昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

金沢便り(22)<心の道>散策

2010-12-31 06:41:38 | 金沢便り
 今年の最後は金沢の山ちゃんのフォト便りで締めましょう。

 以下の作品はいずれもNHKのビデオ便りで放映されました。

 ─ <心の道>散策・・・

 江戸藩政時代初期に金澤城の西の寺町台地と東の卯辰山山麓に寺院を集めて町割りを行ったとされている。
 卯辰山山麓には五十余の寺院が点在し、寺院から寺院を巡る道筋を<心の道>と称している。

 
 <ウオーキングで静明寺へ>

 静明寺は文豪徳田秋声家の菩提寺にもなっており、小説にも登場しています。  
   <徳田秋声碑>

 墓地には古くからのものが多いのですが、現代のユニークな墓石もあって、散策する人も足を止めている。
 <ユニークな墓石>

 (寺歴によると歴史は古く)静明寺は山号を守長山と称し、法華宗陣門派に属する古刹である。貞亨二年の由来書によれば、「越中高岡本陽寺は加賀藩主前田利長の息女お満の菩提所なるにより、慶長十七年住僧日術は特に利長に請いて金沢の八坂松山寺と鶴林寺の間に寺地を拝領して本寺を建立したるもので・・・」云々とある。
 後年、その布施に一握りの砂を得て川原を埋め立て、享保六年に本寺を再建したものである。以って日修上人を中興の開山とする。


  <静明寺の森> 浅野川左岸 天神橋上流

 ─ 善福寺 ─

江戸時代の城下町金沢はお城の西側に際川、東側に浅野川が流れ、天然の要塞となって、さらに際川の外側の寺町台地と浅野川の外側の卯辰山・東山に寺院群を配し、防衛配慮した。
 加賀藩は、有力寺院を宗派地域別に<触頭>という役職に任命し寺院僧侶の取り締まりに当たらせた。当寺は専光寺(本町)・瑞泉寺(白菊町)と並び金沢三ヶ寺と称された由来がある。

 
  <善福寺 土蔵造り本堂>

  <本堂の中>

現存の土蔵造り御堂としては全国最大級規模。火災により現建物は寛政五年(1793)再建 開創 文安二年(1445年)開基 蓮康僧都

 
  <キリシタン灯篭>

関が原の戦いに敗れた宇喜多秀家の妻豪姫が実家前田家に帰って生まれたふり姫が善福寺住職に配嫁されたかかわりからか、庭に一基ある棹の下部に浮き彫りされた像がキリストだという。真相は不明である。

  

昭和のマロの考察(111)経営・ビジネス(13)

2010-12-30 07:07:21 | 昭和のマロの考察
 人間にとって生活のベースは、動物と同様先ず<食べる>ことにある。
 動物と異なるのは、単に自然界にある植物を採取し、他の動物を捕らえて食べることから進化して、農作をし、家畜を飼育して安定した食糧を確保する術を得た。
  

 さらに得た物を人間同士で交換する行為が発生し、仲介する手段として<お金>を考え出したことが人間を文明的な生活をするレベルに押し上げた。

 そして今や<物>に関わらない<お金>そのものの取引がいろいろな形で広まった。
 つまり<物>経済とは別に、実態の見えにくい<金>経済を生み出した。
 だからロバート・キヨサキ氏の言うように、<金>の流れの仕組みを理解しないとダメだよ。
 ただ一生懸命働くというだけでは金持ちにならないよ、ということになる。

 というわけで、単純な社会主義制度では成りいかないことが明らかになり、中国のような社会主義国家でも資本主義的な、ある意味競争主義的な制度を取り入れていかないと、国際社会の中で生き抜いていけないことになっている。

 そういう競争社会の中では、中内功氏や、松井道夫氏、キヨサキ氏が強調するように、ビジネスのプロにならないと成功しないよ、ということになる。
  

 個人的に目指す方向はそれでいいとしても、社会的なビジネスを考えた場合、こういう競争社会では、反面脱落者というか弱者をどう受け止めていくかという社会問題が発生する。

 それで、セーフティネットというか、福利厚生的なものでカバーしなければという考え方が生まれる。その場合でもアメリカのように、あくまで自由競争で経済を盛り上げることを基本とし、セーフティネットは最小限に抑えるべきだという考え方と、デンマークのように全体的にセーフティネットを張り巡らせた福祉国家を目指すべきだという考え方がある。

