの日>でした。
 こどもの成長を願って全国各地で<鯉のぼり>が五月の空に颯爽と泳ぐ様が伝えられました。
 金沢の山ちゃんから、空ではなく、<川で泳ぐ鯉>(普通じゃん?)のフォトが送られてきました。

 <金沢・浅野川の鯉流し>
 

 子どもたちの<鯉は水に泳ぐもの>という発想から地元少年連盟の主催で行われて10年目になる。
 毎年5月3日には地元の子どもたちと世話役により、寄付で集まった300匹の鯉のぼりが水に泳ぐ。
 川に泳ぐ鯉のぼりは全国的にも珍しく地元民や観光客が大勢観に来る。
 地元中学校のブラスバンド演奏や児童・父兄の簡易食堂も出店して大いに賑わう。
 

 ・・・橋げたの吹流しも上から盛り上げる・・・
 

  一昨年の水害で今年は川底の浚渫も行われた。
 開始当初は生活ゴミが鯉の口の周りにいっぱいだったが、<川をきれいに>のPR効果も行き届いて、最近では鯉もきれいな水を吸い込んでいる。
 
   ─金沢・浅野川・梅の橋にて─

 ・・・<おまけ1・金沢の浅野川といえば加賀友禅流しを思い起こす・・・
 

 ・・・<おまけ2・京都だったかな?> 新婚さんの庭にバケツとかやかんとか、生活用品を近所の人が持ち寄ってポールに括りつけ、新婚生活を祝って立てる<幟立て>なんていうのもある・・・
 

金沢便り(16)金沢の水と七尾悠久のロマン

2010-05-02 07:17:37 | 金沢便り
 金沢の山ちゃんからフォト便りが届きました。

 (1)金沢には山があり、川に雪解け水が流れ海に出る。川の上流には国指定の浄水場園地がある。地元の人は長年飲み慣れているが、新しく住む人や旅行者からは<金沢の水は美味しい!」と言う。
 ・・・そこでボトル詰めの<金沢の水>が登場。鳩も寄って来るほどの美味しさ?・・・
 

 ・・・金沢と言えば<金城霊澤>ですよね。湧き水であり、芋掘り藤五郎の砂金伝説があります。これが<金沢>の始まりとも言われています。兼六園に隣接する金沢神社のとなりにある。屋根で覆われていて、<金城霊澤>と書かれた額、天井には龍が描かれている。
 水面は鏡のようで湧き出しているようには見えないが、いつ見ても澄んでいる。・・・
 

 天井画の龍が守ってくれているというが金網が張ってある。何故だろうか?
 見守りを怠って、水を飲みにこないようにって本当だろうか?
 

 (2)能登半島の東側、富山湾沿いの<百海(どうみ)海岸>
 ここには山崩れなどにより流れ出、波に現れた珪化木の化石の小石がよく見られる。
  珪化木は、現地性の化石(本来の生育地でそのまま化石化したもの)であり、役2000万年まえの中新世の頃、日本海側における大規模な火山活動に伴う火山灰の降下・堆積によって枯死し、凝灰岩層中で長年月の間に徐々に珪化木になった。

 穿孔虫が巣にした柔らかい小石を拾って触ると悠久の地球の歴史のロマンが感じられる。
 

 ・・・その珪化木も含まれる石垣を持つ七尾城跡を見る・・・

 169年に亘り能登地方の守護職・能登畠山氏は海上交易をめぐり、越後上杉謙信と争そって敗れた。
 上杉謙信書状、<歴代古案>第一による<七尾城本丸初登城の感想>
「聞きしに及びより、(加)賀・越(中)・能(登)の金目(かなめ)の地形と言い、要害山海相応し、海頬嶋々の躰までも、絵像に写し難き景勝までに候」
 


 後に藩祖前田利家が織田信長の命により入城。
 山城としては全国有数の規模を誇り、<日本の城百選>に石川県では金沢城と共に選定されている。

 城山の本丸から麓まで幾重もの石垣が地元産の自然石で<野面積み>に重ねられている。
 なかには稀に珪化木や海から運んだと思われる石などもあって、石の種類や年代を見定める楽しみもある。