昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(214)最後のゴルフ?

2014-07-30 04:37:32 | エッセイ
 物置部屋の片隅にゴルフバッグが未練がましく置いてある。
 
 しかも配送バッグに包まれたまま・・・。

 二年前、最後のゴルフ会だからと誘われた第30回ひまわり会(金沢の高岡町中学校卒、東京支部のゴルフ会)を思い出した。

 Eさんの紹介で、新潟県十日町市の当間高原リゾート<ベルナティオ>へ東京からバスで出かけた。
 
 
 前夜は金沢から来たTくんも含めて、隣接するホテルに宿泊。
 Eくんの英語落語が披露され楽しんだ。
 

 当日はホテルの朝食バイキング。
 
 
 
 さあ、でかけるぞ!
 
 
 雄大な起伏に富む丘陵コースにチャレンジ!
 
 いくつ打ったんだか、大自然を楽しむ余裕はなかった・・・。

 Nくんが作ってくれた会員の顔入りのニアピンの旗が記念に残っている。
 

 またみんなと会いまみえる日を期待してゴルフバッグは残されている。
 

 東東京二松学舎大付高、悲願の夏甲子園決める!
 
 早実、日大三を破り、決勝に進出した二松学舎付も、今までことごとく帝京に阻まれ夏の甲子園に出れなかったと聞けばついつい応援しちゃった。
 
 
 
 

なるほど!と思う日々(285)日本人とは(5)

2014-07-29 03:53:40 | なるほどと思う日々
 昨日、皇太子ご一家が伊勢神宮を訪れた。
 
 愛子さまとご一緒の雅子さまはとてもお幸せそうに見える。
 
 日本国憲法第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。
 
 美智子さまに続いて、平民から皇族に嫁がれた雅子さまは、そのお立場に苦難の日々を送っていられることが推察される。ご苦労さまと申し上げたい。

 戦後、この象徴天皇を戴いた日本国は、不安と激動の世界情勢下、少なくともひとり安全で平和な時期を謳歌してきたと言える。
 田原総一郎のような見方もあるが・・・。
 
 
 日の丸と、君が代が「国旗、国歌であるような、ないようないい加減さ」に触れて、これは<戦略的ないい加減さ>なのだと喝破する。「こうしたいい加減さこそが、実は戦後半世紀を生きるなかで、われらが身につけた、日本丸を安全に運航するための知恵なのである」

 
 ところがこのところ、安倍首相の靖国参拝以来、またぞろ中国や韓国からその歴史認識を問われ、日本丸は揺さぶりをかけられている。
 つまり、一時西欧列強の真似をして引き起した帝国主義的太平洋戦争の戦犯を祀っている神社をお参りするのはその時代に戻ろうとしている魂胆があるのではと疑念をかけられているのだ。
 日本では、西郷隆盛のように時の政権に反抗したものも、また石川五右衛門のような大泥棒でも、つまりどんなに悪いことをした人間も、死んだら仏さんになる。
 しかし、そんな戦犯が含まれていても斟酌しないで戦没者を慰霊するという考え方が彼らからすれば理解できない。

 武村健一が<日本の常識、非常識>の中で書いている。
 

 私は、ロシアから分かれた直後のバルト三国を訪ねたことがある。
 ある教会に入ろうとしたら、ガイドが教会前の石畳をさかんに踏んでいる。
 何をしているのか、靴の泥でも落としているのかと思ったら、そうではなかった。
「この下には、わが民族を苦しめたにっくきソ連の男が埋葬されています。だから私たちは協会に入る前には、必ず何度も踏みつけるのです」
 この話を知り合いの中国専門家にしたら、こんなことを教えてくれた。
 中国に泰檜という大悪人がいた。
 その墓に行くと、中国人はみな墓に唾を吐きかけるのだという。
 バルト三国でも中国でも、生きている時に悪人とされた人間は、死んでからもずっと悪人なのだ。・・・
 日本のような宗教観をもっているのは世界広しといえども、日本と、残り少なくなった未開の地だけだろうと、豪州のグレゴリー・クラーク氏が私に語ったことがある。

 
 日本の平和憲法は冒頭に述べたように象徴天皇を国民の統合として戴いている。
 ここで思い起こすのは、聖徳太子の17条憲法である。
 
 
 その第一条には「和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ」とある。 
 この争いの絶えない世界にあって、聖徳太子が日本人の原理と見抜いたこの一条こそ、日本人のアイデンティティとし、世界に広めるべきだと思うが、如何。
 