 戦後日本は、一生懸命働いて世界第2位といわれるほどの経済大国になった。日本型経営は世界の経営者の注目するところになった。

 しかし、<金>の魔力によりバブル崩壊という事態になり、日本経済も停滞の時期を迎える。大企業といえども倒産の憂き目を見ることになる。
 日産自動車は、外国人のカルロス・ゴーン氏をトップに向かえ、再建を目指した。
 
 しかし、驚異の立ち直りの手腕を見せたゴーン氏はこう振り返っている。

日本型経営の中に三つの価値を見出せると思っています。 まず、年功序列。二番目に終身雇用。そして三番目に中間管理職の活用ということです。

 にもかかわらず、日本経営は破綻した。なぜか。ゴーン氏はこの三つの美点をうまく機能させることができなかった。あるいは、この三つに全面的に寄りかかっていたからだと言っている。

特に苦境に陥った企業にはトップダウンが必要です。逆境にあるとき、従業員がリーダーに新たな戦略を立ててほしいと念願しているにもかかわらず、中間管理職の存在が大きすぎれば、迅速な意思決定に支障がでる。
 戦略はボトムアップではできないものだからです。


 何か今の菅直人政権への痛烈な警鐘のように思えます。

 ところが、企業経営に関して日本的なものに対するゴーン氏の評価は傾聴に値するものです。

終身雇用ですが、私の視点から見ますと、これは非常に価値の高いものです。というのも、企業が従業員の忠誠心を求めるものであるからには、逆に従業員に対して、企業は誠意を見せなければならないからです。
 企業が従業員に対して誠意を見せれば、長期的なキャリアプランを約束することができ、彼らの忠誠心をさらに昂進できるのです。

 しかし、ここが重要なのですが、これが偽りの誠意であっては意味がない。・・・  
 終身雇用は決してルールではないのです。・・・
 あくまでも目指すべきターゲットなのです。
 (2003年<文芸春秋>より)


 資源のない日本が経済的にここまで成長できたのは、日本独自の経営にそれなりの価値があったことを外人から教えられた思いです。 
 
 

昭和のマロの考察(110)経営・ビジネス(12)

2010-12-29 05:55:56 | 昭和のマロの考察
 <金持ち父さん 貧乏父さん>⑤

 ロバート・キヨサキ氏が父親から聞いたという三つの力<刀と玉と鏡>について語っている。

刀は武器の力を象徴している。アメリカは武器のために毎年何百億ドルもの金をつぎこみ、それによって世界最強の軍事国家の地位を保っている。
 玉はお金の力を象徴している。「黄金律を忘れるな。黄金を持つものがルールを作る」という格言にはたしかに一理ある。
 鏡は己を知ることの力を象徴している。日本の古くからの言い伝えによれば、この<己を知る>ことこそが三つのうちで最も大きな力を持っている。


 しかし我々の大半は、日常にあくせくするだけでわが身を振り返って、はたして正しいことをやっているかどうか自問しようとしない。

そういう人でも、もし鏡の力を使うことができれば、きっと「これでいいのだろうか?」と自問するだろう。それなのに、多くの人は自分の内に潜む知恵、自分の中にある天賦の才能を信じることもなく、みんなと同じ方法を選ぶ。つまり、ほかのみんながそうしているから・・・という理由で行動するのだ。

 たしかにその方が楽だもんな・・・。

悪い噂が立つことが死ぬより怖ろしいという人はけっこういる。精神分析医によると、悪い噂が立つのが怖いというのは、仲間はずれにされることに対する恐怖から来ている。つまり、一人だけ孤立してしまう、一人だけみんなから後ろ指を指される、ばかにされる、村八分にされる、そういったことが怖いのだ。

 そう言えば、最近いじめによる悲劇の話題がよくニュースになる。

 いじめというのは古今東西なくならないと思うが、悲劇にいたる前に食い止めるのはやはり先生の力だと思う。
 力のある子どもに正義感をもたせ、弱いものいじめは恥だと教えるしかないだろう。

