昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(438)忙しい一日の得難い体験

2018-06-30 09:30:47 | エッセイ
 昨日は忙しい一日だった。
 疲れて、珍しく起きたのが今。
 いつもの夜中2時3時には目覚めなかったので、これからブログのUPに取り掛かる。


 「今日は忙しいぞ」
 10時から*市民大学「日本の文化」斎藤陽一先生の講義。
 *<新渡戸稲造の武士道>が期限切れなので図書館に返さなければならない。
 *午後2時20分から三鷹市立第一小学校のスマイルクラブ囲碁教室。
 *その間時間があるので刈谷珈琲店で昼食をとる計画を立てる。

 9時半にバスに乗り、500円で<一日バス乗り放題>権に登録。

 9時45分には創造プラザの会場に到着。
 前から4番目に着席、講義をキャッチする体制は整った。

 ・・・「ご飯ですよ」家内から声がかかった。ここでいったん中断します・・・

  今日は猛暑の中、「日本の文化」の講演は満席だ。
 斉藤陽一先生は今日は沖縄のアロハ<かりゆし>で涼しそう。
 目一杯1時間の前半で10分の休憩。
「ブログにUPしたいので・・・」 先生にご挨拶する。
「ああ、三田会ですか。先日も所沢三田会で講演しました」

 両脇の女性参加者から訊かれる。
「お仕事は何を?」
「ブログなど、書くことが趣味で・・・」
 後半、先生は目一杯講義されて質問時間がなくなってしまった。


 図書館で本を返して、<尾形光琳><酒井抱一>などの資料を求めて、2階の資料室へ。
「バッグはロッカーに収納してからにして下さい」係の女性からとがめられる。
 百円硬貨が必要だが手持ちがないのであきらめる。
 カメラの電池が切れているのに気づき、刈谷珈琲店での昼食は諦めて家に戻る。
 家内が外出から帰っていてトーストを焼いてくれる。
 
 1時45分のバスで第一小学校に向かう。
 新川に着いたが、まだ20分以上時間がある。
 少し散歩をと決め、東八出て、五差路の刈谷珈琲店近くに来たところで、時間がなくなった。
 近道をと、裏道を歩き出したがどうやら道に迷ったようだ。
 方向が分からない。

 スタスタと歩いている若者を呼び止めて訊いた。
「第一小学校はどこになりますか?」
「調べてみましょう・・・」若者は屈託なくとどまり調べてくれる。
「ああ、ボクが向かう方向と同じですね。ご案内しましょう・・・」
 爽やかな好青年は丁寧な言葉づかいで親切に対応してくれる。
「散歩ですか? ずい分日焼けしていますね・・・」問いかけると、
「ええ、日焼けするために・・・」とポロシャツをめくって焼けた腹筋を見せてくれた。
 スゴイ! ボクは改めて彼を見つめた。
 誰かに似ている・・・。
 そうだ、ケミストリーの堂珍に似ている。
 清々しい、むしろカワイイ顔だ。
「だいじょうぶですか・・・」
 チンタラ歩くボクに気を遣ってくれる好青年だ。

 猛暑の中、道に迷ったりして疲れたが、ボクは、彼に出会えたことで今日は満足だと、思った。
 ボクのようなふらふらする人生ではなく、日本にはスキっとした一直線の人生を歩んでいる好青年がいる・・・と。


 
        




エッセイ(437)傘寿を祝うわが中学校の記念同窓会

2018-06-29 05:59:14 | エッセイ
 北陸、金沢の中学校を卒業、上京して功成り遂げたわが仲間が、箱根で記念同窓会を開催した。
 北陸の中学校を卒業して、大企業の幹部にまで上り詰めたMくんやEくんが東京近辺に住む仲間に声をかけて同窓会を開いてから今年で第34回目。
 紅顔の美少年、美少女も今や80歳を超えた。
 東京近辺から13名、関西から1名、金沢からも9名が箱根に集まった。
 
