昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(292)第27回読書ミーティング(1)

2018-09-30 05:05:24 | 三鷹通信
 久しぶりで現役編集者主催の読書ミーティングが三鷹市協働センターで開催されました。
 今回は、新しく参加される方もいらっしゃって13名。
 元官僚、ヨガ講師そしてボク以外は、出版関係に携わるプロの方たちでした。
 推薦図書も多く内容は盛り沢山でした。

 特に、講師からベストセラー、ロングセラーの他に新たに<ロンベスセラー>という新たなカテゴリーが提議されたことに着目!
 
 <ベストセラー>は一年間に10万部以上売れた本、瞬間的に大きな売り上げを記録して、社会現象的な読まれ方をする本。
 <ロングセラー>は長期間にわたって(国境を越えたりもして)売れ続ける本。短期的に大きな売り上げを達成しなくてもロングセラーとして売れ続けることもある。
 それに対して今回、講師ご提案の新たなカテゴリー<ロンベスセラー>は、ロングセラーであり続けながら、今ベストセラーになった本。
 つまり、①長く売れ続けていた本が、復刻や、テレビ、新聞などで取り上げられたことで今、急に売れ出した本。
 ②ベストセラーの状態が何年にもわたって続く本。

 最初に今売れている<ベストセラー>を紹介します。
 「万引き家族」
 日本映画21年ぶりカンヌ映画祭パルムドール受賞の是枝裕和監督の原作。たちまち20万部突破。
 ・・・子どもは親のことが大好き。親は子どものことに一番注意を払い、親子の信頼関係抜群。毎日一緒にいることが幸せ。ただし、この家族は貧困や離婚、人を殺した前科、親に捨てられた子など、生きにくい人が集まった家族だった。そして家のなりわいは万引きゆすり。

 「かがみの孤城」辻村深月。
 2018年度本屋大賞。55万部。
 学校で居場所をなくし、閉じこもっていた不登校児達の、それぞれの家にある鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。 
 そこに似た境遇の7人が集められていた・・・・。なぜこの7人が、なぜこの場所に。ファンタジーの設定と謎解きが面白すぎ。

 「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子。
 第158回芥川賞 50万部突破。
 タイトルは宮沢賢治の「永訣の朝」から取られた一節。
 75歳の老女桃子さんは新興住宅の一軒家で現在は独り暮らし。
 しかし、彼女の頭のなかは、家族の葛藤や愛など、にぎやかな東北弁で満ち満ちていた。
 
 ─続く─       




三鷹通信(291)三鷹市民大学・渡邊伸廣「Jazzの誕生」

2018-09-29 06:15:16 | 三鷹通信
 昨日は久しぶりの秋晴れの日、三鷹市民大学・日本文化コース自主学習の日、運営委員の渡邊伸廣氏が「文化の融合としてのJazzの誕生」について熱く語られた。
 たしかにジャズ、そのルーツであるブルースはアメリカのニュー・オリンズで生まれた。 
 綿花栽培の黒人奴隷が、西洋の音楽に触れながら、労働の疲れ・辛さ・悲しみ・恋愛などを独自の歌や音楽にしたところから発祥した。
 
 
 ニューオリンズとは1718年にフランス人によりつくられ、1763年にスペイン領、1801年にアメリカに売却された。
 1804年、ハイチがフランスから独立したのをきっかけとして、フランス系やクレオール(フランス人と黒人の混血)が大挙してカリブ海の諸国からやってきた。
 他、マレー人、中国人、スペイン人、イタリア人、アングロサクソン系アメリカ人、ユダヤ人、文化混淆のるつぼだったんだ。 
 
 最初は、まさにヨイトマケの歌だったんだね。
 それに、フランスの<カドリーユ>、<ラグタイム>、<ブルース>が集まりできたのがジャズなんだ。
 そして、カリブ海のキューバの音楽にも出会った。 

 *ルネッサンス期にヨーロッパ音楽はイスラムの影響を脱し<西洋音楽>としての歩みを始める。
 *イスラム音楽的な要素はヨーロッパ辺境に残る。西の辺境、スコットランド、アイルランドの貧しい人たちはやがて、新天地を求めてアメリカに渡る。
 *20世紀に世界を席巻する「ブルース「ブルース(→リズム&ブルース→ロックンロール)」という形式はイスラム音楽の影響を受けたアフリカとケルト(スコットランドやアイルランド)の音楽が、19世紀の北米大陸で出合ったことにより誕生した。

 <イスラムから伝播したもの>
 *中近東のウード(撥弦楽器)がヨーロッパではリュートになり、ギターになった。東アジアでは琵琶になり三味線になった。
 *鼻にかかった、うなるような発声と、メロディに装飾を付ける歌唱法・

