伊藤 整が「組織と人間」の中で、やはり人間は自由を嫌うと述べている。
・・・家庭を持つもの、妻を持つものは、その家族、その妻が、その幸福を社会組織の中にはめ込まれることに見ているから、決して自由であることはできない。
我々は家族によって、即ち性と肉親間の組織を好むという危険な本能によって離れがたく、社会や政治の組織にハメこまれる根本傾向を持っている。
心理学者フロムは我々が自由を恐れて、自由から逃走すると言っているけれども、それは我々の疫病ではなくして、我々の正常な本能である。
社会というものを作る本能をもっていた人間は、初めから自由を嫌った。
多分原始林の生存競争の中に居た時、キバも爪も持たない人類は、組織を持つことによって敵と戦い、自己を保存することが出来たのであろう。
そして、我々がその中に安全さを見出したこの組織なるものは、我々が蟻のような生物たらしめる運命を早くから決めていたのであろう。
熊本県高校文化総体が開幕した。
・・・組織で活躍することの快感を味わいましょう!・・・
・・・家庭を持つもの、妻を持つものは、その家族、その妻が、その幸福を社会組織の中にはめ込まれることに見ているから、決して自由であることはできない。
我々は家族によって、即ち性と肉親間の組織を好むという危険な本能によって離れがたく、社会や政治の組織にハメこまれる根本傾向を持っている。
心理学者フロムは我々が自由を恐れて、自由から逃走すると言っているけれども、それは我々の疫病ではなくして、我々の正常な本能である。
社会というものを作る本能をもっていた人間は、初めから自由を嫌った。
多分原始林の生存競争の中に居た時、キバも爪も持たない人類は、組織を持つことによって敵と戦い、自己を保存することが出来たのであろう。
そして、我々がその中に安全さを見出したこの組織なるものは、我々が蟻のような生物たらしめる運命を早くから決めていたのであろう。
熊本県高校文化総体が開幕した。
・・・組織で活躍することの快感を味わいましょう!・・・