昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(105)大衆と国士

2011-12-31 07:08:47 | エッセイ
 政権与党内から反対を表明して9人もの離党者が出る中、年内には難しいと見られていた「消費税を引き上げることを柱とする社会保障と税の一体改革の原案」が、昨日ぎりぎりでまとめられた。
 野田総理は「非常に大きな前進だった」と強調した。
 もし反対者の勢いに腰砕けになって年を越すようなことになっていたら、野田政権の命運は尽きていただろう。
 大衆に迎合した鳩山氏や菅氏に比べれば、野田総理は国士として土俵際で踏ん張ったということだろうか。  
 <国士>「一身をかえりみず、国家のことを心配して行動する人物」が、民主党の中にもいたということを示した。

 だいたい、民主党は選挙で大衆に迎合するマニフェストを掲げて政権を奪取した。
 (単に、自民党政権が長過ぎて腐敗していたからここらで変えてみようかという選挙民も多かったと思うが) 
 今回離党した連中の反対理由は「マニフェストを約束して当選したが、ことごとくほごにされて立つ瀬がない。うそつきと呼ばれたくない」ということのようだ。
 しかし、そんなことは今更ではない。
 高速道路は無料化します、から始まって、沖縄基地は最低でも県外移設とか、子ども手当とか、大衆にとっておいしいマニフェストは、民主党が政権に着くや否や、なし崩しに放棄されていった。
 それほど、具体策のない看板だけの代物だったのだ。
 
 それが、ここへ来て多数の離党者を生むことになったのは、<消費税を上げる>という選挙に決定的なダメージを与える問題が提起されたからなのだ。
 離党した議員たちは「消費税によらない、別なやり方がある」と主張しているが、その具体的な中身が見えてこない。
 我々には「御身大切で、選挙が心配なんだろう」というイメージしか浮かんでこない。

 1000兆円を超えるという世界最大規模の借金をかかえる我が国が、このままでは増え続ける社会保障費を賄えるわけがない。
 景気をよくすればというが、そう簡単にはいかない。
 それで先進国の例に倣って消費税に依存するということになるのだ。

 社会保障負担率と租税負担率を合算して、国民所得比でみると、我が国の38,8%に対して、ドイツが52%、フランスが61,1%で我が国は低い。
 カバーすべき消費税(付加価値税)を見ると、高福祉国、デンマーク、スエーデン、ノルウエーの25%はともかく、ドイツ19%、フランス19.5%、イギリスやイタリアは20%と軒並み高い。
 とりあえず我が国も10%ぐらいはやむを得ないのでは。

 たしかに我々大衆にとって消費税を上げられるのはつらい。
 しかし、当面の大衆受けだけで国家運営は出来ない。
 問題を先送りしてギリシャやイタリアのようになってからでは遅い。

 身近な例でも「周辺自治体へのゴミの委託費用の増加分について<無駄遣い>と指摘して当選した小金井市の市長が、政権に就いた途端、この発言が周辺自治体の反発を招き<ゴミ処理>が解決できず、辞任に至った例がある。

 大衆は甘い言葉には弱い。だから甘いマニフェストで当選することはできる。
 しかし、国家運営はそういうポピュリストには無理だ。
 政治家に国士が期待される所以である。
 

なるほど!と思う日々(223)無心で

2011-12-30 06:51:11 | なるほどと思う日々
 石川遼が今年優勝なしで、来年のマスターズ出場も危ぶまれている。
 どこが去年の勢いと異なるのだろう? 
 
 テレビでしか見ていないが、今年の石川遼のアドレスが異常に長いのが気になっていた。
 何度もアドレスを繰り返し、フォームを確かめている。
「そんなことは練習場でやることで、本番では打球の到達点を見定めて、そこへ向かって思い切り振りぬけばいいじゃない!」ぼくは画面に向かって叫んでいた。
 
 コーチング・カウンセラーをしているタテさんのブログを見て、改めて納得した。
 本番では余計なことは考えず、<無心に>、<自然体で>ということなんだと。

 タテさんは書いている。
 テレビでスポーツを見ていて、解説者が言っていました。
「~、後は無心でやれるかですね」思い通りの競技が出来なかった選手は言っていました。「思いっきりやろうとしたんですがねえ」・・・
 何かを<やろう>とした瞬間に脳神経が緊張状態を引き越し、筋肉に指令を送ります。ましてや注文が付くと尚更です。上手くやろう、ゆっくりやろう、確実にやろう・・・。冷静に呼びかけたオマジナイは、さらに緊張を生みます。緊張した筋肉は硬直し、可動範囲を縮めます。いつも通り出来ない状況を把握した体内センサーは更に警戒警報を発し、パニックに陥ります。・・・
 難しい理論は抜きにして、練習したらその効果は多かれ少なかれ身についているんですね。ですから、本番ではその身についたものを出せればいい訳です。つまりあとは自分自身に任せればいい。
 そのことを<無心で>とか<自然体で>なんて言うんでしょうね

