昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

運が悪いことから全てが始まった(54)貿易会社(12)

2013-11-30 05:09:07 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「課長、スイマセン」
 佐賀はカマキリ頭を上下しながらボクの隣へ移ってきた。
「いやね、麻雀は仕事にかかせない武器なんだよ!」
 
 彼は腰を左右にふりながらスツールに細いからだを納めた。
「1課のお客さんで、M造船、修繕課の落合係長がウチの会社に来てね、麻雀をやろうって言いだしたんだ。山川課長がキミいいよね?っていうんでぼくはOKしたんだが、営業がほとんど出払っていてもうひとりがいないんだ。浅井はいたんだけれど彼が麻雀をやるのは見たことがなかったので、課長は彼をスルーして落合さんにひとり足りませんねって言ったんだ」
 佐賀は口に入れたボルシチのじゃがいもが飛び出しそうになって口ごもった。
 

「そしたらね、落合さんが浅井にキミやらないの?って声をかけたんだ」 
 しばらく口をはふはふさせてジャガイモを処理すると続けた。
「浅井は家庭麻雀しかやったことがないんで・・・と、まあ、消極的にお断りしたんだ。ところがだよ! 落合さんはたちまち食いついたんだ。やれるんだ! じゃあやろうよってわけだ」
「結局、浅井さんをいれてやったんですね?」
 ボクは口に運ぼうとしていたスプーンを降ろして聞いた。
「そうなんだよ! やったよ! 山川課長が浅井のデビュー戦だなんて言ってな」
 佐賀の目が光った。
「だけどたいへんだったんだよ!」

 ─続く─

 「医者に殺されない47の心得」
 
 近藤誠先生の刺激的なタイトルの本がバカ売れだそうだ。
  未熟な医療のせいで運の悪い人生を背負った男が主人公の「運が悪いことから全てが始まった」なんて小説を書き出したぼくは近藤先生の主張に共感するところがある。
 雑誌などで、おっしゃることはあらかた知っているので、買うまではないと図書館で借りることにしたが、予約している人がなんと300人以上もいる。
 代わりに先生の著書「成人病の真実」を借りてきた。

 興味深かったのは<高血圧症の3700万人のからくり>だ。

 「高血圧の基準は、従来160/90mmHg以上だったのが、新しい基準140/90mmhgに日本高血圧学会のエライ先生が引き下げたのです。
 その結果新しい高血圧患者が2100万人増えて合計3700万人になったのです。
 30歳以上の4割、60歳以上では6割の人たちが高血圧患者となり、降圧薬を一生飲み続けることになったのです。
 基準値の引き下げを可とするデーター的根拠がない。
 
 そのうえ高齢では、血圧が高いほうが長生きでき、血圧を下げると寿命が縮むというデーターさえありました。それなのに基準値が変更されたのは、学会の中枢を占める、権威といわれる人たちに問題があってのことです」

 誰のための医療か? 近藤先生のご指摘は厳しい!
 

運が悪いことから全てが始まった(53)貿易会社(11)

2013-11-29 04:16:32 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「もっともタンカーにしたって、そんな大物はメーカーが直接契約して、我々のやることは通訳とか細かな下請け仕事にすぎないんだけどね・・・」
 高木課長はぎょろりとした目をボクに向けて、洋々たるボクの前途に膜をかけた。
 ・・・底意地の悪い目だ。まるでか弱い昆虫をいたぶるカマキリだ。
 

「ねえ、キミ! 麻雀できるんだろう?」
 課長の脇から佐賀係長が長い首を伸ばして言った。
 同じカマキリ顔だが、ぎょろりとした目は課長と違って愛嬌がある。
 彼らを観察する余裕が少しでてきた。
「ええ、まあ・・・」
 ボクは謙虚に応えた。
「じゃあ、仕事が終わったらやろう!」
 係長は嬉しそうに言った。
「入社早々いきなりか?」
 自分に覆いかぶさるようにしゃべる係長を、鬱陶しそうな目で睨んで課長が言った。