 金沢の名門中学校、金沢市立高岡町中学校は、金沢市の中心、加賀百万石の当主前田利家公をお祀りする<尾山神社>の近くにあった。
 今や、母校は跡地<金沢市文化ホール>に碑があるのみで残念ながら名前も存在しない。

 それでも上京した幹事の発起で、今年も箱根へ23名も集まった。

 当然話題は<健康問題>に集中する。名幹事Mくんが持参した資料は19点に上る。
 その中から代表的な3点を紹介する。
 「マッカーサー元帥の座右の銘」サミュエル・ウルマンの詞<青春>
 そして「ボケます小唄」
 「ボケない小唄」

 残念ながらボクはこの会に欠席した。
 わが自費出版した作品は彼らの中から何人かが大枚を寄付してくれて出版できた。
 大ヒットすると誘ったMくんやEくんの人徳を信じて・・・。
 しかし、・・・。
 みんなの期待を裏切り、義理を欠いたボクが出席できるわけがない・・・。
 トホホ・・・。

 「負けたけど、フェアプレイの差で予選を突破できた!」
 いかにも<サムライ・ブルー>らしく、日本的だ。

 


 

三鷹通信(272)緑したたる季節

2018-06-28 05:07:43 | 三鷹通信
 梅雨も上がり? 緑したたる季節となりました。きっちりと成形された緑のフェンスとブロック。
 これなら耐震には十分だ。
 おっ! 三鷹の街中にトウモロコシ畑が。

 マンションのレッドロビンのプロムナードの新芽は赤なんです。
 門前の木々も緑。

 東八道路の銀杏並木も今は緑。
 
 おっ? 何かマンションの排水溝に動いている!
 蝉ではないようだ。よく見ると黄金虫が引っくり返って自力では飛び立てない。 背中が緑に輝いている!
 摘まみ上げて空に放してやった。




なるほど!と思う日々(525)「万引き家族」に込めた是枝監督の思い

2018-06-27 04:39:02 | なるほどと思う日々
 カンヌ最高賞を獲得した「万引き家族」が大ヒットしている。

 <万引き>? 「犯罪者を擁護」してるんじゃ!
 
 そんな批判もある中、是枝監督がインタビューに応じた。(朝日新聞2018.6.25)

「この映画の軸なんだけど、映画は、罪の意識が芽生えた時の男の子の哀しみをきちんと繊細に追っている」
 <補助金をもらって>「政府を批判」してるんじゃん!
「補助金をもらって政府を批判するのは真っ当な態度なんだ。・・・公金を手に入れると公権力に従わなければならない、ということになったら、文化は死にますよ」
 ・・・彼は政府の祝意を受けることを「公権力とは距離を保つ」と断った。

「僕は意図的に長い文章を書いています。短い言葉で『クソ』とか発信しても、そこからは何も生まれない。文章を長くすれば、もう少し考えて書くんじゃないか。字数って大事なんですよ」
 
「だって、世の中って分かりやすくないよね。分かりやすく語ることが重要でなはない。むしろ、一見分かりやすいことが実は分かりにくいことなんだ、ということを伝えていかなければならない。僕はそう思っています」

 <昭和のマロのモットー>
 ボクが「なるほど!と思った」ことを、先人の知恵も活用させていただきながら、出来るだけ多くの人たちに伝えていきたい。
 
        






なるほど!と思う日々(524)いのちを守る森づくり

2018-06-26 05:03:26 | なるほどと思う日々
 <昭和のマロのモットー>
 「世の中の真実を追求し、先人の知恵もお借りして、より多くの人たちに、分かりやすく伝えること」


 市川海老蔵が息子の勘玄くんと一緒に植樹しています。
 2013年8月から長野県志賀高原のみなさんと一緒に、1000本の木を植え「いのちを守る森ABMORI(エビモリ)」をつくっています。
 
