昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの憂鬱(16)新入社員時代(9)

2011-08-13 05:37:10 | 昭和のマロの考察
 若い男は部屋の奥の大きなデスクに対面した真新しいスチールデスクにぼくを導いた。
 書類など物がいっぱい積み上がって雑然とした他のデスクの中で、それは、さあどうぞいかようにもしてくださいというように、ピカピカと光っていた。

 ぼくが席に座るや否や、去って行った男と入れ替わりに、長い髪を後ろで束ね、目が大きくて切れ長な美しい女性が突然というように現れた。一瞬、場違いなのではと思ったが彼女の行動がまたぼくの心を動揺させた。
「はい、どうぞ」と彼女はぶっきらぼうに言って、事務用品の入ったボックスを投げ出すようにドスンと真新しいデスクに置くと、長い首を立てて、ハイヒールの音を高くして去って行った。
 首から腰、足首へと流れるようなラインの後ろ姿がぼくを挑発していた。
 ・・・社長に望まれて入社した誇りなんて何の役にも立たないわよ・・・と言っているように。

 ぼくは気持ちを静めて辺りを見回した。
 大きなデスクの背後、ガラスで仕切った大きな個室が見える。
 中腰になって忙しそうに手を動かしている偉そうに見える男がいる。
 ・・・まるで水族館のピラニアみたいだ・・・ 
 小柄で、目の大きい頬の痩けた男は、市岡専務だとすぐ分かった。
 このまま、放置されっぱなしという屈辱には耐えられないので、ぼくは敢えて自ら挨拶のため、個室の扉を開けた。

「あ、キミか・・・」
 今初めてぼくの存在に気づいたというように専務は言った。大きく深く響くような声だった。
「市岡です。今すごく忙しいんですよ。猫の手も借りたいくらいにね・・・。よろしくお願いします」
 ぼくの挨拶を遮るように、それでも、丁寧な言葉づかいで締めた。
 目つきの鋭いこの男はやはり市岡専務取締役営業部長だった。社長のつてで入社したぼくに、専務は薄い唇をゆがめて笑顔を作り、塩辛声で慇懃に応えた。

 しかし、出かける準備のために手は休みなくデスクの引き出しとアタッシュケースの間を往復し、もう目は笑っていなかった。
「おい、佐藤! 出かけるぞ。村山工場の荻野主任にパーツフィーダーの見積書を忘れるな」
 書類を収めたアタッシュケースを手にするとぼくを専務室に残したまま、さっき案内してくれた若い男にだみ声で声をかけた。

 ─続く─
 

なるほど!と思う日々(212)日本人(43)

2011-08-08 06:33:49 | 昭和のマロの考察
 国家間の紛争は、ちょっとした個人的行動や発言によってすぐ火がつく。
 「自民党員の鬱陵島訪問に対する韓国の入国拒否」 
 「フジテレビは韓流偏重じゃないか」という俳優高岡氏の発言によってそれぞれの国民感情に火がついた。

 韓流ドラマのみならず、KARAや少女時代や、イケメングループが大挙日本に押し寄せ、両国ともに平穏でご満悦なこのところのムードに水が差された。

 皮肉なことに今回の事件で対象になったフジテレビで一昨日、石原慎太郎氏と藤原正彦氏との<日本の進路>に関してのインタビューが放映された。
 その中で石原慎太郎氏は「国は国益に基づき行動し、それぞれを敵視しているのが現状である」という趣旨の発言をした。
 特に経済問題に関しては顕著であり、円高という理不尽な現状は、リーマンショック後アメリカを始め世界の大国は大量に紙幣印刷輪転機を回したのに日本だけがインフレを怖れて回さなかった。
 もう、バカに近い甘い姿勢が原因であるという指摘をした。
 
 いずれにせよ、日本は戦後アメリカの妾に成り下がり、我欲のみがはびこり、国民としての責任感も自信も喪失していると厳しい。

 <今後の日本の進路>を問われた石原氏は、高い技術を持つ日本は原爆を超える兵器を開発し保有することで<腕力>を持って各国に対峙するしかないと述べた。
 そして、なでしこジャパンの澤選手の「苦しいときは私の背中を見なさい」と言った澤選手の言葉を日本を率いるリーダーに贈った。
 