 

なるほど!と思う日々(284)日本人とは(4)

2014-07-28 08:32:03 | なるほどと思う日々
 ハマスとの間に一旦停戦がまとまったと言われていたが、イスラエルはロケット弾攻撃が続いていることを理由にガザへの攻撃を再開した。
 

 そもそもこの地域は三大陸の結節点に位置するところから、歴史的に紛争が絶えない。
 
 地政学上、重要であることもあるが、ユダヤとイスラムという宗教的な、あるいは西洋とアラブの民族的対立に妥協点がない。

 世界を歩いた小田実は<何でもみてやろう>の中で言っている。
 
 
 日本と西洋との距離は、日本が高度に西洋化された社会であるという事実を全部ぬきにしても、もともと<西洋>とアラブやインドの世界との距離よりも小さいのではないか。
 逆にいうと、そういう下地があったからこそ、日本は明治以来の短時日のあいだに、かくも急速に西欧化されたのではないか。
 私はビルディングや工場やネオンサインのことについてではなく、われわれの考え方や感じ方について言っているのである。
 それらのものの西洋化には、もともと<西洋>の思想と共通のもの、それとすくなくともおつきあいできる共通の基盤のようなものが存在してはじめて可能であったにちがいないのだ。
 そして共通の基盤というものは、やはり、それは<ヒューマニズム>というものであろう。
 すくなくとも、思想なり、感情なりがオバケのものではなく、人間のものであること──。
 
 
 
 その日本人には<西洋>とはまた異なる特徴があり、それを象徴的に具現しているのが<大相撲>であると、尾崎士郎は指摘している。
 

 私は相撲によって生きている男である。
 若し私の人生に相撲がなかったら、私はむしろ犬になった方がいいと思う。
 これに類似した競技は人間の生息するところには何処にでもあると思われる。
 しかし、これほどまでに力技を魂に還元し、芸術に還元したものがあるだろうか。
 相撲があって日本人が生じたのではない。
 日本人的感情が凝結して相撲が一つのかたちを整えたのである。

  (<相撲>創刊号より)

 昨日白鵬が30回目の優勝を果たした。
 
 彼を含めて今や大相撲の3横綱はすべてモンゴル人である。
 この現状を尾崎氏はどう見るか。
 もっとも、白鵬は今や、日本人より日本人らしい大横綱だが・・・。
 


 ─続く─

なるほど!と思う日々(283)日本人とは(3)

2014-07-27 05:13:10 | なるほどと思う日々
 日韓の関係改善のきっかけになればと、舛添東京都知事が安倍首相の親書を携えて、韓国朴大統領を訪問した。
 
 都知事と大統領の立場からすれば当然かもしれないが、なんか<卑屈>と<虚勢>会談みたいだ。
 相変わらず朴大統領は日本の<歴史認識>に固執している。

 司馬遼太郎は日本には誇るべき歴史があると言っている。
 

 日本の13世紀は、素晴らしい時代だった。
 仏教に、日本的な新仏教が生まれ、彫刻においてもつよいリアリズムが打ち出された。
 それ以上に強烈だったのは、開拓農民の政権<鎌倉幕府>が、関東に成立したことである。
 農地はそれを管理する者の所有になった。
 <武士>という通称でよばれる多くの自作農は<家の子>とよばれる小農民を従えて大きく結集し、律令制という古代的な正統性を楯とする京都の公家・寺社勢力と拮抗し<田を作る者がその土地を所有する>という権利を勝ちとった。
 
 日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどりはじめるのは、鎌倉政府という、素朴なリアリズムをよりどころにする<百姓>の政権が誕生していたからである。
 私どもは、これを誇りにしたい。
 それらは、京の公家・寺社とはちがい、土地の倫理をもっていた。
 はずかしいことをするな、という坂東武士の精神は、その後の日本の非貴族階級につよい影響をあたえ、いまも一部のすがすがしい日本人の中で生きている。<この国のかたち>から。