 そして、ジャズやブルースの世界で大スターが生まれる。
 フランクシナトラ
 ニュー・アームストロング

 身近なスタートして「高田渡」吉祥寺のフォークシンガーだ。
 その「私の青空」のビデオを聞かせてくれた。(ボクは全く知らなかった)
 「高田渡を送る会」には、ボクの知っている柄本明・笑福亭鶴瓶・なぎら健壱・井上陽水・らが参列したほどのスターだったらしい。

 ここで、理科系渡邊講師のすごいところは、<音の発見>について、論理的に分析駆使するところだ。
 <リズム>と<ブルーノート>
 
 *ミ、ソ、シの音が半音下がる。
 *ジャズとブルースに特徴的な音だ。
  彼はその特色を自らギターで弾いて示してくれた。
  渡邊伸廣はプロだったのだ。
  慶應のライトミュージックに所属していた。
  就職のとき「ライトミュージック? 卒業できたならなんかみどころがあるかも・・・」と言われたそうだ。
 だいたい、ほとんどプロの道に進むので卒業できないのが普通だったらしい。
  氏には両方の才能がおありらしい。
 
  ・・・それらしきお姿をネットから引っ張り出してみたが・・・
  ・・・今でもバンドを組んで活躍しているらしい。拝見したいものだ・・・

 ボクは大学の級友「鈴木宏昌」を思い出した。
 音楽を聴きながら譜面に起こしている彼を・・・。
 在学中にジョージ川口とビッグ4+1に加入したという、ジャズのピアニストだ。

 ボクはこのような天才プロを尊敬する。


  

          








三鷹通信(290)国際交流フェスティバル・新川天神社祭・麻雀会

2018-09-25 03:42:32 | 三鷹通信
 久しぶりの秋晴れの日曜日、ミニミニのみなさんに誘われ参加しました。
 この会を立ち上げたT氏も久しぶりの参加です。
 
 ボクも遅ればせながら参加。
 場所は井之頭恩賜公園西園。三鷹市国際交流フェスティバルのステージ前。G氏が朝から場所取りをしてくれました。
 
 すごい人波です。国際色豊かな売店。
 
 カレーとかいろいろな飲食販売コーナー 
 催し物コーナーもあります。
 
 
 何か奇抜な催し物が始まるのかな?
 ステージでは大音量で歌舞演奏!
  
 いろんな国の人たち、家族連れで参加している。年々参加者が増加しているようだ。
 午後から三鷹三田会の麻雀会があるので、ボクは用意されたご馳走を食い散らかして早々に退散したが・・・。

 三鷹市民大学の同級生、三鷹市立第一小学校のスマイルクラブ<アート>の先生Kさんからも新川天神社の祭礼に誘われたが、残念ながら重なって参加できなかった。
 写真を送っていただいたのでご披露します。
 
 
 ・・・先導する彼女の雄姿が目に浮かぶ・・・

 ほろ酔い気分で、第248回目の三鷹三田会麻雀会に参加しましたが、参加者52名中第18位でした。
 
 (これは、第247回の写真です・・・)

 ・・・朝10時から18時まで。連続8時間労働? 老体にはいささか過酷だったようで・・・。
 
    その夜はこむら返りに悩まされました。・・・
          





三鷹通信(289)市民大学でのスピーチ(3)世界各国のお国柄・スエーデン・アメリカ

2018-09-24 05:30:50 | 三鷹通信
 スエーデンのサンドビック本社工場で今回の招待客一行と合流しました。
 この工場での第一印象は<清潔で整頓されている>でした。
 日本の工場のように、床にはねじや切屑が散乱していて油で滑りやすいなどは一切ありません。
 50年近く前、日本ではまだ珍しかったマシニングセンター(旋削・面削り・穴あけなど1つの機械でこなせる)
 がずらーっと並んでいました。
 それと、切削くずや切削油を循環して効率的に利用できる設備ができていることでした。
 自然を愛するこの国では、廃油・排煙など、自然を害することがらに当時から神経質でした。
 
 スエーデンに行くと言うと、「じゃあ、頼むよ」と顧客から必ず言われたのが<ポルノ雑誌>でした。
 
 スエーデン=フリーセックスというイメージがありました。
 たしかに、過激なライブショーも行われていました。
 
 船で川を遡れば、岸壁で裸で陽を浴びるおおらかな人々の姿もありました。
 

 しかし、日本と異なり<性は秘匿するもの>ではなく、出産なども絡むものとして正面から取り上げる(青少年教育などでも)姿勢なのです。
 従って、男女の性差別もありえません。
 