人と違ったことをするのを恐れるこのような気持ちが、問題解決のための新しい道を見つけるのをむずかしくする。・・・
 つまり、私たち人間は鏡を見てはじめて真実を知ることができるのだ。たいていの人が「安全な方法をとるのがいい」と言う最大の理由は恐怖だ。スポーツをやる場合でも、人間関係においても、仕事の上でも、またお金の面でも、何についてもこのことはあてはまる。

 ─続く─

金沢便り(21)金澤城石垣

2010-12-28 04:57:27 | 金沢便り
 昨日エッセイで<強い、考える子ども>を育てたいと言った。
 このことに関連して、アメリカ人であるロバート・キヨサキ氏が興味深いことを言っている。
 私が幼かった頃、父は私たち子どもによく、昔、日本人が信じていたという<三つの力>の話をしてくれた。それは<刀と玉と鏡の力>だ。

 詳しいことは次回からにゆずるが、日本の古くからの言い伝えによれば、鏡は己を知ることの力を象徴していて、三つのうちで最も大きな力を持っているというのだ。

 久しぶりで金沢の山ちゃんから<金沢フォト便り>が届いたので紹介する。
 この作品はNHK金沢で放映されたそうだ。

 ─ 金澤城石垣と戸室石 ─

 金澤城石垣は文禄年間頃(1592~1596年)前田利家入城の頃から本格的に普請された。
 
 <金澤城・橋爪門>

 その後現代に至る間には幾多の天災・火災に遭い、その都度古いものを遺しながら新工法を取り入れ修復されたので<石垣の博物館>といわれている。

 
 <戸室石・原石置き場>

 石垣の石は金沢近郊の戸室山(40~60万年前噴火・爆発・溶岩流出)で採掘された戸室石が多く使われ、石曳きの道があったことから<石引町>の地名も残っている。
 
 <赤青戸室石>

 輝石角閃石安山岩に分類される戸室石は写真のように青・赤と室が水に濡れると色変化し、細工しやすいことから美術品や城門の目立つ所に利用されている。
 
 <河北門>

 河北門は金澤城で最大規模のものであったのを平成22年復元したものですが、ここでも最近採掘した戸室石が使われている。


エッセイ(36)強い、考える子どもたち

2010-12-27 07:50:11 | エッセイ
 「みんなのみたか」に参加しませんかというお誘いをいただいた。
 三鷹の学校教育を支援する市民活動で、コミュニティスクール支援のシニアの任意団体だ。
 子どものための大人の活動を支援している。2011年度には放課後活動での市民による教育を重視しており、今後の中心になるそうだ。

 たまたま、囲碁を普及させようと日本棋院の協力を得て友人が立ち上げた地元小学校の<囲碁教室>と、子どもたちに自らの才能を芽吹かせようという地元在住作家の意向をもとに立ち上げた<童話を書こう!教室>のサポーター役として、ぼくは関わっている。いずれも30人以上と、思いのほか多数の子どもたちが集まった。   
 先日ご紹介したように、このことを念頭に、三鷹ブログ村で「強い、子どもを育てたい」と発作的に発言したことがもとで、お誘いを受けたのだ。

現在、日本の若者の間で閉塞感が横溢している。
 戦後ある程度の豊かさが実現され<ハングリー精神>がなくなったせいだと言われている。
 子どもたちは何を目指せばいいのか目標を見失っているように見える。
 戦後我々は食べるために必死に働いた。日本経済が発展するのが励みだった。
 しかし、今、経済は停滞し、不景気だ、不景気だと不満を言う術しか知らないように思える。

 ブログの中で<ビジネス>に関連し<トゲアリ>の話と<金持ち父さん 貧乏父さん>を取り上げたが、トゲアリならずとも生きるためには人間社会にも厳しい現実がある。
  

 その中で人間が生きる術を見つけるためには<知恵>を持つしかない。
 
 人間はかぎりなく<豊かさ>を求めて前進していく。しかしそのことで歪みが生じているのも現実である。
 戦後日本が目標としたアメリカも、現在今まで通り進取の気性を重視し自由に行くか、社会福祉的国家<大きな政府>で行くか分岐点にあり、悩んでいる。
 一方、福祉国家を標榜<満足度>ナンバーワンと言われるデンマークでも、経済問題から外人排斥、国家の厚い福祉生活に頼って労働意欲を失い、麻薬への依存、家族の崩壊、孤独、自殺などの問題が生じている。
 また、中国のように先進国を追って成長を続ける国は資源を求めて所嫌わず進出するという覇権的な行動が問題を起こしている。