「麻央がつなげてくれた縁で始まった。少しは地球のためになるのかな・・・」
 
 
 21世紀に入って日本でも環境破壊や気象の変動によって自然が失われています。
 海老蔵さんの起こした運動は貴重ですよね。

 なんと、畑岡奈紗が米ツアー19歳で日本人最年少初優勝!
 *2015年の世界ジュニアゴルフ選手権で優勝
 *2016年には第49回日本女子オープンでプロとしてメジャー初優勝している実力者なのです。

 ちなみに<奈紗>は、アメリカ航空宇宙局(NASA)に因み、「前人未踏のことをするように」思いを込めて命名されたんだそうです。







三鷹通信(271)三鷹市民大学「日本の文化」琳派の美学(3)

2018-06-25 03:19:57 | 三鷹通信
 < 昭和のマロのモットー>
 「難しいことや、気づいたことを、先人の知恵を利用させていただき、できるだけ多くの人に、分かりやすくお伝えする」

 
 尾形光琳の家系 俵屋宗達とは関係ないけれど、本阿弥光悦とは繋がっているんだ。
 宗達の約百年後、江戸時代前期に光琳は登場している。
 宗達、光悦に私淑し、その様式を継承しながらも、自らの個性にもとづく独創的な絵画世界を開花させた。

 尾形光琳は京都の高級呉服屋<雁金屋>の次男として生まれたが、若い頃放蕩三昧に明け暮れる日々を送って財産を使い果たしてしまい、絵師の道に進んだ。 
 寛文小袖の全盛期だった。

 初期の作品には「秋草図屏風」がある。 日本人の自然観、人生観、死生観を表現している。
 その代表作「燕子花図屏風」には、光琳の特質が随所にきらめいている。
 業平伝説が伝わる無量寿寺の庭園からヒントを得ているのだろうか?
 <音楽的リズム感>がある。
 「伊勢物語」に由来する<暗示の美学>
 「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」と同じ装飾的なリズム。「
 <金箔>の使い方にも工夫が見られる。 
 
「燕子花図」の発想源は?
  

 日本人が縄文時代、古代人から営々と引き継いできた<おおらかな人間性><遊びの精神>などを継承する「琳派」は次回「酒井抱一~琳派再興・江戸琳派の成立」に続きます。
 
 今、サッカーワールドカップ、セネガル戦を見終えて書き終えました。
 
 本田の同点ゴールで追いつき引き分けに持ち込みました。サムライブルーもなかなかやるじゃん!







三鷹通信(270)三鷹市民大学「日本の文化」琳派の美学(2)

2018-06-24 05:44:46 | 三鷹通信
 今回は俵屋宗達の絵と本阿弥光悦の書のコラボレーションを取り上げる。
 「月図」書と絵が一体になっている。金銀泥の下絵に和歌の色紙。
 平安時代の料紙装飾<和歌>が主役だった。
 
 外国では中国でも西洋でも絵と字は別領域である。
 日本では<文字>もまた「美術的なデザイン要素」
 (これって、何といっても<ひらがな>の発明が大きい!)

 「檜原図屏風」
 (書は近衛信伊。絵は長谷川等伯か?)

 宗達と本阿弥光悦はしばしば絵と書のコラボレーションを行った。
 特に有名なのは「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」
 長さが13.5メートルもある巻物だ。
 右から左へ繰りながらと読んでいく。(西洋では左から右へと逆である)
   
 柿本人丸(柿本人麻呂)の書の部分
 宗達のスバラシイ絵に光悦が一気に書き上げたのであろう。<人>の字を漏らしてしまった。
 ちょっと付け加えてあるのがご愛敬!
 
 <没骨(もっこつ)描法> 輪郭を描かないで金銀泥の絵の具の濃淡でかたどる技法である。
 次はいよいよ、尾形光琳である。

 -続くー

 お隣さん韓国が連敗。
 今回も前回も相手にPKを与えたのがまずかった。
 なにしろファウル数が24と最多だそうだ。
 フェアプレイのサムライブルーは<他山の石>とすべし! 