 さらに日本の歴史を下って、世界に名だたる<サムライ>の誕生についても述べている。
 戦国には日本人はまだ形而上的なものに精神を託するということはなかった。
 人間がなまで、人間を興奮させ、それを目標へ駆り立てるエネルギーは形而下的なものであり、たとえば物欲、名誉欲であった。
 江戸時代に降りるにしたがって日本人は少しずつ変わっていく。
 武士階級は読書階級になり、形而上的思考法が発達し、ついに幕末になると、形而上的興奮をともなわなければかれらは動かなくなる。・・・かれらには戦国人のような私的な野望というものが、まったくといっていいほどすくない。
 人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。
 人はどう思考し行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教である。
 この二つが、幕末人をつくりだしている。・・・
 サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラするのではなく、類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。
  
 <歴史の中の日本>から


 
 ─続く─ 

 昨日は地域の人とのお菓子持参のミニミニ雑談会に参加した。
 猛暑の中、さすが参加者がすくない。男5人と女性ひとりで女性が少ない。
 昼飯を食いそびれていたので、腹の足しにとせんべいを持参したら、ハーゲンダッツを大量に持ってきた人がいて、融けるからと三カップも食べさせられてお腹がいっぱいになった。
 
 住みたい街、トップクラスにランクされたわが街三鷹が最近テレビにも紹介されて話題となる。
 終わってから三鷹中央商店街を歩いたら、夏祭りで鼓笛隊も通ったりして賑わっていた。
 
 
 

三鷹通信(90)プリミバチ

2014-07-26 05:54:39 | 三鷹通信
 梅雨も明け、今や夏真っ盛り。
 昨日は大学同窓会の暑気払いが吉祥寺のイタリアンレストラン<プリミバチ>で開かれた。
 早く着きすぎたので隣接する井の頭公園を散策する。
 豊かな緑と水で暑さが和らぐひとときだ。
 

 <プリミバチ>を訪れるのは何年振りだろう。
 公園を臨む素敵なロケーション。
 

 暑気払いには50人余り、中にはご夫婦での参加も多い。
 有志によるハワイアンの演奏、フラダンスも披露され華やかに開催された。
 
 料理の味も評判通り、なかなかのものだ。
 余禄もあり、ボクにとって久々の豊かな一日となった。

 今、京都祇園祭が真っ盛りである。
 
 31日の疫病神社夏後祭で、ひと月に渡る千年の伝統行事は幕を閉じる。
 ところで、33基ある山鉾の数ある貴重な飾り物のうちに、16世紀ベルギーで織られた国宝級のタペストリーがあることを先日のNHKテレビが報じていた。
 
 世界に一枚といわれるヨーロッパ王侯貴族の金銀入り絨毯だ。
 意外な事実に目を奪われた。
 おそらく、江戸時代日本へ渡来した宣教師あたりから徳川幕府に献上されたものが、種々の経緯で祇園に下されたと思われる。
 他にも分割されて滋賀長山や、金沢の前田家、東京の増上寺などに保存されているそうだ。 
 

なるほど!と思う日々(282)日本人とは(2)

2014-07-25 05:10:01 | なるほどと思う日々
 サッカーの日本代表監督にハビエル・アギレが就任することになった。
 
 彼は課題として<強さと経験不足>を挙げている。
 ドーハの悲劇があって、W杯の加茂監督から急遽監督を引き受けた岡田武史はその経験を下記のように述べている。
 
 このドーハの悲劇によって、日本人にとってのワールドカップは単なるスポーツイベントから、感情移入の対象としての<情緒的ドラマ>に飛躍したのかもしれない。その最たるものは、本大会が近づくにつれ、次第にできあがっていった「いまの日本の実力をもってすれば、一次リーグ突破は可能だ」という空気だ。プロスポーツの世界では美徳とされる、相手を打ち負かし、栄光を勝ち取るという特質が、実社会のなかでは美徳とされず、はじかれてしまうような、日本社会のある限界について、私はやはり考えざるを得ない。


 今回のブラジル大会のザックジャパンにも同じことが言えるかもしれない。
 必勝を期した第一戦、コートジボワール戦で、先制しながらも、一点取り返されると、立て続けに加点され、そのままずるずると、予選を勝ち星なしでひ弱な姿を露呈した。

 こんな日本人の特質を、開高健は<玩物喪志>の中でこんなふうに述べている。
 
 ここに一軒の中華料理店があったとして、もし料理の味がよくなかったら、客はどんな反応を示すだろうか。
 アメリカ人ならさんざん叱言を並べたあげく、勘定をきちんと払い、チップも置いて出て行くだろう。
 フランス人なら勘定は払うけれど、チップはおくまい。
 中国人なら叱言だけさんざん並べるけど、勘定も払わず、チップもおかずに出て行く。
 日本人は叱言もいわずに勘定をきちんと払い、チップもおいてでていくが、二度とその店には戻ってこない。