 
 ところで、ぼくのことだ。
 昨日、今年最後の麻雀をやった。
 毎週一回の、先輩二人と後輩一人のプライベート麻雀だ。
 このところ三連敗と調子を崩している。なぜだろう?

 思い起こせばぼくの麻雀の不調は、今月初めの横浜の大会から始まっている。
 この大会では調子がよく、年間優勝をH.O氏と争っていた。今回で決まる。たまたま最初、同卓となった。
 これで彼を制すれば決まると意識して気合を入れたが、僅差ではあったが敗れた。

 この時以降、プライベートでも勝たねばと いう意識が強すぎたようだ。
 今回はタテさんの<無心で>臨むことにした。
 しかし、無心と言ってもどうすればいいのだ。
 とりあえず、前のめりになりがちな姿勢を正すことにした。

 これが功を奏したようだ。結果的には1人勝ちで、これまでの負けを解消できた。
 タテさん、適切なコーチングありがとう。


 


エッセイ(104)新体制北朝鮮の今後

2011-12-29 06:34:22 | エッセイ
 前回のエッセイで述べた「強い影響力を持つ中国は、金正日亡き後の北朝鮮を開放政策へと導き、なし崩しに核放棄へ仕向ける」に対し、友人M氏からその通りだと思うしそうあって欲しいとコメントを寄せていただきました。ありがとうございます。
 その上で、中国は何故北朝鮮の核保有を許してしまったのか、情勢が変われば核は中国に向けられるかもしれない。意外と中国の北朝鮮政策は指導体制の中一つにまとまっていないのかもしれない。いろいろな人のコメントはあるが、肝心の中国人の話を聞いてみたい旨の疑念も呈されている。
 たしかにその通りだ。

 そこで今日、gooニュースに「北朝鮮の大ニュースに英語メディアは日本の動向にも注目」という興味深い記事を目にしたのでピックアップしてみたい。

 普段は基本的に冷静な英、フィナンシャルタイムズでさえ、もし北朝鮮の権力移譲が安定的に行われないなら「シナリオは半島を遥かに超えて影響を及ぼす。北朝鮮が初歩的な核兵器をいくつか持っているというだけではない。100万人強の北朝鮮軍になにがしかの動揺が起きれば、アメリカと中国と日本という世界最大の経済大国を巻き込んだ消耗戦が繰り広げられるかもしれないのだ」と警告している。

 北京大学国際戦略研究センターの朱鋒教授は「中国のウオッチャーは経済も食糧問題も悪化を続け、総書記の死で力の空白が生まれた北朝鮮国内の<安定性>を極めて慎重に注視していると述べている。さらに「北朝鮮にきわめて暗い展開となりかねない事態に対応するため、中国と韓国とアメリカと日本、そしてロシアが手をとって、会話と協力を促進し、協調的なアプローチをとれないか、強く願っていると発言している。
 

 さらにフィナンシャルタイムは、総書記の死によって再統一が課題として復活してきたと書いている。
 韓国李大統領はかねてから、北朝鮮の自己崩壊によってある日突然<再統一>が<夜霧にまぎれた泥棒のように>襲ってくるかもしれないから心しておくようにと国民に警告していたがその可能性(および経済的負担の懸念)が急浮上してきたと。
 再統一となった場合、1990年のドイツ再統一で西ドイツが負ったよりはるかに大きい経済負担が韓国経済にのしかかるという懸念がある。(南北朝鮮の経済格差は東西ドイツ格差の何倍にもなる)
 その一方で資源に豊富な北朝鮮は韓国経済にとっての絶好の投資機会だという見方もある。
 ゴルドマンサックスは2009年のリポートで、朝鮮半島が韓国主導で統一されれば、2050年にはフランスもドイツも、日本も追い越しているかもしれないと予測している。