 喫煙はむしろ女性の方が多いようでした。

 また、昔の牢獄をレストランに利用する洒落たスエーデンでもありました。
 
             
 アメリカはリード社を訪問しました。
 ここの会長夫妻が戦後日本を観光で訪れた時、日本のホテルのドアマンの対応に痛く感激し、彼にリード社製品の日本への輸入販売権を与えたのです。

 商売も商品の専門知識も何もない彼に、ただ彼の人柄に惚れて与えたのです。
 アメリカ人の<心の広い大らかさ>を感じました。
 
 商品自体は、埋設管を手動で切断する素人でも分かりやすい商品でした。
 たまたま同じホテルで知り合ったウチの社長が販売を引き受け、彼は輸入手続きだけの輸入商社を立ち上げました。
 
 エリー湖畔の苔生す会社には、会長、社長、専務、親子孫の三代が仕切るアットホームな会社でした。
 ウチの社長も、息子が3人いましたから感慨深かったようです。

 ニュージャージーのレノックス社からのタクシーでの帰途、ニューヨークの交差点でウチの社長が目をつけ飛び込んだ同業の機械工具商から新しい経営方式を学びました。
 パソコンを駆使した<在庫管理と販売方法>です。
 ウチの会社が雑貨屋なら、ここははまさに公共の博物館でした。
 販売もカタログ通販で行っていました。
 ウチの社長が帰国後真似して作ったのが<オープナー>です。
 今では一般的ですが<カタログ通販>の先駆けでした。

 忘れがたいエピソードを一つ。ニュージャージーのレノックス社へ向かうときはバスを利用しました。
 乗り込むとき入り口をふさぐようにしゃべっている黒人のドライバーに恐怖を覚えました。
 途中、所々で停車し、乗客を乗り降りさせながら走るのですが、ある停留所で運転手が降りて行きました。
 ウチの社長が洒落た小物屋に目を付け入って行きました。
 間もなく運転手が戻て来て、何の合図もなく出発させました。ウチの社長を置き去りにして・・・。
「ストップ、ストップ!」ボクは叫びました。社長が走ってくるのを見た運転手はバスを渋々止めました。
「ソーリー、ソーリー」 汗だくの社長に黒人の叔母さんが言いました。
「アメリカでは何事も<自己責任>だからね」

 経営者のおおらかさとは別に、与えられた仕事しかしない労働者の姿勢に日本との違いを感じました。

 以上三鷹市民大学日本文学コースでスピーチさせていただきましたが、かなりとっ散らかっていましたのでここに、再度3回にわたりまとめさせていただきました。

三鷹通信(288)三鷹市民大学でのスピーチ(2)世界各国のお国柄・イギリスとドイツ

2018-09-23 05:57:44 | 三鷹通信
 ボクの第二の転機は、機械工具商の社長との出会いでした。 
 (こんなお顔だったでしょうか。福徳円満、ところが先取の気性を持ち、何事にも積極的な行動をされる方でした)

 入社当初は、専務以下社員たちには「いったいなにができるんだ?」と総スカンでした。
 しかし、社長が取り上げたスエーデンのサンドビック社製品の担当を任されてボクは精気を取り戻しました。
 最新の切削工具でした。実績を挙げ、社長とともにスエーデン本社へのご招待旅行に選ばれたのです。

 ところが、社長はこれをチャンスに独自の世界一周旅行を企てたのです。
 独自でドイツのハノーバー国際工作機械見本市、アメリカのメーカーへ訪問を付け加えました。
 しかし急な決定だったので、ハノーバーでの宿舎先未定のまま出立。
 羽田国際空港では、搭乗機のブリティッシュエアウェイズのエンジントラブルで4時間出発が遅れました。
 おかげで、ロンドンでの乗継便にも間に合わず、たいへんな初めての海外旅行体験の始まりでした。

 イギリス・ヒースロー空港では乗継便の手続きで英国美人からコケにされました。
 
 水道ホースを潰してぶっかける水のような勢いでまくし立てられ、聞き取れないのでバカにされたのです。
 次の外人にはにっこりと微笑みかけたのに、我々には軽蔑と憎しみの顏でした。
 あきらかに日本に対する敵視の目でした。
 しかも、空港内で下働きしている連中は全て有色人種。
 ボクの心の内にはイギリスへの反感が芽生えようとしていました。