 かつて、<菊と刀>でルース・ベネディクトは「日本人は恥辱感を原動力にしている」(他人の判断を基準にして自己の行動方針を決める)と書いた。
 
 欧米人の行動の原理が内面にあるのに対し、日本人は外側の基準に影響される。日本人の生活において恥が最高の地位を占めているといことは、各人が自分の行動に対する世評に気を配るということを意味する。

 井沢元彦は日本人は嫌なことには目をつぶる性向があると言っている。
   

 日本人は米を作ってくれた人には感謝せよと言っても、肉を作ってくれた人にはそういう気持ちを持てとは言わない。
 つまり肉を作るには<殺す>という項目が入るからだ。
 そういう仕事は<えた>に押しつけることをしてきた歴史がある。
 つまり行ってほしくないことは考えたくないという性向がる。手を汚すことを嫌う。
 ある意味で<殺す>ことが仕事の軍隊に感謝する気持ちはない。


 ─続く─

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なるほど!と思う日々(281)日本人とは(1)

2014-07-24 05:54:04 | なるほどと思う日々
 「日本語は人格を変える」
 昨日の、呉善花の言葉が気になった方がいらっしゃると思うので、具体的内容を彼女の<スカートの風>から引用する。
 

 韓国の伝統文化に最も欠けているのが無形文化である。・・・李氏朝鮮以来、文化を担うものは、存在感のはっきりした、目に見える物質・肉体・権力──それ以外にはなかった。
 物質としての形の美あってこその文化であり、精神性はあくまでそれに付随する二次的なものでしかなかった。
 日本では、物質や肉体はあくまでも精神を宿らせる、仮の存在とみなされているようだ。たとえば、あの弱々しい天皇がなぜ日本の象徴なのだろうかと、韓国にいる間はずっと疑問に思っていた。
 それが、目に見える存在としての天皇ではなく、日本人の精神文化に深く根ざしたところに由来をもつ、ある精神性の象徴としての天皇だということを知ったのは驚きだった。
 韓国の大統領は精神的な象徴ではまったくなく、はっきりと権力の象徴である。・・・
 古代以来綿々と天皇位が継承されてきたことも驚異的なことだが、さらに恐ろしいのは日本語である。
 なぜなら日本語は人格を変える言葉なのである。・・・
 人格というと気色ばむ人もいるかもしれないが、実際的にはその人の気分を変えるのである。そしてこの気分のなかに<日本>がいっぱいつまっているのである。
 それを知らなかった私は、確実に<罠>にはまってしまったように思う。これは実に恐ろしいことである。
 韓国語にはそうした<危険性>はない。テクニックとして覚える韓国語で充分通用させることができるからである。
 しかし日本語は、文法や言葉の意味をいくら覚えても上達することがない。
 ほんとうに上達しようと思えば、意味ではなく<言わんとするところ>を悟るセンスが必要となる。記号としての言葉ではなく、そのもうひとつ奥にあるとでも言うべき、ある種の沈黙に触れなくてはならないのだ。そのへんの日本語のあり方に気づいて突っ込んで行こうとすれば、これは日本的な非論理的思考そのものをたどることになる。
 だから、どうしても理論ではなく、話す相手から伝わってくる気分の流れに乗せられて行く先に、<わかる>という体験をするしかなくなる。つまり自分の気分を変えなくては、<言わんとするところ>がわからないのである。
 この<わかる>体験がある程度習慣となったときに、人はきっと日本人になるのだ。
 日本語はおそらく、想像もつかない歴史的な重層構造、民族的な多重構造を入り組ませて形づくられてきた言語である。直感的にそう思うにすぎないのだが、日本列島の地理的な位置と歴史的な連続性から言っても、充分そのように想像できるのではないのだろうか。


 そして彼女は日本理解に貪欲になり、ほとんど抵抗なく受け入れることができるようになったが、日本の<伝統いけばな>だけは容易に入っていけなかった、つまり理解できなかったという。
 花ならば、すぐに目を引く鮮やかさを愛でる韓国的なセンスから言えば、日本の<伝統いけばな>は、いかに目立たないかに工夫を凝らしたとも言いたくなるような、地味なものだと言う。
 