 いずれにせよ、これだけの経済格差があることを北朝鮮の国民が認識した場合、ドイツで起きたようなことが朝鮮半島でも起きることは歴史的必然であるような気がする。 
 
 金正恩を囲む一族の力がそれに抗するだけの力を堅持できるとはとうてい思えない。
 問題は中国の北朝鮮に対する支配力維持の執念だろう。
 

エッセイ(103)金正日の死と北朝鮮

2011-12-24 06:54:46 | エッセイ
 中国は北朝鮮に金正日総書記の国葬後に食糧支援を準備
 
 中国は金正恩新体制を支援していく姿勢をそろりと始動させた。
 すでに四面楚歌の北朝鮮としては、病状を押して度々中国を訪問した金正日の姿勢にもうかがえるように、経済的には中国に頼らざるを得ない現状がある。

 まだ、権力移譲が始まったばかりだったので、金正恩は実質的に何もコントロールできない。
 事前にそのことを予測していた金正日は、彼の妹金敬姫の夫、金成沢に権限を与え、正恩を支える体制を整えてきた。  
 現状の権力者たちは、金正日の亡き後も自らの立場を守るという一点で、この新体制を維持しているように見える。
 そして、経済的には中国に依存していくことで取りあえずこの危機を乗り越えようとしている。

 金正日がなぞってきたという中国の独裁者毛沢東の死後、勃発した権力闘争を見ると、北朝鮮の今後を占えるかもしれない。
 毛沢東が選んだ無難な華国鋒が、毛の死後の政局をコントロールしようとしたが、毛沢東の妻、江青を中心とする四人組が毛の教えを頑固に守ることを旗印に策動、これに軍部が動き、彼らを逮捕。そして小平が再登場して<開放>政策へと導く。

 おそらく中国は彼らの経験に基づき、北朝鮮を<開放>政策へと導き、なし崩しに<核兵器>に依存する独善体制を放棄させるように仕向けるだろう。
 
 しかし、金一族の強固な自尊心はこれを許さない。
 ましてや来年は<強盛大国>を目指す年と位置付けられている。
 ただ、自尊心だけでは国を守れない。
 貧困にあえぐ国民からのプレッシャーとの板挟みで、権力構造に激震が生じる可能性は大きい。
 

エッセイ(102)慰安婦の銅像

2011-12-18 04:50:33 | エッセイ
 韓国の日本大使館の前に、慰安婦の銅像が立てられたという。
 このニュースを見て思った。
 日本にとって屈辱的と言うより、韓国の方がむしろ卑屈のシンボルのように感じないのだろうか、と。
 歴史に学べという観点から見ると、<慰安婦問題>は日本特有のものというより、型の差はあれ、人類世界史における恥ずかしい一面であることは間違いない。

 この銅像を見て、人は過去の日本の浅はかさと同時に、力の支配する世界史の中での韓国の悲しい歴史を思ってしまう。
 日本に訴えかけたいというなら、むしろ今や日本を席巻している韓国文化の象徴、ペ・ヨンジュンやK-POPの代表KARAの銅像でも立てて「どうだ!」と見返す方がいいのでは。 

 人類は力で支配する先進国に学び、真似ながら文明を進化させてきた。
 恥ずかしい過去を反省するより、今の中国のように、列強の<力の支配>をなぞった昔の日本帝国の覇権的行動を真似て前進しようとする。
 
 そうやって競い合った人類は今や<国際政治問題>や<経済問題>で岐路に立たされている。
 つまり人類は、<力の論理>でことを運ぶことの是非が問われているのだ。
 その意味では<慰安婦の銅像>は人類の恥ずべき象徴であって、むしろ国連ビルの前にでも立てたらどうだろう。
 
 
 

昭和のマロの憂鬱(56)順風(17)

2011-12-16 04:57:07 | なるほどと思う日々
 倉庫で指示された通り発送伝票を書いていると、猪熊課長が入ってきた。どかっと椅子に腰を下ろすと入荷した商品を棚に収納している木村に声をかけた。
「どうだ、元気か? 充実感はあるか?」
 いつものクマ課長独特の、人を気楽にさせる和んだ態度だ。

「元気? 冗談じゃないですよ。サラリーマンに充実感なんかあるわけないでしょう」
 振り向いた木村の顔は固く紅潮していた。
「こんな仕事させられて。…会社はオレを辞めさせようと言うんですか? そうならそうとはっきり言ったらどうですか!」
 いきなりケンカ口調だ。さすがの課長も予想外の反発に一瞬言葉を失った。
 