 藤原氏は宮間選手が見事な足さばきで同点にした後も浮かれることなく、厳しく次の点を取りに行った姿勢が日本女性の諦めない精神を示してい素晴らしかった。
 
 そして、歴史と伝統に学べば、日本人の美的感受性と美しい自然を守る力のあることが感受でき、自信を持てれば現状の苦難も一気に克服する力があると語った。
 


 
 

昭和のマロの憂鬱(5)プロローグ(5)

2011-07-25 06:05:03 | 昭和のマロの考察
「今日は夕焼けパーティーを開くか」
 大きな物件を受注してご機嫌の専務は、朝出がけに川田に言い残していった。
 いつも怒鳴りつけ緊張を強いている営業部員を、たまには緩めてやる必要があると思っているのだ。
 ビールを買ってこさせ、会議室でみんなと雑談を楽しむ。
 見かけからは意外だが、石岡専務はそんなに酒を飲まない。
 そんな専務に配慮して川田たちはおつまみに乾きものだけでなく、焼き鳥やシュウマイ、海苔巻なども買ってきた。

 専務はもっぱらおつまみをつまむ。
 酒を飲まない専務が同席だとなかなか会話が弾まない。今日も専務が口火を切った。
「この間、たまたま電車に乗ったら、経理の桜田くんに会ったよ」  
 普段は運転手つきのデボネアに乗っている。たぶん運転手の岸田さんが休みだったのだろう。

「トランジスタラジオを聴いているから、何を聞いてるの?って聞いたら言わないんだ。ポット顔を赤らめて、イヤホンを外しちゃうんだ。かわいいよね」
 細身だが、腹腔を響かせてしゃべる専務の声は、怒鳴るときはたいへんな威圧だが、穏やかにしゃべるときは聞くものをホッとさせる癒しの力がある。

「いまどき、話しかけられてポット顔が赤くなる女の子なんている? こんな子が埼玉にいるなんて奇跡だぜ」
 川田がすぐさま割り込んできた。桜田は大宮から通っているのだ。
「なんで埼玉に住んでいたら奇跡なのよ!」三上が口を尖らせた。
「ダサイタマ・・・」

「そういえばさあ・・・」
 ビールをちびちび飲んでいた猪熊課長が猫背気味の上半身に載っかった、年の割に、まだ40歳前だというのにしわの多い顔を前にせりだした。
 いつものように眉間にしわを寄せて、いささかどもり気味にしゃべり始めた。
 しかし、この人のしゃべりは簡潔でざっくばらん、しかもセンスある言い方なのでみんな耳をそば立てる。

「バレンタインのとき、オレにチョコくれたんだよね・・・」
 バレンタインに女性から男性にチョコを贈るというのは最近始まったばかりだが、森永などの菓子メーカーが新聞に大きなキャンペーン広告を出してこのところ急速に会社の中でも流行りだしていた。

「義理チョコね」川田が茶々を入れる。
「あの日、朝早く営業部へ来て川田と司に『これ作ったんですけど、うまくいかなくて・・・』とか言いながらチョコを渡してるんだ・・・」
 課長は川田を無視してしゃべりだした。
「川田が『オッ! やったね。お前はエライ』とか言ってね」
 川田の方を非難する目でちらっと見た。
「いやあ、若いやつはいいなあと横目で見ていたら『課長さんもどぞ』ってオレにもくれたんだ」
「課長! それはついで、さっちゃんが作り過ぎて・・・」
 横からしつこく口を出す川田をなぎはらうように手をふって遮ると続けた。
「なにはともあれうれしかったね。川田のやつが『エッ! お父さんにもあげるの?』なんてほざきやがったけどね」
 猪熊課長のいつも笑わない目が細くなった。

「いやあ、あの子は若いけど礼儀正しいし、仕事には真剣に取り組むし、親御さんの教育がよかったのだろうね・・・」
 市岡専務がそう言ったとき、上から階段を下りてくる靴音がコツコツを聞こえた。
 うわさの主、桜田幸子だ。