三鷹通信(269)三鷹市民大学「日本の文化」琳派の美学(1)

2018-06-23 05:13:05 | 三鷹通信
 三鷹市民大学「日本の文化」
 今日の講師は美術ジャーナリスト、嘉悦大学客員教授の斎藤陽一元NHKプロデューサーです。
 東京大学教養学部フランス科で高階秀爾氏から西洋美術を学ぶ。
 1965年にNHKに入局「世界の美術館」「日本の美」「日曜美術館」シリーズなどをプロデュースした。

 今回は日本美再発見「琳派の美学~宗達・光琳・抱一の絵画を読む~」
 <琳派>とは何か。
 活躍時期が異なり、師弟関係もなく、世襲でもない俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一という個性的な絵師たちが、時を隔てながらも、先達への<私淑>という形で継承された独特の美意識の系譜をいう。

 <俵屋宗達>桃山時代から江戸時代初期にかけて京都で活躍した絵師。伝統的なやまと絵と王朝文化を源泉としながらも、大胆で独創的な絵画世界を生み出した。 彼は絵屋(貴族や上層町衆へ高級扇絵を主力販売商品とする)の経営者だった。
 
 当時の武家社会への反作用として、まさに文化復古の機運が高まってきた時代。まさに日本のルネサンスだった。

 彼の独創的な作品「風神雷神図屏風」を読む。
「様々な動きと無限に広がる空間を描写 <たらし込みの技法>量感をそなえた、深みのある雲の動き <遊びの精神>古代日本人の感覚主義復興 <余白の美>日本画独自の表現手段 <扇面構成>両神の視線を扇の要(かなめ)へ・・・ <彫塗り>ぼよぼよっとした肉体感の表現 
 <屏風の形式>宗達が創始した、対立するインパクトを表す「左隻、右隻、二曲一双」は現代美術にも・・・
 <三十三間堂>の脇侍に影響を受けたのかも?
 <北野天神碌記絵図>にも影響を受けた?
 <会田誠「美しい旗・戦争画」>「日本の女子学生と韓国の女子学生」に影響を与えた。
 <宗達の水墨画>「蓮池水禽図」
 <たらし込み技法>(和紙の上に筆の先から墨をたらす)

 ─続く─

   


         



エッセイ(436)西野監督はカワイイ!

2018-06-21 07:02:43 | エッセイ
 ロシアサッカーワールドカップで、西野ジャパンが強豪コロンビアを撃破して奇跡的な勝利を日本にもたらした!
 選手の実力もさることながら、西野監督がカワイイともっぱらの評判である。
 
 実は三鷹市市民大学「日本文化コース」のメイン講師、大久保喬樹東京女子大名誉教授が、なんと、朱子学の<朱>の字を黒板に書けなかったのである。
 「私は字を書くのが苦手で・・・」
 何とも博識の厳つい顔が「カワイイ!」と女性受講者に評判になった。
 今の時代<カワイイ>というのが男と言えども重要な要素なのだ。

 実は昨日からフェースブックとの連携が切れていたのに気づきませんでした。ジジイのミスです。これってカワイイ? 

三鷹通信(268)新渡戸稲造の武士道

2018-06-16 08:18:14 | 三鷹通信
 昨日は、三鷹市市民大学「日本の文化」メイン講師の大久保喬樹東京女子大名誉教授による「新渡戸稲造の武士道」だった。
 
 新渡戸稲造は岩手県盛岡市の藩主南部利剛の用人を務めた新渡戸十次郎の三男として生まれた。
 新渡戸家の掛かり付けの医師から英語を学ぶ。
 明治天皇が新渡戸家でご休息されたとき、「父祖伝来の農業に勤しむべし」とのお言葉を賜り、以後農政を志すようになった。
 札幌農学校(後の北海道大学)の二期生として入学。
 キリスト教に興味を持ち、メソジスト派の宣教師メリマン・ハリスから洗礼を受けた。
 論争になれば熱くなって殴り合いも辞さなかった<アクチーブ>は、<モンク>(修道士)と呼ばれる人の喧嘩の仲裁をするほどの姿に変貌していた。

