産業革命以来、人類文明は格段の発展を遂げた。
それは「科学」および「経済」の発展によるものであることは論を待たない。
しかし、これまで述べてきたようにその発展が行き過ぎて、文明は先の見えない自縄自縛の泥沼の中へ入っていくのでは、という懸念さえ生じている。
この中で今後日本はいかに対応すべきか。
世界の平和は、パワーポリテクスのもと、「科学」の発展が生み出した最終兵器<核兵器>のリスキーな均衡の上に成り立っている。
日本が唯一核兵器の洗礼を受けることになったのは、当時核兵器を持っていたのはアメリカでだけだったからだ。
お互いが持てば抑止力になるというわけだ。
戦前の日本の植民地的帝国主義を批判する中国も、今や核兵器に守られた軍事大国になり、帝国主義的な行動を執っている。
それら列強の中、日本は核兵器の悲惨さを味わったものとして、核兵器を保持しない政治を選択してアメリカの核の傘の下に入り、いわゆるアメリカのポチ的立場を甘受している。
そして軍事大国になるより、経済大国へと邁進、その結果親分アメリカの繊維産業や自動車産業に打撃を与え経済摩擦を引き起こした。
以後日本はバブルがはじけ、アメリカの金融、情報、サービス産業の反撃などもあり、今デフレ脱却に苦慮している。
アベノミクスで一時的に経済が浮揚したかに見えるが、その円安誘導政策は今世界から批判を浴びることにもなっている。
経済的にも政治的にも世界の中で存在感を失いつつある日本はこれから如何に進むべきか。
パワーポリテクスの世界では「核兵器」をもたない限り発言権がないとする見解もある。
防衛費も今後GNPの1%などと自己抑制するのではなく、状況によってはどんどん増強しますよと公言し、経済だってグローバルスタンダードに従わず、独自のやり方を世界に向けて宣言する。
そうした自立的な発言をしていくことが必要なのではないか。
今年は伊勢志摩サミットが開かれる。
広島では外相会議が開かれ、日本からは現状では「核廃絶」についての問いかけがあるであろう。
いずれにせよ、<ヘゲモニー>ではなく<オルタナティブ>な立場を鮮明にすることも日本の世界に発信する政策足り得るのではないだろうか。
それは「科学」および「経済」の発展によるものであることは論を待たない。
しかし、これまで述べてきたようにその発展が行き過ぎて、文明は先の見えない自縄自縛の泥沼の中へ入っていくのでは、という懸念さえ生じている。
この中で今後日本はいかに対応すべきか。
世界の平和は、パワーポリテクスのもと、「科学」の発展が生み出した最終兵器<核兵器>のリスキーな均衡の上に成り立っている。
日本が唯一核兵器の洗礼を受けることになったのは、当時核兵器を持っていたのはアメリカでだけだったからだ。
お互いが持てば抑止力になるというわけだ。
戦前の日本の植民地的帝国主義を批判する中国も、今や核兵器に守られた軍事大国になり、帝国主義的な行動を執っている。
それら列強の中、日本は核兵器の悲惨さを味わったものとして、核兵器を保持しない政治を選択してアメリカの核の傘の下に入り、いわゆるアメリカのポチ的立場を甘受している。
そして軍事大国になるより、経済大国へと邁進、その結果親分アメリカの繊維産業や自動車産業に打撃を与え経済摩擦を引き起こした。
以後日本はバブルがはじけ、アメリカの金融、情報、サービス産業の反撃などもあり、今デフレ脱却に苦慮している。
アベノミクスで一時的に経済が浮揚したかに見えるが、その円安誘導政策は今世界から批判を浴びることにもなっている。
経済的にも政治的にも世界の中で存在感を失いつつある日本はこれから如何に進むべきか。
パワーポリテクスの世界では「核兵器」をもたない限り発言権がないとする見解もある。
防衛費も今後GNPの1%などと自己抑制するのではなく、状況によってはどんどん増強しますよと公言し、経済だってグローバルスタンダードに従わず、独自のやり方を世界に向けて宣言する。
そうした自立的な発言をしていくことが必要なのではないか。
今年は伊勢志摩サミットが開かれる。
広島では外相会議が開かれ、日本からは現状では「核廃絶」についての問いかけがあるであろう。
いずれにせよ、<ヘゲモニー>ではなく<オルタナティブ>な立場を鮮明にすることも日本の世界に発信する政策足り得るのではないだろうか。