 

 日本の<伝統いけばな>を見て、美しいと感じるようになったのは、日本に来て5年ほど経ってからのことである。・・・あるとき、いけばなの美はその奥行きにあると感じ、そこから私の前に突然美があふれ出てきたのである。
 清楚なる存在へのいとおしさ、静と動のバランスがかすかに崩れた構成の美、生の花の由来を忘れさせてくれるもうひとつの自然世界、たおやか、しなやか、すずし、侘し、つまし、など、やまと言葉でなくては形容不可能な古趣の味。すべてが感受できるとは言えないが、いまの私は日本の伝統いけばなに、惜しみなく愛情をそそぐことができている。・・・
 伝統いけばなの美が日本を理解する最後の難関として私に残ったのは、その美が日本人の意識の、相当に深いところで感じられているからであるような気がする。
 うまく言えないのだが、日本のいけばなは<不安な存在>である。形も色も明暗も全体の姿もすべてが不安である。韓国の花はどっしりとした安定感をもっているし、それは西洋のフラワーアレンジメントでも同じことだ。日本は韓国と比べれば安定の国ではないのか。その美的表現がなぜ不安になるのか。・・・不安は優しいのである。そして、不安は精神を動かさずにはいかなし、安定はややもすれば精神の眠りを誘う。


 呉善花さんはついに日本人になってしまった。(日本国籍を取られている)
 このように日本のあるいは日本人に対して、良きにつけ悪しきにつけいろいろな人が語っている。それは明日。。。。
  

なるほど!と思う日々(280)サル学と言語ゲーム

2014-07-23 05:42:08 | なるほどと思う日々
 「ピグミーチンパンジー」という著書のある自然人類学者黒田末寿氏は、サルの観察について言っている。
 
 
 サルの群れに近づいていくと、最初、向こうは全く異質なものとして受けとり逃げていくわけです。それでもこっちは森のシカや木のようについていくと、何とか許容されるようになる。最後に、サルに攻撃されます。攻撃されたときに、逆にわしの方が偉いのだとガッと怒る。攻撃されるようになると、かなりサルに近いところにいったということです。しかし、いつまでも最下位のサルの状態ですと、群れの中を自由に動き回れないということがあって、わしのほうが偉いというところで頑張っておいて後はしずかにしておく。そうなると、発情した若いメスがほれておしりを向けてくるという段階になります。これはニホンザルの場合で、チンパンジーの場合は、観察者は自分たちとは異質のものであるということうはよく認識しています。ですから、チンパンジーの行動をみるときは、こちらが影響をあたえている、いつまでも違和感をもった存在としているんだということを、より強く考慮しなくてはなりません。 
 いずれにせよ観察対象と干渉をおこしているのは確かですが、サルに受け入れられた後はなるべくサルに干渉しないようにしていると、そのうちサルのほうが僕らを無視するようになってきます。

 この動物行動学的なアプローチとは別に、実験室的にサルの精神の働きとか脳の働きを解明しようというアプローチもある。

 チンパンジーやゴリラに身振りを教えたり、カードを使って、人間とコミュニケートする方法を教える実験がある。これは人間の伝達手段を彼らに訓練したわけですから、そこから得られた結果はどれほど彼らの本来のものであるか、ちょっと問題ですが、すごい能力を持っているということはわかります。ですから、僕たちが野生のサルやチンパンジーをみるときにも、もっと同化して彼らの内面をのぞくような方法論をもたなければ、本当の理解ができないのではないかという気がしています。
 
 外国語を学ぶ場合、サル学と同じような問題があることを哲学者、浅田彰氏は指摘している。
 つまり言語を含む活動様式の総体である、ヴィトゲインシュタインいうところのあいまいな<言語ゲーム>を共有するしかない。
 
 たとえば日本語を学ぶ場合、自転車に乗るとか水泳をするとかいうのと同じで、実際に自転車にまたがったり水に入ったりするようにして、実際に日本人コミュニティーの活動様式のなかに入っていき、身をもってそれに慣れていくという形でしかあり得ない。
 
 しかも、「あなたがうまくコミュニケートできないとすれば、それは、言語ゲームを共有していないからです」というネガティブな言い方はできても、「日本語の言語ゲームとはこれこれこういうものであり、これさえ共有すればうまくコミュニケートできます」というようなポジティブな言い方はできない。・・・
 
 現実には、あくまでも非常にあいまいな言語ゲームの共有ということしかあり得ず、その場合には、外的観察者はもちろんのこと、内部にいる人にすら完全な共有という客観的保証は永遠に与えられることがなくて、とりあえずうまくいっているところまでしか言えないわけです。
 

 呉善花さんが<スカートの風>の中で言った「日本語は人格を変える?」という言葉を思い起こした。
 

 モンゴルとの間でEPAを締結。
 

 その昔、元寇に襲われ、今は大相撲を席巻されている相手。
 千年の恨みを超えて抱擁!