 少なくとも、こんな中で日本の子どもたちが生き延びるためには、とりあえず<強い、考える>人間に育たなければならない。
 そんな中から人間社会が目指す新しい理想のシステムを模索できるエリートが育つことを期待している。

昭和のマロの考察(109)経営・ビジネス(11)

2010-12-26 06:10:44 | 昭和のマロの考察
 <閑話休題> <金持ち父さん 貧乏父さん>④

 良いか悪いかは別にしても現在の経済は<お金>を中心に回っていることは事実だ。

 <金持ち>は、学校で学ばないお金の力を習得していたから頭のいいだけの連中を出し抜くことができたとロバート・キヨサキ氏は言う。

「金持ちから取り立てる」という名目で税が法制化されると、現金が政府のふところに流れ始めた。はじめはみんな満足していた。
 だが実際は、税金は政府で働く人たちと金持ちの手に渡っていた。


 金持ちにも?

つまり、政府の役人のもとには給料や年金という形で渡り、金持ちのもとには、彼らが所有する会社に政府が仕事を発注するという形で渡っていた。 
 こうして政府は巨大な現金の受け皿となっていった。それはそれでいいのだが、問題はそのお金の毎年の運用の仕方だった。一度割り当てられたお金を再利用するというシステムはここにはない。つまり「お金をあまらせない」というのが政府の方針なのだ。


 そういえば年度末の道路工事という実態をよく目にする。


あなたが政府の官僚で、割り当てられた予算を使い切らなかったとすると、次の年度にはその分予算が削減されるおそれがある。それにあなた自身も決して有能とは見てもらえないだろう。
 ビジネスの世界ではその反対に、あまりを出せば報酬を与えられ、有能と評価される。


 こうして政府の支出が雪だるま式に増え、「金持ちから税金を取る」という考え方が、もっと収入の低い層にまで広げられていったのだ。

一方、本当の資本家たちは、お金についての知識を大いに利用して、さっさと逃げ道を見つけた。
 そして自分たちを守ってくれる会社の陰に身を隠した。会社は金持ちを守るものなのだ。・・・
 課税の対象が広げられたときも金持ちの財産は守られた。このときも前の時代と同様、会社が隠れみのとなった。


 会社が隠れみのか・・・なるほど!

おかげで会社を利用する方法がさらに普及した。というのも、所得税法が成立し、その蓋を開けてみると、会社の所得税率が個人の所得税率よりも低かったのだ。さらに、会社の場合、支出の一部は経費として、税を払う前の収入から差し引くことができた。
<持てる者>と<持たざる者>の間のこの戦いは何百年も前から続いている。これは「金持ちから取り立てろ」と叫ぶ集団と金持ちの戦いだ。なにか新しい法律ができるたびに行われるこの戦いは、決して終わることはない。
 問題は、いつも戦いに負けるのが知識を持たない人たちであることだ。


 いかにきれいごとを言っても、この<お金>に振り回される現経済の実態を認識して対応する能力を身につけなければ、この資本主義の世の中では敗者になってしまうということか。

 ─続く─

昭和のマロの考察(108)経営・ビジネス(10)

2010-12-25 07:32:58 | 昭和のマロの考察
 <借金頼みの過去最大92兆円予算>
 菅内閣は昨日、来年度政府予算案を閣議決定した。
 社会保障関係費が28兆円と過去最大規模になり、これも今後年々1兆円増加することは必至である。補いは年明けに方向性が示されるという消費税増税ということになるのだろう。

 税金に関してロバート・キヨサキ氏は興味深いことを言っている。

税金の歴史を学ぶと興味深い側面が見えてくる。税の法制化が可能だったのは、金持ちからお金を取ってほかの人にそれを分け与えるというロビンフッド的な経済論を大衆が信じていたからだ。

 そうでなかったら決して大衆の支持は得られず、法制化されることもなかっただろう。問題は、ひとたびお金の味を味わった政府の食欲がとどまることを知らず、いくらももたないうちに中流階級からも税を取りたてなければならなくなり。そのあと、なし崩し的に次々と課税対象が広がっていったことだ。