「いや、いや、これは新人社員の入社式みたいなもんですよ・・・」
 やさしいカマキリは親分カマキリにも目配りしながら言ったが、ボクもまんざらではなかった。
 大学では勉強より麻雀に費やした時間の方が長い。
 どうせアパートへ帰ってもやることはない。
「じゃあ、決まりだ。あとは木材部の渡辺と機械1課の浅井だ」
「1課の浅井さん?」
「そうか、彼にはまだ会っていないんだ。たぶん午後には出張から帰ってくるはずだから。まだ麻雀は新米だからキミといい勝負じゃないかな?」
 ・・・新米といい勝負? じょうだんじゃない・・・
 今のところ他人の家で縮こまっているようなものだが、麻雀というゲームを通してこの家にも馴染めるきっかけになりそうだ。

「浅井といえばね・・・」
 係長がまた話しかけて来たとき「おまちどうさま・・・」と言いながらマダムがボルシチをみんなの前に配りだした。いい香りが漂う。
「おい、席を替わろう!」
 今まで顔をしかめて係長のしゃべりを聞いていた課長が言った。

 ─続く─

 ご自身がガンを抱え、最先端医療に深い関心を持っている友人からメールが入った。
 「11月20日、細胞を使った治療を安全かつ迅速に行うための<再生医療推進2法案>が参院で全会一致で可決されました。マスコミには大きく取り上げられませんでしたが、アベノミクスの成長戦略の柱の1つの、再生医療(IPS細胞、免疫細胞も入っています)を推進するための枠組みを作る重要な法案です。・・・
 東京女子医大、科学技術振興機構主催の市民公開シンポジュウム<細胞シートが拓く新しい再生医療」に参加しました。
 
 岡野教授の講演<これまで治せなかった病気を治す>で、日本発、世界初の独創的技術<細胞シート工学>で、角膜、心臓、歯、軟骨、食道などに細胞シートを移植する臨床が始まっていて、将来は心臓、肝臓など臓器そのものを作成することを目指すと語りました。医工連携で細胞シート治療を実現、産学連携で多くの患者を治す技術を確立(良質な細胞シートの大量生産)、更に産業技術の集積で臓器を作成する(不可能を可能にする)という考えは、古い体質の医学界では画期的なもので、アベノミクス成長戦略としての医療を確信しました」
 日本でも世界に先駆けた画期的な医療開発が進んでいるんだ。
 この法律によって、既得権益にしがみついている医療界の壁を突破するきっかけになることが期待されます。

 

運が悪いことから全てが始まった(52)貿易会社(10)

2013-11-28 04:36:22 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「おっ! カラリヨフさんも来てくれたんだ」
 大崎さんの声に首を回らすと、今井女史といっしょに大柄な外人が入ってきた。
 カウンターがいっぱいなので、彼らはテーブル席に座った。
「超満員じゃない、ママ」
 大崎さんが誇らしげに言った。
「ありがとうございます。大崎さんのおかげです」
 マダムの顔は満面の笑みだ。

「ところで、あなたがたもボルシチとピロシキでいいわね?」
「いいですよ・・・」
 マダムの強引さにみんな同じものに統一されてしまった。
「彼はね、ロシア帝国の伯爵だったんだぜ・・・」
 
 大崎さんが耳元でささやいた。
「ロシア革命で日本に逃れてきたんだ。今ではシベリア帰りのオレとロシア語の翻訳と通訳を受け持っている」
 いつも総務部の一角で大きなからだを丸めて仕事をしている。
 そんな過酷な過去を持つとは思えないような温和な表情の白系ロシア人だ。

「2課はどんな機械を扱っているんですか?」
 ・・・この尖がった目はどんな人生を物語っているのだろうか・・・
 カラリヨフさんと対照的に目の鋭い高木課長に聞いてみた。
「軽機械だよ。電気製品とか、カメラとか・・・」
 うれしくない質問だというように彼は唇をゆがめて応えた。
「1課はタンカーとか飛行機とかでかいものだけどね・・・」
 自嘲気味に、ぎょろりとした目でボクを眺めた。
「えっ? 飛行機も扱っているんですか?」
 
「まだ実績はないが、ヘリコプターを輸入する話で社長が出張しているらしいぜ」
 ・・・ヘリコプターか。急にボクの前途が開けたような気がした。

 ─続く─

 今、森田理香子選手とゴルフ女子プロの賞金王を争っている横峰さくら選手が、罰金を課せられるというニュースがあった。
 12月15日に予定されている3ツアーズ選手権(女子・男子・シニアツアーの代表者で競われる大会)を、お姉さんの彩花さんの結婚式に出席するため参加を辞退したからだ、という。
 私事だとはいえ、お姉さんの結婚式という彼女にとっては重要な家族のお祝い事だ。
 それに参加することで罰金?
 