三鷹通信(89)第8回読書ミーティング

2014-07-20 04:41:22 | 三鷹通信
 今回の読書ミーティングは、特に講師からの推薦本が多く、10冊以上、予定時間をオーバーして3時間強の充実した内容でした。
 伝えきれませんが、以下ざっと羅列的に紹介いたします。

 <今月のベストセラー>
 東野圭吾<虚ろな十字架> 
 
 今や我が国売上ナンバー1の作家だ。
 なぜ売れるのか?
 1.読みやすい文章
 2.わかりやすい話(死刑は無力だ! 社会的テーマを取り上げアピールする)
 3.努力する人物(ひたむきに世のために尽くす罪を償う人の話)
 4.意外な展開(殺人の結末には動機と偶然が何重にもなっている)
 5.図書館に愛される作品(彼の作品は図書館に大量にある)

 <ベストセラーニュース1>
 *韓国で東野圭吾人気急上昇! 村上春樹を抜く。
  
 
 
 韓国の書店では日本コーナーが幅を利かす。
 (慰安婦問題では日本は不評のようですが、日本文化は韓国内で愛されている?
 韓国における翻訳文学書、日本35%で、アメリカ21,4%、フランス12.5%を上回り断然トップ)

 <エストセラーニュース2>
 *ビジネス書は爺の天下!
  (ビジネス書2014年度ランキング上位5冊は古典のリバイバルと焼き直し)
 
 フランクリン・コービー監修・小山鹿梨子<まんがでわかる7つの習慣>
 
 (目次)
 1.主体性を発揮する(自己責任)
 2.目的を持つ(自立)
 3.重要事項を優先する(自己管理)
 4.Win-Winを考える(人間関係)
 5.理解してから理解される(感情移入)
 6.刃を研ぐ(常時向上システム)

 岸見一郎、古賀史健<嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え>
 
 「トラウマ」の存在を否定した上で、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言。対人関係を改善していくための具体的な方策を提示。

 松下幸之助<道をひらく>
 
 著者自身の体験と人生に対する深い洞察をもとに綴った短編感想集。

 轡田隆史<「考える力」をつける本>
 
 身近な日常、自分の周りの狭い世界がより広い世界へつながっている。
 発想のための日々の心構えを学ぶ。

 守屋 淳<最高の戦略本 孫子>
 
 時代を超えて世界の経営者に愛される「孫子」の兵法。

 <ベストセラー・ニュース3>
 *日本のサッカー選手、「サッカーより作家か?」
 (代表メンバー23名の内11人が本を出している)

 長谷部 誠<心を整える>
 
 累計200万部を超える大ベストセラー。ちなみに長谷部選手は印税全額を東日本大震災の被災者のために寄付した。

 長友佑都<体幹トレーニング>
 
 小さな身体で頑張っている。サッカー選手は小さくても世界で活躍している選手が多い。
 メッシとか、ネイマールとか。

 <ロングセラー>
 夏目漱石<ぼっちゃん>
 
 江戸っ子の正義、友情、愛がテーマ。(正義、友情、愛は少年ジャンプと同じ)
 現在、朝日新聞に1位の<こころ>が100年ぶりで連載されるなど、漱石ブームに乗っかって、現在第4位に浮上。
 海外でも90年代以降の漱石評価に拍車がかかり、なんとスペインでは村上春樹に続いて、漱石ブームになっているという。

 岡本健太郎<山賊ダイアリー>
 
 乗り物好きの鉄ガールからの推薦本
 自らも狩猟免許をもつ著者自身の体験をもとにしたマンガ。
 ついに推薦者も刺激されて狩猟ガールにチャレンジ?
 