 (先生に反発する生徒・・・こんな感じかな)

 しかし、横で書きかけの発送伝票を前に固まっていたぼくは次の課長の言葉に思わず身震いした。
「こんな仕事とはなんだ!」
 課長の顔が激変した。
「福山課長に失礼じゃないか。あのひとがいかに営業のために頑張っているか、お前だってそばで見ていてわかるだろう。肌で感じないのか?」
 クマ課長が怒鳴り声で、しかも一息でこれだけのことを言うのは見たことがない。

「キミを業務に転勤させたのは、・・・」
 息をついで課長は続けた。
「営業を経験した立場で業務の仕事にアドバイスできることもあるのではないかと思ってのことではないか・・・」
「・・・」
「福山課長はよくやってくれているし、頭もいい人だ。しかし彼は営業を経験がない。営業を経験したキミならではのアドバイスができるだろう」
 課長は少し間を開けて声を鎮めた。
「ものごとは前向きに考えようよ・・・」
「・・・」
「いきなり転勤させられたなんて言っているけど、会社ってものはそういうものなんだ。各自の個人的な事情なんか配慮できない場合だってあるんだ。オレなんか新婚で家を建てた途端営業所に飛ばされたんだ。今のお前と同じように、いやそれ以上に会社を恨んだよ。嫌がらせ以外の何物でもない、とな」
「・・・」
「しかし、3年無事に勤めあげて本社へ戻ってきたんだ。今振り返ってみると、いい経験をさせてもらったと思っている」
 いつもの穏やかな顔にもどって、課長は木村を見つめた。

 ─続く─

なるほど!と思う日々(222)若者論

2011-12-15 05:17:31 | なるほどと思う日々
 <不安があるのに満足なんて、変> 
 昨日の朝日新聞にそんな記事が載っていた。
 
 内閣府の2010年の世論調査によれば、20代の70%が今の生活に満足と答えている。
 どの世代よりも高く過去40年で最高。
 一方で「悩みや不安がある」という答えは1980年代後半は40%を切っていたのに今は63%に上る。

 社会学者の大澤真幸氏の説によれば、
「将来、今よりも幸せになれると考えた時、人は現在の生活に満足できなくなる。逆に将来これ以上幸せになれないと思うから現状に満足する」ということになる。
 野田総理はこれからの社会保障制度に関して
「50年ほど前の支える人がいっぱいいた<胴上げ型>から、現役世代3人で高齢者を支える<騎馬戦型>、いずれは1人が1人を支える肩車型>になる」 と言う。つまり<悩みや不安>の根源は<少子化>か?

 そこで思い出すのがジェームス三木氏の<若者に対するオジンの役割説>だ。
「私たちの若いころ、・・・年配者の長説教や、自慢話のくだまきを、はいはいと聞きながら酒を飲んだものだ。あれはいったいなぜだろう。その理由はふたつある。
 昔の若者はカネがなかった。おとなについていかないと、酒が飲めなかった。今の連中はカネがある。
 もうひとつは、話題にジェネレーションギャップがなかった。たとえば流行歌は、10年も20年も長持ちしていたから、同じ歌が歌えた。今の連中は、5歳違うと歌も話も合わないらしい。
 こうして年配者は、知らず知らずのうちに、若者文化から疎外されていく。はじき出されていく。渋谷とか新宿とかはオジンがあるいているだけで、異物のように見られる。・・・
 だからといって迎合するのは悔しいではないか。・・・
 若者文化に逆襲をかけ、ギャフンといわせる方法はないのか。・・・
 ここでは個人的オジンの努力目標を、ひそかに伝授しておく。
 まず若者文化の弱点をいえば、異様なほど、視聴覚文化に偏っていることである。人間の五感のうち、味覚、嗅覚、触覚じゃ、まったく進歩していない。これらは古い世代ほど、すぐれているのである。
 その証拠に、五感のすべてを必要とするセックスが、若者において退化しているのではないか。若者を感心させ、屈服させたければ、できるだけ視覚、聴覚の話題を避け、味覚、嗅覚、触覚について、ウンチクを傾けなさい。オジンのつけいる隙はこれしかない」
  

エッセイ(101)ある老人の一日

2011-12-14 03:51:32 | エッセイ
 朝ドラ<カーネーション>を見ていたら涙が出た。
 このところ涙もろくなってはいたが涙が頬を伝うなんて初めてだ。
「女のくせに」と腐されてもへこたれない娘。罵倒しても心の中では娘のことを人一倍思っているオヤジ。娘だってそんなオヤジの気持ちは痛いほど分かっている。
 