 ところが儲けた金を取り立てられるはずの金持ちは巧みに逃げ道を探し出す。
 説明を単純化すると、金持ちと中流以下の人間を分け、金持ちをはるかに有利な地位に立たせているのは、会社という法的な組織が持つ力についての知識だというのだ。

社会主義者と資本主義者の二人の父からいろいろ教えられていた私は、お金の運用に関しては、資本主義的な考え方のほうが一理あるということに早いうちに気づき始めた。
 私には、社会主義者たちはお金に関する教育が不足しているために、結局は自分で自分の首をしめているように思えた。
「金持ちから取り立てろ」とがなりたてる連中がどんな手段を使ってこようと、金持ちはいつもそれを出し抜く策を見つける。
 結局、中流家庭からも税金を搾り取ることになった理由はここにある。
 金持ちが頭のいいだけの連中を出し抜いたのだ。金持ちにそんなことができた理由はただ一つ、彼らは学校では学ばないお金の力を習得していたからだ。


 我々が何よりも大切にする<生活>を左右するのは、原始的な<物を生産する>ということよりも、現在では<お金>にかかっているということなのだろうか。

 次回はお金持ちが高い教育を受けた連中をどう出し抜いたかについて。

 ─続く─

昭和のマロの考察(107)経営・ビジネス(9)

2010-12-24 05:08:42 | 昭和のマロの考察
 閑話休題②<金持ち父さん 貧乏父さん>②

 ロバート・キヨサキさんはお金に関する教育がなされていないことが国家の破滅にもつながりかねないと言う。

私は2000年以降のアメリカについてよく考える。──老人が増え、経済的援助あるいは医療面での援助を必要とする何百万という人を抱えて、この国はいったいどうなるのだろうか? 老人たちは家族と政府からの経済的援助に頼って生きていくことになる。高齢者対象の医療や社会保障制度がパンクしてしまったらいったいどうなるのだろう? お金に関する教育を親に任せたまま、国家が生き延びていくことが可能なのだろうか? 親たちの大部分はすでにお金のことで苦労しはじめているか、あるいは近い将来苦労することになるというのに・・・ 

 すでにこのことはギリシャやアイスランドで顕在化している。
  

 アメリカでも国家財政破綻の恐れがあり、日本でも同じことが危惧されている。



 話は変わるが、昨日お誘いを受けて<三鷹ブログ村>に参加した。初めて参加した時のことを4月9日のブログ<三鷹通信(26)>に記載しているが、それ以来の参加だ。
 ブログのテクに関する講座が中心かなと思っていたのだが、今回参加してみて新たなうねりを感じた。
 30名近く集まり、美しい写真にこだわる方、街に音楽という愛を溢れさせたいというサックスプレイヤー、80歳を越えても日々ブログを更新する我々の鑑のようなご長寿ブロガー、百名山登攀記を掲載される方、自分の想いをいろいろな形でブログに託している。それに取材のノン、フィクション作家の方までいて、多士済々、熱いエネルギーを感じた。

 一方で主催者のすこやさんの「それぞれの活用流儀がある中で、強調したいのはビジネスにつながることだ」という言葉に、新たに展開しようとするうねりをブログ村に感じた。
 B級ご当地グルメ「富士宮やきそば」の成功例を挙げられたが、ブログを介してみんなが集い、地域からビジネスのうねりを立ち上げようというわけだ。

 ぼくもコメントを求められ、「地域の小学校の課外教室<囲碁を学ぼう>および<童話を作ろう>でサポーターという活動をしていますが、今後、<強い、自分で考える子どもたちを育てる>活動をしたい」と、何の具体的構想もないまま発作的に言ってしまった。
 たぶん今読んでいるキヨサキ氏の<金持ち父さん 貧乏とうさん>に影響されたのだろう。
 なぜそう考えたのか、またどうして国家財政が今のままでは危機に瀕するのか、その辺をキヨサキ氏の見解から探ってみたい。


 ─続く─

 

昭和のマロの考察(106)経営・ビジネス(8)