 ─続く─


エッセイ(78)世界遺産登録

2011-06-29 05:32:41 | 昭和のマロの考察
 <小笠原諸島>と<平泉文化遺産>が大震災で苦難のこの時期に期を一にして世界遺産に登録された。
 
 明るい話題として、現地のみならず日本全体が沸き立っている。
 特に震災地東北地区では、落ち込んでいた観光事業再生のきっかけになるのではと期待されている。
 
 しかし、世界遺産<プレアビヒア寺院>周辺の国境未画定地域の領有をめぐってカンボジアと対立するタイ政府は25日、世界遺産条約からの脱退を決めるという事件が起っている。

 世界遺産の指定を受けた現地では、観光地としてのお墨付きを得たかのように受け止めているが、それにより保護を第一優先にする世界遺産の趣旨が損なわれているという現実もある。
 <白川郷>のように過疎の村は観光地となり、土産物屋街に変貌してしまった。
 
 またイタリアのように世界遺産を多数抱えるところでは、保護予算が追い付かず、 ポンペイのように遺跡が崩れ落ちる危険性があるため禁止地域を設けなければならないところも増えている。
 もう5~6年前になるが、イタリアの保護地区の住民は、重い水を階段で運んだり、冷房もない昔の生活を強いられているという実態も見た。

 世界遺産に指定された地域の人たちが潤うとともに、みんなの大切な遺産として保護されることを願うものである。

昭和のマロの考察(124)女と男(31)

2011-04-26 06:17:38 | 昭和のマロの考察
「・・・僕はこれからの時代を根底から動かしていくのは女性の力だと思っている。
「それは、女性がリーダーシップを取るという意味ではない。幕末であれ平成であれ縄文であれ、いつの時代もすべての男は女から生まれ、女に育てられてきた。 いつの世もスタートラインは女性なのだ。
 社会の表舞台で直接世の中を動かすことだけが時代を動かすことではない。
 今を動かす力を持っているのは女性だけだ」


「<育てる>とは、<親として育てる>ことに限らない。姉として、伯母として、恋人として、妻として、友人として、いかなる形であれ、男に関わり、男をひとかどの者にしていくのは女の<育てる力>なのだと僕は思っている」

「自分の過去を振り返っても、小心者で臆病で根性なしの自分に、自信と誇りと勇気を与えてくれたのは、祖母や母をはじめとした女性たちだった。
 大仕事をやり抜くための痩せ我慢も背伸びも大風呂敷も、表向きは世のため人のため己のプライドのためであり、それは一面の真実ではあるけれど、その裏には必ず、愛する女性に認められたい、褒めてもらいたいという思いがあった。
 この思いを、軟弱であると笑わば笑え」


「愛する女性に認められたいという私的な気持ちを、世のため人のためという公への気持ちに昇華させてこそ男であると僕は信じている。
 私的にどうしようもない男は、世の中のお役に立つことでしか、育ててくれた女性へのご恩返しができないではないか。これは居直りではなく哀しみだ」


「だから平成の大和撫子たちにはお願いしたい。
 己の命を公のために捧げる志をもった男には、際限なく愛情を与えていただきたい。どうしようもないところには目をつぶって、加点評価を心がけていただきたい。

 ただし、言行不一致があったときは厳しく戒め、その度量と覚悟と胆力を大きく育てていただきたい。
 男は女の育て方ひとつなのだから。

 (原 伸介・ジャパニスト2011.No.8、巻頭エッセイ)より。
 

 *原さんは、今から16年前、22歳の時出会った炭焼きの師の生き様に一目ぼれして弟子入り、現在独立して原木の伐採から搬出、炭焼きまですべて独りで行うかたわら、職人・一次産業の魅力と日本の精神文化の素晴らしさを若者に伝える活動に命を燃やしている。

 

昭和のマロの考察(123)女と男(30)

2011-04-25 08:42:47 | 昭和のマロの考察
 <女と男>という関係で身につまされる記事を目にした。


ーー心底、「どうしようもない男」だと思う。
 非常識で世間知らずで方向音痴でワガママで、気まぐれで道楽者で根性なしの怠け者でええかっこしいで酒好きで・・・。




 以前、このどうしようもない男がどうしようもなくなって引きこもったとき、それでも何も言わない妻(カミさん)に不安を感じて尋ねたことがある。
「オレガ何もしないのに、どうして何も言わないの?」
 彼女の答えはシンプルだった。
「だって何も期待していないもん」
 期待値が元々0だから、評価はプラスのみになる。
 何とも賢くも慈愛に満ちた<究極の加点評価>であろうか。