 ここで思い出したのは、アメリカのワールドシリーズで表彰された上原浩治投手の息子さんのことだ。
 
「エキサイテッド!」と言って表彰されたお父さんを祝福してアメリカのマスコミで人気になった彼は、お父さんの職場で一緒にキャッチボールもできる。
 家族を大切にするアメリカのスポーツ界にくらべて、日本のスポーツ界のなんと偏狭なことよ!
 

なるほど!と思う日々(260)恨みが外交を突き動かす

2013-11-27 05:45:53 | なるほどと思う日々
 中国が<防空識別圏>なる線引きをした。
 
 尖閣諸島も含めて自国領海だと新たに宣言したのだ。
 合わせて、「重大な突発緊急事件に備えて連絡先を登録せよ」と在日の中国人に呼びかけている。
 この宣言により、日本との間に軍事衝突が起きることを予測しているかのようだ。
 習近平中国は今や自信を持って、軍事大国への第一歩を踏み出したように見える。

 「力をつけるまでは能力を隠す」
 中国を新体制に導いた小平は言っていたが、いよいよ習近平は自国に十分な軍事力が備わったと認識したようだ。
 
 彼は就任して以来、中華大帝国への道を標榜している。
 かつて人類の文明発祥の地として、巨大な国家としての歴史を有する中国も、一時アヘン戦争に象徴されるように、列強の蹂躙を許す時代があった。
 
 さらに彼らからすれば<小日本>からも屈辱的な侵略を受けた。
 臥薪嘗胆、今こそ過去の恨みを晴らす時、という思いなのだろうか。

 太平洋戦争終結時、日ソ中立条約を無視してソ連は満州、北朝鮮、南樺太、千島列島などへ侵攻した。
 
 その際、スターリンは赤軍将兵に、その父兄がかって受けた国民的屈辱を雪いで仇をとったのだと、彼らを祝福している。
 
 最近では、韓国の<恨み姫>パク・クネ大統領が日本に対して「1000年経っても日本を恨み続ける」と宣言した。
 

 それに対して日本は<元寇>などの侵略を受けたり、世界で唯一の<原爆被爆国>になったことに対して恨みがましいことを言っていない。
 「楽観的で現状認識が甘い、力不足だ!」と悲しむべきことなのか「恨みにこだわらず、和を貴ぶ」と喜ぶべきことなのか。

運が悪いことから全てが始まった(51)貿易会社(9)

2013-11-26 04:14:37 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「お! 高木さんと佐賀さんか・・・。来てくれたんだ」
 大崎が身体をひねって、入ってきた二人の細身の男を眺めうれしそうに言った。
「大崎さんの紹介とあっちゃ、来ないわけにはいかないでしょう」
 漫才師の相方のように後ろにくっついて来た方が首を伸ばして言った。
「知らない若者だね・・・」
 
 兄貴分のほうが隣に座りながらボクをじろじろと眺めた。

「狭間社長の紹介で入ってきた司くんだ」
 大崎がいちご紅茶のカップに口をつけながらぼそりと紹介した。
「司秀三です。よろしくお願いします」
 ボクは立ち上がり、彼らに頭を下げた。
「高木さんは2課の課長さん、佐賀くんは係長だ」
 大崎さんが言った。
「社長さんの紹介なんだから、大切に育てなさいよ。課長さんと係長さん!」
 
 ボルシチのいい香りとともに現れたマダムが笑顔で付け加えた。

「ダニチさんのとこに配属になったの?」
 高木課長の背後から首を伸ばした佐賀係長が言った。
「いえ、機械部第1課に配属になりました」
「そうか、そりゃよかった。3課の中国向けは大変だからな・・・」
 高木課長が前を向いたままぼそりとつぶやいた。
「1課というと、ソ連向けタンカーの仕事かな?」
 佐賀係長がまた狐のような首を伸ばした。
「ええ、艤装品の輸入の仕事です」
「輸入業務か、単純作業だから心配ないよ」
 佐賀がバカにしたように首をふった。
 
 そのとき、またスイングドアが開いた。

 ─続く─

 参議院予算委員会で与野党美女対決があった。
 民主党、蓮舫対稲田行革大臣。
 
 
 その白黒ファッションに見とれて、バカな国民のぼくはその質疑内容が何だったか覚えていない。
 
 