 しかし、その後フランスのパリのレストランで出会った英国紳士は、フランス語のしゃべれない我々に通訳してくれたり、パリで変な外人に引っかからないよう、アドバイスまでしてくれました。まさにジェントルマンでした。
 まさに美人係官の蔑視の目は、イギリス人固有の性質ではなく、植民地主義的帝国主義が生み出したものかなと実感した次第です。 
 

「おい、あれ日本人じゃないか? 挨拶しておいたら・・・」
 外人ばかりの乗り継ぎ便の中、社長から言われました。
 ・・・同邦人にすり寄る根性が薄汚い・・・ そう思いましたが、社長命令だから、と敢えてその人に挨拶し、ハノーバーでの宿泊先の情報についても問いかけてみました。
「じゃあ、ボクの民宿のオヤジに頼んでみるよ」
 彼は、ハノーバーの国際見本市に出展するT機械の技術者でした。
 社長のひと言で宿泊先が決定したのです!

 
 民宿のオヤジは、ソ連のシベリヤ抑留の体験者でした。
「オレは、そこで日本人の武士道精神を目の当たりにしたのだ。自分が投獄される危険を恐れず、病弱の部下を庇ってソ連の係官に訴えたのだ!」
 
「オレは、民宿の相手は日本人だけだと決めているんだ」 
「この前の大戦では敗けたが、こんどはイタ公を除いて日本と一緒に再挑戦しようぜ」
 ドイツ人の<国家主義的国民性>を垣間見た思いでした。

 ドイツでは当時すでに移民をかなり受け入れていました。
 戦争で迷惑を掛けたということで、<ガストアルバイター>お客として労働者をトルコや中東からかなり入れていました。
「だけど、これ以上入れるのは反対だな。ドイツ人の働く場がとられているんだ・・・」
 今から50年近く前のことですが、既に一般庶民の間では<移民問題>が問題視されていました。

 明日は<スエーデン>と<アメリカ>について・・。  



三鷹通信(287)三鷹市民大学でスピーチ 世界各国のお国柄(1)ソ連・台湾

2018-09-22 06:20:50 | 三鷹通信
 昨日は三鷹市民大学で「世界各国と取引して体験したお国柄」と題してスピーチさせてただきました。
 
 うすら寒い雨の中、25名もの方が参加してくださいました。

 ・・・人生80年、振り返ってみますと大きな転機があったことを痛感します。
 大学を卒業して日本電電公社を受験しましたが、身体的理由で50名の本社採用から外され、東京営業所採用となりました。
 たまたま親戚の知り合いの貿易会社社長から「ウチへ来ないか?」と誘われたのがその後のボクの波乱万丈の人生の幕開けでした。
 公社という安定職種を蹴って就職した会社は、従業員70名あまりの共産圏専門商社でした。

 ここで、エピソードを一つ。
 入社早々「ボクの仕事を手伝ってくれないか?」と担当課長から誘われたのがソ連向け「トランジスタ製造装置」でした。
 これはココム違反(対共産圏禁止)対象製品でした。
 通産省の係官をたらしこんで、装置を部品として解体、輸出申請したということが発覚、神奈川県警の捜査を受け、担当役員と課長は収監されました。
 

 幸いボクは別のソ連向けタンカーの装備品の輸入係に正式任命され、難を免れました。場合によっては前科者になっていたわけですから・・・。
 当時はソ連と国交が開かれていなくて、大商社は直接ソ連貿易に携われなかったので、ウチのように伊藤忠商事の傘下で大きな仕事をしていたのです。
 「ソ連」と付き合って一番感じたのは、<役人管理>の実体でした。
 担当専務がソ連を訪れるときは、トランジスタラジオや厚木のナイロンストッキングを大量に用意させられました。
  
 専務はそれを持参して、税関フリーパスの外交官ルートで入国していました。

 ソ連というと恐ろしいイメージが先に立つのですが、
 「パルプ製造装置」輸出が決まって、実際の稼働状況を視察に来た貿易省の連中のお世話役をした時、幹部連中はともかく、技術者の<人のよさ><酒の強さ>を実感しました。
 3人一部屋にダルマ1本差し入れたのですが、一晩でペロリでした。
 パーティのときはウオッカを「底まで乾杯!」し、コザックダンスを披露してくれました。
 真似して踊った日本人のメーカー所長は、反吐を吐いて後始末が大変でした。

 ソ連との国交が回復して親会社の伊藤忠が直接乗り出せるようになり、ボクはたまたま長男の家庭教師をしていた縁で、機械工具商の社長から誘われたのを機に転職しました。
 第2の転機でした。
 ここで最初にかかわったのが<台湾>との仕事でした。
 「台湾」で一番印象的だったのが、彼らの<家族第一主義>でした。
 大した金額の契約ではなかったのですが、パーティを開くと、こちらは3名なのに、むこうは一族郎党、仕事に直接関係のない人まで出てくるんです。
 たいへんな物入りとなりました。
 