 カミさん語録をもうひとつ。「あなたはワガママで行動が突飛で極端で、色々やらかすどうしようもない男だから、マイナス99点。それでも調子に乗った時は天才的な仕事をするから、プラス102点。差し引き、プラス3点。まあ、かろうじてプラスだかr、よしとしよう」
 雲間から差し込む一条の光を見た思いだった。


 さらに、師曰く
「相手をどうにかしようとするから疲れるんだよ。すべては自分の問題」
 こんなに身近にお釈迦様がいることに、どうして気づかなかったのだろう。
 そう、すべては自分の問題。自分を怒らせる相手がいけないのではなく、腹を立てる自分の器が小さいのだ。


 求めない(期待しない)こと。
 相手を責める(減点評価する)のではなく、良いところを見つけて(加点)評価するよう心がけること。
 世の中すべての問題を自分の問題として引き受けること。
 これだけで、男と女の関係は驚くほどうまくいく。我が家で実証済みだ。
 その証拠に、先日、カミさんが、飲みながらしみじみと褒めてくれた。
「どうしようもない男と一緒になったことで、あきらめることが幸せへの近道だと悟らせてもらったよ。おかげさまで、随分成長させてもらったなぁ。ありがとう。私、今なら誰とでも一緒にやっていける気がする」
 手放しで喜べなかった。


 だれの文だって? それは明日に・・・。

 ─続く─



  

昭和のマロの考察(122)文明(12)

2011-01-16 06:54:03 | 昭和のマロの考察
 我々は人間の叡智を信じ、次々と繰り出される科学の恩恵に浴し、その輝かしい文明に酔ってきた。
 しかし、ここへ来て何かちょっと変だぞ?このまま前へ前へと進むばかりでいいのだろうか? いわゆる<公害>
とか<耐性菌>とか目に見えない人間に対する抵抗勢力の存在を意識するようになってきた。

 立花隆氏は<文明の逆説>と題して痛烈な警告を発している。

文明は人間をとりまく環境を激変させつつある。ところが、その変化は、ヒトの適応能力を上まわっている。環境の変化とヒトの適応能力との格差、これが公害として現象している。
 文明のはじめは農耕技術の獲得だった。農業の最も原始的な形態は焼畑農業である。一度焼畑として利用した場所に草木が再び生い茂り、地力が回復するまでには、10年前後の時間を要する。
 焼畑農業が文明の性格を象徴している。文明は収奪するのをこととしてきたのだ。が、自然は有限なのである。人間はたびたびその有限性に突き当たってうろたえたが、それを文明の技術によって切り抜けることができた。もはや焼くべき原野がなくなったとき、固定した畑地に肥料をほどこすことを覚えた。自然物を利用した肥料だけで足りなくなったとき、化学肥料をつくりだした。


繊維が足りなくなれば、合成繊維を、皮革が足りなくなれば合成皮革を、木材や金属に代えてプラスチックを。我々の周囲をちょっとながめただけで、人類の生活がもはや自然物の利用だけでは、たちゆかなくなっていることがすぐにわかる。合成化学の進歩、これこそ自然の有限性を突き破る人間の知恵だと思われた。しかし、ここに大きな錯覚がある。

自然の有限性に気づき、たびたび自然の収奪に反省を加えた人間も、水と空気、こればかりはその有限性を思ってもみず、収奪を重ねつづけてきた。が、ここにきて、大気汚染、水汚染という形で、その有限性の壁に突き当たって、人類は愕然としている。しかも、この汚染の多くが自然がこれまで知らなかった化学物質によるものであることに大きな問題がある。

ヒトをはじめとする生物体は、そうした天然にない物質に対して適応力をもたない。これが、農薬による生物系の破壊、食品添加物渦、合成洗剤渦として現象している。環境破壊は局地的な問題ではない。すでにグローバル(全地球的)なっている。たとえば、気候の変動さえもたらしつつある。・・・