運が悪いことから全てが始まった(50)貿易会社(8)

2013-11-25 05:02:22 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「こいつはね、狭間社長の紹介で入ってきたんだ・・・」
 大崎はマダムにどうだ!という顔をした。
 ・・・こいつだなんて、もう自分の子分みたいな言い方じゃないか・・・
「まあ、それじゃ大切なお方じゃない!」
 マダムが大げさにまつ毛を強調した目を見開いた。
「どうして、そんなことご存じなんですか?」
 ボクは、大崎さんのすました顔を見た。
 ・・・名前も知らないのに、素性だけは知っているんだ・・・

「それはね、大崎さんって中野学校出身だから何でもお見通しなのよ!」
 マダムはボクをバカにしたような言い方をした。
「中野学校?」
 ボクは大崎さんに問いかけた。
「中野学校っていうのは戦前のスパイ養成学校なの」
 
 何にも反応しない大崎に代わってマダムが説明した。
 ・・・スパイ養成? そんなのがあったんだ。また得体の知れない人物がボクの会社名鑑に加わった・・・

「そんなことどうでもいいから、取りあえずいちご紅茶をくれないか」
 ボクに関心を持って、カウンターから乗り出すようにしていた姿勢を起すと、「はい、はい、承知しました。・・・ところでお昼は何にする?」とマダムは商売がかった顔になって言った。
「ボルシチにピロシキ」
 大崎はぶっきらぼうに言って、お前もそれでいいよなという顔をボクに向けた。
 
「はい、お待ちどうさま・・・」
「紅茶にいちごって、めずらしいですね」
 スプーンで底に沈んでいるいちごをすくった。
 
 甘酸っぱい香りが立ち上った。
 永野の眉間にしわを寄せた顔が浮かんだ。
「ロシアでは紅茶にイチゴジャムを入れる習慣があるんだ」
 大崎が説明した。
 
「おっ!いい香りだ!」
 スイングドアが開いて甲高い声が飛び込んできた。

 ─続く─

 「江戸っ子1号、深海生物撮影に成功!」
 
 
 宇宙開発に貢献した<まいど1号>に対抗して、東京の町工場などのグループが開発した小さな深海探査機が7,800メートル以下に存在する深海魚の撮影に世界で初めて成功した。
 3億円かかる事業を下町工場の結束で2000万円で開発した。
 これからの海洋資源開発や地震のメカニズムの解明などにもお役に立つことが期待されている。
  

 
 
 

運が悪いことから全てが始まった(49)貿易会社(7)

2013-11-24 05:04:58 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「はあ?」
 思わず腕時計を見た。まだ12時まで30分ある。
「仕事あるの? まだないんだろう? 弁当なんか持ってきていないんだろう?」
 やくざみたいなおっさんは机の上の書類をさっさと片隅に寄せ、立ち上がりながら言った。
「お嬢さん、お借りしますぜ・・・」
 永野に断りを入れるため3階の総務部から2階の機械部に下りたら、背後からおっさんが言った。
 永野はボクを睨んだが、こっちのおっさんの威力に負けて、ボクはおっさんに従った。

「この近くに知り合いがロシアンレストランを開店したんだ。そこへ行こう」
 外へ出ると、やくざのいかめしい顔がとつぜんふりそそいできた春の陽光に融かされたように崩れて、ふつうのおっさんの顔になり、笑顔になった。
 表通りを2,3軒歩いたところを曲がると、横道の2軒目にレストランというより喫茶店のような小さな間口で、マトリョーシカという立て看板のある店に入った。
 4.5人が座れるカウンターと。4人掛けのテーブルがひとつの小さな店だ。
 
 奥の棚の上から、マトリョーシカのお人形たちに見つめられたが、客は誰もいなかった。
 
 おっさんに従ってカウンターに座ると、食欲をそそるいい香りとともに、真っ赤なドレスの中年の太ったマダムが、薄暗い店内をぱっと明るく照らすように現れた。
 
「まあ、大崎さん! お客さま第一号! ありがとう!」
 彼を包み込まんばかりに、プルプルする二の腕をさし出して嫣然と笑った。
 ・・・大崎っていうんだ、このおっさんは・・・
「今日開店だというから、ウチの新人を連れてきた」
 大崎はあごで指し示してボクを紹介した。

「まあ、なかなかいい男じゃない。お名前は?」
「司秀三といいます。三日前に入社したばかりです」
「司? ずいぶん高貴な名前じゃん!」
 大崎は改めてしげしげとボクの顔を眺めた。
 大崎とも初対面の挨拶を交わしてなかった。

 ─続く─

 こんな所にも日本テクノロジーが!
 