 突っ張っている父娘の葛藤が胸を打つんだよな。

 先週、先輩が自宅で突然意識不明になって救急車のお世話になった話をしていた。
 すぐ意識は回復し、検査の結果も異状なしだったとは幸いだった。
「三途の川の手前で引返してきたよ。いつお迎えが来てもおかしくない歳になったということだ。キミらも覚悟しとかなきゃ」
 歳のそう違わない我々は神妙な気持ちで拝聴していた。

 今日も、借りた本の期限がきているのであわててオタオタ探しまくったら、自分の本棚に入れ込んでいた。しかも、出がけに財布を忘れた。
 涙ばかりじゃない老人特有の現象が多くなった。

 「声がおかしいわね」日曜日の忘年会の帰りのエレベーターの中で言われた。
 そうなんだ。のどがイガイガするんだ。時々せき込む。夜がたいへんだ。がんがんせき込む。布団もベッドからずり落ちるくらいだ。
 それでも朝4時ごろにはブログを書かなければという意識が働いて目覚める。
 口がからからだ。口を開いて寝ていたようだ。晩年のオヤジを思い出した。

「どうなの? 風邪は」と家内から言われる。
「熱がないからどうってことないけど、たまに咳が出るな・・・」と強がっている。
「でも、今日の映画はムリかな。観ながら咳したらまずいだろ。ひとりで行って来てよ」
 山本五十六の映画の招待券を頂いたので楽しみにしていたのだが。
「病院へ行って診てもらいなさいよ」
 病院は嫌いだが行かざるを得なくなった。 

 朝9時早々だというのに15席ほどある待合室はほぼ満席だ。
  (こんな感じだ)
「どうしましたか? 風邪ですか?」受付の看護婦さんから聞かれて「咳が出るんです。特に夜が・・・」と答える。
 いつもと違って深みのある声だ。何かいつもと違う自分が表現できたような気がしてちょっとうれしい。
 そのうち診察室へ呼び込まれ院長先生の診察が始まる。
「痰は出ない? 鼻水は?」のどの奥に灯りを当てて覗き込み、何かカルテに書きとめながら先生が聞く。「はい、胸を開けて、深呼吸して」忙しなげに、申し訳程度に聴診器を当てて「咳止めの薬を出しておきます。胸に貼るやつもね。お風呂へ入ってもかまいません。それでも咳が止まらないようだったらまた来てください」それで終わりだ。
 聴診器って、背中にも当てるんじゃないの?
 でもこんな具合で処理しなかったら次から次へと来る患者を捌ききれないよな。

 薬を薬局でもらって、その足で借りた本を図書館に返して家へ帰ったら、いつもピーピーと迎えてくれる雀の声がしない。
 亡くなってからもう2週間経つが、何て言ったって12年も連れ添ったのだ。
 まだまだ頭の隅に引っかかってる。
 


 
 
 

エッセイ(100)文明の進化路線に逆らえるか(23)

2011-12-06 05:45:20 | エッセイ
 <カオスの深淵・借金が民主主義を支配する> 朝日新聞が欧州発の世界経済危機に警告を発するシリーズを掲載している。
「人々の上に立つ者たちが不正で財をなす。聖なる宝も公共の財産も奪う。そして正義という神聖な原則さえないがしろにする」今年多くの市民が街頭に出て異議を申し立てた、豊かさをもたらすはずのグローバル化が、<神聖な原則>をなぎ倒し、社会に混沌(カオス)を広げていることへの抗議ともいえる。

 我々人類は、豊かな生活を求めて、いろいろなシステムを考え出した。
 専制主義的、共産主義的、社会主義的、そして民主主義的システムへと辿り着いた。
 しかし、そのシステムが今岐路に立たされている。
 つまり、ギリシャ発の経済危機がEUを揺るがし、米国でも財政赤字解決策で国内が分裂、日本においても債務問題で迷走を続けている。
「今や民主主義が戦う相手は借金だ」というわけだ。
 債務返済のために各国が国民に強いる痛み。それは結局「金融界が国家を通して人々から取り立てる課徴金にほかならない」とも言える。