文明は人類の遺伝にも影響を与えている。突然変異の増大がそれだ。・・・原子力産業の放射性廃棄物などの人体への遺伝的影響についてはよく語られてきた。しかし、化学物質による突然変異の危険については、あまりに知られていない。
 薬品、殺虫剤、繊維処理剤、食品添加物などの中に無数の突然変異誘発作用のあるものがある。・・・


もう一度繰り返そう。我々人類の運命を決めるのは、我々自身だ。まだ、我々に選択の余地が残されている。しかし、間もなく、このままいけばもう引き返すことができぬ地点まで行きついてしまうだろう。

昭和のマロの考察(121)文明(11)

2011-01-14 05:22:20 | 昭和のマロの考察
 昨夜は隠遁の身としては久しぶりに若い人たち?に誘われて午前様となってしまった。

 タテさんのミニミニ講座の新年会に参加したのだ。
「三鷹の市民活動は全国的にも知られるところですよ。知らないんですか?」
「地域の方々を元気にしたいんです」
「地元大学のお仕事に関わっていて、特に男の子が心配なんです。やりたいことが見えていないようで」
「小学生とシニアを結びつける課外活動の点で三鷹は有名ですが、より大きい子たちを大人たちとコミュニケートできるように巻き込んでいきたいんです・・・」
「子どもたちにお仕事というものがどんなものか、実際に体験させる活動も始まってます」
 他にも有機栽培に情熱をかける農園経営者やそのお友達、そしてこんな大人の会に小学生のお子さんをお連れになった、地元のお子さんたちを楽しませる活動をされているお母さん。
 元気いっぱいの彼女たちは自分たちのことを3未亡人?と言ってかっかと笑っていた。

 町内会のお付き合いのほとんどないぼくは、特に女の方の熱気に圧倒されるばかりだった。
 理想論にうつつをぬかし、足元が地に着いていない自分自身を実感させられたひと時でした。

 ただ、ぼくの今やれることは、年寄りなりに、長年なるほど!と見聞きしたことをみなさんにお伝えしていくことかな、などと思っているのだが・・・。

 さて、文明を語る上で、立花隆氏の<文明の逆説>を取り上げないわけにはいかない。
 
公害論議があいかわらずさかんである。しかし、その論議はいささか現象面に偏しているのではなかろうか。・・・そのあおり方を見ていると、真の危機意識が欠けているのではないかと思われるふしがある。・・・公害問題を考えるにあたって、はじめになすべきことは、人間が何よりもまず、一個の生物としてのヒトでしかないことの再認識だろう。人間たちが作った文明が、ヒト属の生物を危機におとしいれている。これが公害問題の底に横たわる基本的な構図である。・・・

人間の適応能力は極度に低い。
 温度、気圧、酸素濃度、摂取植物──どの一つをとってみても、ヒトの生息が可能な範囲は狭すぎるほど狭い。それを文明が作り出した人口環境によって次々と拡大してきた。 いまや人類は生息圏を地球上にあまねく広げた。あまつさえ、宇宙圏にまでそれが拡大されようとしている。文明は人間に行くとして可ならざるところはなきがごとき幻想を与えた。
 さかしらぶった人間は、ほとんど自分がヒトであることを忘れかけていたようだ。
 ・・・現実には、はるか昔に終焉していたと思われていた自然との闘いが再び人類の主要な問題になってきたようだ。いま、人間は、征服したと思っていた自然から、見事な反撃をくらいつつある。・・・


 ─続く─ 

 

昭和のマロの考察(120)文明(10)

2011-01-13 06:36:35 | 昭和のマロの考察
 阿久悠氏の本を読んでいて、こんな箇所にぶつかった。

若者たちを思想なきデラシネにしている因は何か、価値なき魂の漂流をさせているのは何か・・・かつてあって今なくなってしまっているもの、そしてなくなっていることに不便を感じないような、ごくごく精神に関わるものは何か、
 ・・・ぼくらが少年の頃は、父や先生や名もなき職人たちからボソッと語られたそれらを命綱のように摑んで大人になろうとしたものである。大人になるとは、大人の持っている知恵の存在に気がつくことで、昨年何気ない戯言だと思っていたものが、今年は光り輝く人生の言葉として胸に響くのは、ぼく自身の成長と評価していいものであった。