 どんな形状の商品でも、しわひとつなく、きっちりと包装できるシュリンクパック技術。
 専用のビニールフィルムで覆い、熱風をトルネード方式で四方から当てることで、しわもなく収縮させ、強く固定保持する包装技術だ。
 

 


 

運が悪いことから全てが始まった(48)貿易会社(6)

2013-11-23 02:30:53 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
 この会社に入って今日で3日目を迎えた。
 初日に会ったのはボクの受験官として辞書を差し入れてくれた廣瀬総務課長だった。
 昔関東軍の連隊長をしていたらしい。
 みんなが「連隊長!」と呼んでいる。
 しかし、見かけは好々爺みたいで、その面影はない。
 そして「タバコのタに濁点」のダニチ機械部第3課長。
 T大出のM造船から来た吉原専務。
 ボクが所属することになった機械部第1課の山川課長。

 そして、機械部第1課同僚の美人だけど柚子みたいに酸っぱそうな永野と、総務部のベテラン、大福みたいに柔らかくて美味しそうな今井女史。
 ところが、吉原専務をM造船から引っ張ってきた、ボクを受け入れてくれた肝心の狭間社長には会社案内の写真でしかお目にかかっていない。
 聞くところによると最近会社にはほとんど出てこないそうだ。

 ここで、また我がオヤジが登場する。
 オヤジは、ボクが小学校の時、おんぶして病院通いをしてくれ、中学も越境で近くの学校に通えるように手配してくれた。
 大学の下宿を決める時も事前にオヤジが下見をしている。
 そして就職することになった今も、この会社に入れて頂いた御礼に狭間社長の自宅まで、金沢の森八のお菓子、千歳を持ってご挨拶に行っている。
「いやあ、驚いたね! 自動開閉付の門扉のある豪邸だよ!」
 
 オヤジはわざわざ電話してきた。
 まさに、親ばかチャンリンが今もって続いている。
 ボクの棒になった足のことを気にかけているのだ。
 もう、ボクは全然気にしてはいないのに・・・。

 3日目、共産圏貿易の本で勉強していたが、不明のところがある。
 山川課長はいないし、永野に聞くと酸っぱいとばっちりをかけられそうなので、優しそうな廣瀬総務課長に聞こうと総務部へ出かけたら、胡散臭いおやじに声をかけられた。
 
「キミ! 昼飯食いに行こう!」

 ─続く─
 
 猪瀬都知事が徳洲会から5000万円もらったというニュースが飛び出してきた。
 
 へえ、都知事まで!
 そういえば、昔、オヤジが言っていた。
 「政治家に頼むときは金がいるんだ」と。
 徳洲会といえば、徳田虎雄が40年前、大阪府松原に自前で病院を建て、医師会の抵抗に遭いながらも病院増設に意欲を燃やし、今や200を超える診療所や医療施設を運営、その規模は世界3位とも言われている。
 「生命を安心して預けられる病院」「ミカン1個ももらわない」をモットーに病院増設を嫌う<医師会>と対立、そのためには政治の力が必要だ!と政治家には「ミカン」をいっぱい上げる戦略で現在摘発されている。
 皮肉だね。

 

運が悪いことから全てが始まった(47)貿易会社(5)

2013-11-22 06:10:29 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
「残念だな。てっきりキミに手伝ってもらえると思ったのに」
 
 タバコのタに濁点のダニチ第3課長は、ボクが報告に行くと自分の前の空いた席を眺めながら残念そうに言った。
 ボクは彼の顔を見ないように頭を下げて、第1課の与えられた席に戻った。

 ともかく具体的な仕事の指示があるまで、持ってきた輸入業務に関する本を読むことにした。
「司さん、コピーしてきてくれない?」
 目の前に一枚の書類が突き出されて、永野が言った。
「コピー機は部屋の隅っこにあるから」
 彼女は山川課長と同じように、コピー機のありかを顎で示しながら言った。
「やり方分かるわよね?」
「いえ・・・」
 コピーなんて生まれてこのかたやったことはない。
「やり方は壁に貼ってあるから」
 ぶっきらぼうに言い捨てると、彼女は自分の仕事に専念しだした。