 も一つ<勤勉さ>です。
 関係していた台湾人のコンサルタントからボクは言われました。
 「近頃の日本の若い者は何をかんがえているんだか・・・。あなたの息子さんを台湾に寄越しなさい。鍛えてあげますから」と言われました。
 彼の息子はアメリカのマサチューセッツ工科大学、娘は日本の武蔵野美術大学に留学させているんです。
 稼いだ金は子どもに懸けます。
「東京のオフィスビルは夜でも煌々と輝いていますが、台湾では6時になると真っ暗ですよ。6時以降は自己開発の時間なんです」
 自分自身の勉学向上に時間を使うんですね。

 明日はイギリスとドイツについて。 


なるほど!と思う日々(553)あんな人が大相撲観戦に!

2018-09-21 02:07:49 | なるほどと思う日々
 テニスのアメリカオープンで優勝して話題をさらった大坂なおみ選手が大相撲観戦していましたね。
 横綱白鵬にも面会して、祝福されたそうです。 
      

 女優、紺野美沙子も見かけました。 楽しそうに観ていましたね。
 彼女はいわゆるスー女だそうです。

 高見山のころからの大相撲ファンだそうで・・。

 高須クリニックの院長が、にぎやかに観戦していました。
 
  懸賞金も出していますし、勢や錦木のタニマチとして化粧まわしを贈るほどの入れ込みようだそうです。
 
 名古屋場所ではスケートの浅田真央と小塚崇彦も観戦していました。
 白鵬が負けて座布団をぶつけられるハプニングもあったようで・・・。

 







なるほど!と思う日々(552)突出してきた中国は目の上のたんこぶか?

2018-09-20 06:06:13 | なるほどと思う日々
 ストックホルムを観光で訪れた3人の中国人家族。宿泊予定日の前夜にホテルに到着。
 ロビーで寝泊まりを要求したがホテルは拒否。
「殺人だ!」と叫ぶ家族を警官がつまみ出した。
 これに中国政府が「人命を危険にさらし、人権を侵害した」と非難。

 背景には先週スエーデンを訪問したチベットのダライ・ラマ14世。
 それに中国共産党を批判する「禁書」を扱っていた香港の書店関係者、スエーデン国籍を持つ桂民海氏をめぐる確執が関係している。

 米国トランプ大統領は、中国の台頭が頭にきて、貿易戦争を加速させている。
 今や世界一大国を狙う中国は世界の目の上のたんこぶとなりつつある。 
        





三鷹通信(286)紫苑とセセリチョウ

2018-09-19 02:26:54 | 三鷹通信
「ほら、紫苑にセセリが来てるわよ!」
 家内の声にベランダに出てみた。
 ウチのベランダでも一番背の高い紫苑の花にセセリチョウが蜜を吸いに来ている。
 よく見えないほど小さな蝶々だ。
 黒い目の玉が大きい茶色の目立たない蛾みたいな蝶々だ。

 蝶々といえば、毎年タイに蝶々を採集に行くという友達がいる。
「蝶々って、夜の蝶じゃないの?」
 みんなで冷やかすのだが、「そんなんじゃないよ! タイには蝶が多いし・・・」
 と真顔で口を尖らす。         




なるほど!と思う日々(551)安室奈美恵・25年を全力疾走!

2018-09-17 05:29:05 | なるほどと思う日々
 25年間、世に君臨した歌姫、40歳で電撃引退!
 「25年間、全力疾走しました!」 

 20年前の朝日新聞「世紀末に君臨する歌姫、安室奈美恵」の記事を思い出しました。
 (1)高校までは派手で男にもてて怖いものなし。
 ミニスカートにブーツ姿の元祖コギャル
 (2)20歳になればキャーキャーいうのは卒業して知的ないい女。
 パンツ姿が多く、いい女風
 (2)でもやっぱり結婚してお母さんになりたい。
 「キャン・ユー・セレブレート」を歌う彼女はどことなく母性もにじませ始めている。
 
 (以上、柳川圭子評より)

 桃井はるこは同じ欄で、「完ぺきなアイドルになる三本柱」として、
 (1)男の子のバーチャル恋愛の対象になり得ること
 (2)女の子のファッションリーダーであること
 (3)子供うけすること
 しかも、「そこそこ」に好かれる強み、超個人主義の時代には好きなものさえ「そこそこ」でなければ数に結びつかない。と言っている。