 その後米国留学、ドイツ留学を経て、アメリカでメアリーと結婚、帰国後札幌農学校の教授に赴任するが体調を崩し、カリフォルニアで転地療養をしているとき、名著「武士道」を英文で書き上げ、1900年に刊行。
 ドイツ語、フランス語など各国語に訳され、<日清戦争>などで日本人に対する関心が高まっていたこともあり、ベストセラーとなる。      
 後に臨時台湾糖務局長になり台湾における糖業発展を築くことにも貢献。
 さらに、東京帝国大学法科大学教授と兼任で第一高等学校の学校長となる。
 その後東京女子大学初代学長になった。
 1920年には国際連盟の事務次長となって国際貢献している。

 「武士道」の源泉は、
 であり、
 徳川幕府300年の間に封建武士社会のモラルとして構築されたものである。
 
 日本の封建制度から生み出されたものであるが、日本特異のものではなく、<武士道の光>は今でも私たち人類がたどるべき道徳的道筋を照らし出している。
 ・・・その徳目の中でも特に新渡戸が重要であると強調したのが、孔子が論語で述べた<仁>(惻隠の心)である。
 <母親的美徳>、<敗者に対する仁の心>。・・・
 
 その序文にあるベルギーの法学者との会話が興味深い。
 「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」とこの高名な学者がたずねられた。 「ありません」という返事をすると、・・・
 「宗教がないとは。いったいあなた方はどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。
  その時私はがく然とした。幼い頃学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校でうけたものではなかった。・・・そのような観念を吹き込んだものは<武士道>であったことにようやく思いあたった。
 ・・・この小論全体を通じて、私はいいたいことのすべてを、ヨーロッパの歴史や文学から、類似の例証をあげて説明しようとした。
 なぜなら、このような例証は、外国人の理解をより身近なものにすると思うからである・・・。

 <生麦事件>で責任を取った武士が切腹する場面を見た外国人は驚愕した。
「腹を裂く? なんて馬鹿な」・・・それは外国人の耳には最初いかにも奇妙奇天烈に響くかもしれないが、シェークスピアを学んだものにとってはそれほど特異とも思われないだろう。
 この作者はブルータスにこんな風に言わせているのだ──「汝(カエサル)の霊魂が歩き出し、我らの剣を我ら自身の腹に突き立てるのだ」
 

 <菅原伝授手習鑑・寺子屋の場>という歌舞伎の名場面がある。
「何と残酷な話だ」と言われることだろう。「よその子どもの命を救うために、何の罪もない自分たち自身の子どもを親からすすんで犠牲に供するとは」
 この身代わり死の物語は<アブラハムがイサクを生贄にしようとした物語、旧約聖書の<イサクの幡祭>よりはまだ受け入れられるはずの物語なのである。
 
 ヘンリー・ノーマン氏は言う。
「人類が生み出した最も厳格で高貴か対規律正しい名誉の掟が人々に支配的な影響をおよぼしている」と。
 独立した道徳律としての<武士道>は滅びるかもしれない。
 だが、その力が地上から消えることはないだろう。
 武勇や社会的名誉の教えは廃されるかもしれないが、その輝きと栄光は長く生き延びるだろう。
 その精神を象徴する桜花のように、四方からの風に吹き飛ばされても、人生を豊かにするその香りによって人類を祝福してくれるだろう。
 年月が過ぎてその慣習が葬り去られ、その名さえ忘れられても、その香りは遥か彼方から、もう目には見えない丘から漂ってくるだろう──

 ボクはトランプ大統領と金委員長の「歴史的会談」を取り上げて発言した。
 「これまでパワーによる、ディールで相手を追い詰めるトランプが変身した。<仁>の心の威力に気づいたのでは・・・」と。
 他の方も述べた「金委員長の過去を反省する姿勢に共感するところがあった」と。
 さらに「<サムライジャパン>という言葉もあるが・・・」という先生にボクは「それはフェアプレイナンバーワンという意味ではないでしょうか」と申し上げた。
 ボクにとっても意義深い講義だった。