 当時の複写機はジアゾ式といって、原稿を感光紙に密着させ機械に通す。
 
 下手をすると原稿を濡らして破いたりしかねない。
「わかる? だいじょうぶ?」
 壁の説明書きを読んでいると、総務部の今井女史が声をかけてきた。
「こういう風にやるのよ」
 自分が持ってきた原稿でやって見せてくれた。
 真似してやろうとしてもたもたしていたら、彼女がみかねて「何枚とるの?」と言いながらぼくから原稿を引き取って全部やってくれた。
「そのうち慣れるわよ」
 
 今井女史はコピーをとんとんと揃えて、ふくよかな笑顔で渡してくれた。

「やってもらったんでしょう! 自分でやらなきゃ覚えないわよ!」
 席に戻ると、永野が吊り上った目で待ち構えていた。
 
 一心不乱に書類作成に集中していると思っていたのに・・・。
 いやはや前途多難な第一歩だ。
 仕事以外にも気を使わなければならないことがあるんだ。

 ─続く─

三鷹通信(77)セカンドライフを地域の<志事>で輝こう!

2013-11-21 05:29:34 | 三鷹通信
 久しぶりでシニアSOHO普及サロン・三鷹の交流会に参加した。
 前代表理事のH氏の「セカンドライフを地域の<志事>で輝こう」という講演を聴くためだったが、昔に変わらず60人ほどのシニアで熱気むんむんの交流会だった。
 中には2,30代の若者もいる。
 
 講演内容はH氏お得意の「ただならぬオジサン、3ガイ主義、自分発信」だ。
 つまり、ただのオジサンではダメだよ! 生きがい、やりがいを求めて、ナイスガイになりなさい! ということだ。
 ユニークだったのは講演を聴いた後、4人づつグループになって座った我々に作業をさせることだった。
 「<役割ノート>で人と話す、考える」という表題の白紙が配布された。
 4つの項目がある。
 *こうありたい私の住む地域(理想・夢を描きましょう)
 *「特定の誰に」「何をサービス」(すれば、夢が実現する)
 *半年後に私が上げる成果、そのためにすること
 *私は何をする?(自信を持って仲間を集め、できることは何か、継続できるか)

 ぼくのグループの一人は、「独居老人(特に男性)を引っぱりだしてつなげる仕事をしたい」と述べた。スバラシイ!
 ぼくは*自分の経験したこと、関心のあることを伝えたい。
    *特に未来を担う子どもたちに。
    *ブログを活用したい。と書いた。

 そんなぼくがH氏から、シニアOHO創業当時の仲間ですと紹介され、ひと言しゃべるよう求められた。
 1999年12月、H氏が釈迦力で立ち上げたシニアベンチャーの第1回交流会(ちなみに今日は67回目だそうだ)に参加し、読売新聞の<あなたの街、あなたが記者>欄に投稿したことを思い出していた。
 
 「生涯現役」へ情報交換とタイトルされて掲載された。
 当時、ぼくはこの会に誘ってくれた先輩とともに「パソコンが苦手なシニアに、好きな囲碁を活用しよう」という活動をしていた。
 囲碁を楽しむ世界的なネットワークに働きかけ、産業プラザビルのアイカフェにパソコンで世界の愛好家と自由に囲碁を打てる仕掛けを作った。
 
 当時ITを普及する運動が流行っていて、時の森総理大臣も視察に見え、新聞にも報道された。
 
 やがては日本中の愛好家のみならず、世界中の仲間と交流を広げようと夢は限りなく広がったが、残念ながらH氏ほどのエネルギーが続かず挫折、退会してしまった。
 そんなぼくは、今小学校の囲碁教室や書き方教室のサポート役で細々と地域とつながっている。
 そして夢は毎日アップしているブログで我が経験、思いを発信し、やがては<自然と人間>をテーマにした小説を世に出すことです、なんてしゃべってしまった。
 お恥ずかしい。

 本会は、2003年第一回「日経地域情報化大賞」を受賞、<電子先進国>三鷹市の核として活躍している。
 
 さらなる発展を期待したい。