2010-12-23 06:28:29 | 昭和のマロの考察
 大リーグ、マリナーズの投手として活躍した野球評論家、長谷川滋利氏が週刊誌の<わが人生最高の10冊>の1位に挙げた本にぼくは興味を持った。

 この本は<ビジネス>に関わる人間としての根っこの問題を取り上げている。
 
 <アリの話>に続く<閑話休題>②として紹介したい。
 その本はロバート・キヨサキ氏の<金持ち父さん 貧乏父さん>だ。
 彼は日系4世としてハワイに生まれ、金持ちとして大成功した方だ。
 

私には二人の父がいる。金持ちの父と貧乏な父だ。
 一方の父は高い教育を受け、知的レベルも高かった。・・・三つの大学をはしごした。 どの学校でも成績優秀だった。・・・もう一方の父はハイスクールすら卒業していない。二人の父はどちらも生涯を通じてよく働いた。・・・それなのに、一方の父は死ぬまでお金に苦労した。


 何か身につまされる。それだけに金持ち父さんの生き方に関心を持ったのだ。いまさら何を!と言われそうだが。

もう一方の父はハワイで最も裕福な人間の一人になった。・・・
 二人とも私にあれこれとアドバイスをしてくれたが、その内容は異なっていた。教育が大切であると信じている点では二人とも共通していたが、「勉強しろ」と勧める対象が異なっていたのだ。・・・
 二人の違いといったらたとえばこんなふうだ。
 一方の父がよく「金への執着は悪の根源だ」と言っていたのに対して、もう一方の父は「金がないことこそが悪の根源だ」と言っていた。・・・

 金持ちが金持ちになり、貧乏人がさらに貧乏になり、いわゆる<中流>の人たちがいつも借金に負われている理由のひとつは、お金に関する教育が学校ではなく家庭で行われるからだ。たいていの人は親からお金について学ぶ。となれば話は簡単だ。
 貧乏な親は子どもにこう言うしかない。「学校に行って勉強しなさい」
 子どもはいい成績で学校を卒業するかもしれないが、頭に入っているお金に関する知識は貧乏な親から教えてもらったものだけだ。このお金に関する知識は子どもがごく幼い時期に教え込まれるので、さらにしまつが悪い。
 

 さらにキヨサキ氏は、子どものころお金に関する教育がなされていないことが、国家の経営にまで影響を与えていると警告を発している。

 ─続く─

昭和のマロの考察(105)経営・ビジネス(7)

2010-12-22 07:09:41 | 昭和のマロの考察
「この人は本当にやりかねない」

 こう感じた山下は、新宿都心店の支店長に連絡したが、その後、この支店長からは反応がなかった。
 山下は有力役員の西には直接いいにくかったのかもしれないと考え、上野支店時代の顧客だった宝飾店主に連絡した。
 この店主は大蔵省の官僚と太いパイプを持っていたが、西とも親しかった。この宝飾店主なら西にも直言できるにちがいないと、山下は考えた。
 宝飾店主は、山下の依頼をすぐに引き受け、西と小谷の和解の場をセットした。
 会食は極めてなごやかに進み、今後も円滑な取引を続けていこうという話になった。 きっかけは不用意なものであったが、この会食は、西と小谷が関係を深める第一の場となった。


 日本には二種類の人間関係がある。
 <表口>と<裏口>の人間関係だ。
 そして、日本型指導力にとっては、この裏口の人間関係がきわめて重要な意味を持つのである。
 表口の人間関係とは、いわば建前、きれいごとの人間関係で、理解による人間関係といってもいいだろう。
 それに対して裏口の人間関係というのは、本音の人間関係、いたらない者同志がいわばお互いの<業>を赦しあう人間関係だ。
 無礼講による人間関係といってもいいかもしれない。
 日本の指導力にとっては裏口の人間関係が非常に重要になる。

 人が他人に対して、「この男はちょっと裏切れないぞ」と感じたり、「この人のためなら場合によっては命を捨てても」と思ったりするのは、表口の関係よりも、裏口の関係を通じての方が多いからである。
 だから日本では、指導者はこの裏口の関係の中で、自分の弱みや欠点を部下に見せ、同時に部下の弱みや欠点をおおらかに許容してやらなくてはいけない。
 (会田雄次<人間的魅力>から)