 だいたい人類の最重要課題は一般の動物と同じで、<食べる>こと、つまり経済である。
 賢いと自負している人類は、その賢さを駆使して表面的には豊かで、便利な文明を構築してきた。
 しかし、一方では排他的動物的性格も持ち合わせている。
 自分だけという奢った姿勢は相手を支配しようとする。
 一般の動物は腹が満たされれば他を襲うことはないが、人類の<強欲さ>は限りがない。
 自然さへ支配しようとして、文明進化路線をかぎりなく走り続けようとする。
 
 この朝日新聞の記事を見た友人は、ギリシャの破たんは働かないでよい生活をしたいという<強欲>の報いだと見ている。
 <強欲>は働かない人だけではない。
 相手を叩き潰さんとばかり、やみくもに力をつけて働く<強欲さ>こそ問題なのでは。
 友人は「いかなる制度をとるにしても自己規制が肝要で、そのためにはやはり教育でしょうか」と締めくくっている。

 全くその通りで、この際、人類は来し方を振り返り、宇宙から見た現在の地球(自然)を客観的に眺めやって、自らの限界を認めるゆとりと謙虚さが必要なのでは・・・。
 ともかく焦って先へ先へと進む人類の性癖はろくな結果をもたらさないと思う。
 

三鷹通信(46)中島美絵子棋士をお迎えして

2011-12-05 05:23:35 | 三鷹通信
地元小学校の課外教室の特別企画、<親と子の初心者囲碁教室>が、昨日日曜日女流棋士中島美絵子二段をお迎えして行われた。
 
 中島プロは早々とお見えになったのに、開始10分前になっても子どもたちはぱらぱらとしか現れない。
 <何でも書いてみよう教室>で宿題を出したら一人しか参加者がなかった嫌な思い出がよぎる。
 ましてや今回は日本棋院のお手を煩わせ、プロにまでお出でいただいているのだ。
 スマイルクラブには素敵なご案内パンフレットまで作っていただいたのに・・・。
 
 校長先生やPTA会長もお出でになっている。
 思わず主催者のAさんと顔を見合わせてしまった。

 ところが開始直前になって続々と集まりだした。
 少し開始時間を遅らせたら親子合わせて目標の30名以上集まりホッとする。
 いつものメンバーは少なく、初めての子どもたちが多い。
 それと、同伴のお父さん、おかあさん、単独の大人たちが多い。
 
 中島プロは小学1年生から囲碁を始め、全国少年少女囲碁大会で5位入賞、全日本女流アマ選手権二連覇の偉業を引っ提げプロになられた。NHK杯囲碁トーナメントの聞き手も務められ、今でも衛星テレビでトーナメントの解説聞き手役としてテレビでもおなじみの素敵な方だ。
 大人の人の参加が多かったのはこのあたりに理由がありそうだ。

 中島プロは簡単な自己紹介から始まって、囲碁の基本を解説、そしてみんなにも7路盤を使って石の取り方などためしてもらう。そして実戦に入る。
 子ども同士、子どもと親、子どもと他人の大人、いろいろの組み合わせで始まった。
  

「ダメダメ、一度打ったら止めることはできないんだから!」
「だって、ちょっと試してみただけじゃない・・・」お母さんが子どもにたしなめられている。

「いやあ、キミ強いね。だけどここはこう打った方が石を取られないし、地も広がるだろう? そうそう理解が早いや。この子はすぐ強くなってぼくなんかすぐやられてしまうだろうな・・・」とおじいさん。

「初めてにしては呑み込みが早いわね。普通子どもの方が覚えるのが早いんだけど・・・」と先生に褒めていただいて照れているお父さん。

「ほら、キミの姿勢わるいよ。中島プロを見てごらん。姿勢がいいだろう? 姿勢がわるいと強くなれないよ」とサポーターのおじさん。

 実戦がひとしきり行われた後、黒板の盤に向かって子どもたちが二手に分かれて連碁を行う。
 手を抜いていた白の急所に手が入って、一気に白が形勢不利になる。
 次の白の打ち手がしばらく盤面を見ていたが、「負けました」と潔く宣言。
「普通、初心者は形勢が良いか悪いか分からなくてとことんまで打つものなのに、この子は形勢が読めるんですね。たいしたものです」と先生から講評をいただいた。

 最後に先生から立派な<修了証>と携帯囲碁盤のお土産を頂いて終了。
 
 みんな満足したかな?
  
 中島プロを囲んで反省会を行い、我々サポーターも充実した気分でした。
 中島美絵子先生、ありがとうございました。