 猟銃免許を取るにはたいへんな障壁があるようで・・・。
 膨大な申請書類、持つに足る人物かのチェック、操作技術、多額な費用等々。
 取得してからも種々の保管義務とか・・・。

 上村勝彦訳<バガヴァッドギーター>
 
 ヒンドゥー教の重要な聖典のひとつ。
 インド人にとって一種のバイブルのような存在。
 叙事詩「マハーバーラタ」(バラタ族の戦争に関する大叙事詩)の一部で日本の「平家物語」に似ている。
 目的に向かって全力を尽くすが、結果に執着しない」ことの教え。
 オリンピックでメダルの受賞はなかったが感動を呼んだ浅田真央選手が一つの例として挙げられるかな?
 
 ちなみにこの本の推薦者はヨガの指導者である。

 田岡信夫<実践ランチェスターの法則>
 
 戦争を兵力数や武器性能などのファクターをもとに数式で分析したのが本来のランチェスターの唱えた法則である。
 それを田岡信夫は販売店などの顧客開拓、販売シェアの拡大といったビジネスに当てはめて展開。
 一点集中戦略とか、地域限定販売戦略、商品の差別化とか・・・。

 例えば、味の素が当時キューピーの牙城であったマヨネーズの市場に参入する時、弱者としてとった戦略がある。
 つまりマヨネーズが酸っぱいから嫌いという消費者にターゲットを絞り、酸っぱくないマヨネーズを開発して成功を収めた。
 
 推薦者はこの本に、企業人としての生き方を左右する生き方のヒントをもらった。
 当時50名ぐらいの小規模の商社に入社。
 高度経済成長下、大商社を真似て、接待や先行投資などユーザーにおもねる商売形態で売り上げを伸ばしていた。
 ところがオイルショック以降売り上げが停滞、たちまち経営が悪化。
 たまたまアメリカの同業者が、営業マンを必要としないカタログ商売を目の当たりにして、 大商社とは異なる扱い商品の差別化、細かいものをカタログにしてユーザーに提供する方式に小企業の生き方のヒントをもらったのだ。

 竜田一人<いちえふ>
 
 「いちえふ」とは1H、福島第一原発の通称。
 そこで働く作業員が描くルポマンガ。
 外から見ているととてもひどい作業内容だと思われるが、放射能に気を使いながらも意外と淡々と仕事をこなしている。
 
 いわゆる「フクシマの真実」ではなく「フクシマの現実」だ。
 いたずらに危機感をあおるのではなく、データから検証して抜本的対策を取るべきだと推薦者は述べている。
 
 
 
 
 

エッセイ(213)人類は文明の進化路線に逆らえるか(49)事故の発明

2014-07-19 03:34:52 | エッセイ
 マレー航空機がウクライナ上空で撃墜された。
 
 ウクライナ軍と親ロシア派との戦闘の中で生じた悲劇だ。
 ロシアの地対空ミサイルで誤って撃墜されたのだろうと言われている。
 

 26年前、ペルシャ湾のアメリカイージス艦にやはり誤って撃墜されたイランの民間機の事故を思い起こした。
 

 その昔、冷戦時代、いわゆるキューバ危機で、ソ連の潜水艦が危うく核兵器をぶっ放すところを潜水艦副艦長の必死の説得で、艦長が思いとどまったという事件があった。
 
 もし、艦長の判断が実行されていたら、今ごろ世界はどうなっていたろう。
 (・・・エッセイ(210)悪魔の兵器・・・を参照ください)

 フランスの思想家、ポール・ヴィリリオに言わすと、「文明は事故を発明した」のだ。
 
 兵器による事故のみならず、チェルノブイリや福島の原発事故など、さまざまな事故が続発している。
 
 これらは偶発的なものではなく、技術にとって本質的なもの、<根源的な事故>、キリスト教でいう<原罪>にならって、<原事故>とも言える。
 <技術文明>は<危険文明>でもあり、<生産様式>は<破壊様式>でもあるのだ。

 兵器は次々と複雑化し、自動的なトレンドイノヴェーションが進化、恐竜のように袋小路に入ってしまうとヴィリリオは警告している。
 軍人たちは巨大で複雑な装置を盲目的信頼しているものの、いざというときそれを使いこなせるかどうかはわからない。
 上記の事故の例のように、ディスプレイ上の膨大な情報を眺めながら、将校には判断する時間がない・・・。
 
 人類は、その<根源的な事故>を解決する見通しもなく継ぎ接ぎの対策で対応するしかないのか?