日本の若者、特に高校生が世界の中でもきわめて特異な存在であるということが、何かの調査で判明、それについてちょっと語られていた。たしか、アメリカ、中国、韓国の同世代との意識の比較であったと思うが、それはまことに憂慮すべき、いや、驚愕すべき結果であったように記憶している。・・・
 たとえば、学校観、社会観、家族観、それぞれに対する質問でも、学校の価値を考えるとか、社会との関わりを思うとか。家族の意義を検証するとか、そういう姿勢が全くないように思えるのである。
 ただ、自分の気分を答えとして出している。「別に」とか、「どうってことはない」という日常語と同じで、<今>と<自分>以外のものが思考の軸にない若者をどう見つめてあげればいいのだろうか。


たとえば、こういう比喩だと危機感が伝わるであろうか。 
 土を休ませることなく痩せに痩せさせた畑に蒔かれた種子、当然のことに成長の栄養もなく、結実の精気もなく、ヒョロリとした茎と萎びた葉が風にそよいでいるさま。
 そして、やがて<今>を過ぎた<明日>に枯れることを承知している植物。
 それが若者たちの意識から見えてくる姿である。なぜこのように人を育てる畑は痩せたか。  (阿久悠<清らかな厭世・・・言葉を失くした日本人へ>より)


 たしかに日本の現状を憂うものである。
 しかし、はたして痩せた畑は日本だけの問題なのだろうか。
 日本の若者の問題はそれなりに考えるとして、もっと大きな観点に立つと、我々がどっぷりと浸っている<文明>に問題はないのだろうか。
 
 ハワイの博物館に<人類の墓>がたてられた。
「この種属は2万年前に生まれ、非常に繁栄したが、自らのつくりだした廃棄物と有害物と人口のために、2030年に滅びた」

 ある意味豊かな生活に慣れきった日本の若者は、無意識のうちに絶望的な未来を感じ取っているのかもしれない。

 いたずらに悲観的になる必要はないが、現実をしっかり見る目をもたなければならない。
 明日は、今日の<文明>に強烈な警告を発している立花隆氏の言葉に耳をかたむけたい。

 ─続く─

昭和のマロの考察(119)文明(9)

2011-01-11 05:54:32 | 昭和のマロの考察
 山本夏彦氏に言わすと、だいたい人間は欲張りでしかも悪知恵をも厭わないと言っている。
 文芸春秋2000年3月の群ようこさんとの対談から引用してみる。

馬は生まれたらすぐ足を踏みしめ踏みしめ立ちます。人間は立つまで、口をきくまで何年かかるでしょう。人類は誕生直後にどうして滅びなかったのか、ふしぎですよ。
襲われる可能性はあったでしょうにね。
火を使うようになったら、勝てたのはわかるけど、火を発見する前になぜ滅びなかったんでしょう。・・・だから火をつかうことを覚える前に、どうして滅びなかったのかまだわからないけれども僕は知っている。人間が生き延びたのは悪知恵のおかげなんですよ。
悪知恵?
僕は<日本共産党宣言>の向こうを張って<日本植物党宣言>を起草したことがあるんです・・・。
<日本植物党宣言>にはどういうことをお書きになったんですか。
陰に陽に人間の悪口を書いたんですよ。獣はお腹がいっぱいなら食べることがない。今、お腹がいっぱいなら、目の前にシマウマが通っていようと、何が通っていようと、飛びかかることはないんです。
ええ。
だから、まず蓄えるということがいけないんです。これが人間が生き延びた一つですよ。
人間は貪り蓄えるからいけない。


 ジャン・ジャック・ルソーが言った<人類が柵をつくるようになったときに生まれた文明>への批判なんだ。

そう。それから<諸悪の根源は移動することにあり>。動くからいけない。植物はスクッと立っているでしょう。あれは見上げたもんです。だから、なが年僕は見上げています。
そうでしたか。
イチョウなんて1里ぐらい先に同じく立っているイチョウに、ある風が吹く日、花粉が飛んで受粉して、ちゃんと実がなる。
 だから、人類みたいに醜骸相擁するようなことをしないで済む。


 ─続く─