昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(410)羽生結弦の神対応

2018-02-28 05:57:21 | エッセイ
 昨日、外国特派員協会で羽生結弦への記者会見があった。
 
 特に北朝鮮選手のことについて質問された時のコメントは<神対応>と評されました。
 「北朝鮮の選手と会う機会はありましたか?」
 「会ったのであれば、どういう印象をもちましたか?」
 「日本に招待して日本で滑ることを検討することは可能ですか?」

 「ペアの選手とエキジビションの練習中に会うことができました」
 「一生懸命練習していましたし、技術力も持っているように感じました」
  その後は天を仰ぎ「難しい質問は3回目ですね」と言葉を詰まらせながら
 「ぼくは政府の人間ではないから、こういうことへのコメントは難しいですけど、オリンピックに出れてよかったと思いますし、実際に結果もとれてよかったと、ボクは思っています」

 ・・・う~ん、彼はフィギュアの演技だけでなく、コメントにもなかなかのセンスを感じる・・・
       




三鷹通信(256)三鷹市小学生囲碁大会そして市民大学運営委員会

2018-02-25 05:41:54 | 三鷹通信
 昨日は三鷹市小学生囲碁大会にサポーターとして参加した。
 
 すごい数ですね。
 大会出場者50名、学習者30名、父兄の方も多数参加されています。

「今回は、待望の清原三鷹市長にもご臨席いただけました」という大会運営者から促されて、市長の挨拶から始まった。
 
「すごいですね、1年生は手を挙げてみてください! 2年生は?・・・」
 いつもながら軽妙なご挨拶だ。
「6年生は立ってみてください! 囲碁は年下の子が年上の子を負かすことのできるゲームだそうです。最後の小学生時代を頑張ってください!」
「井山プロは国民栄誉賞を受賞されました。みなさんもそうなるかは分かりませんが、可能性に挑戦することはできるわけです・・・」 
 そして、係りの運営委員に顔をめぐらせて、
「審査委員長はプロの8段ですって? よくそこまでお上りになられて・・・。私などは階段1段も踏み外そうになるくらいなのに・・・」と満場の笑いを誘う。
 
 そこで、競技者と別れて講習を受ける小学生は別室に移り、ベテラン講師の指導の下9路盤を使って実戦に入る。
 
 わが三鷹市立第一小学校を指導されているA氏が司会役だ。
「キミ、なかなか素晴らしい手を打ったね! そうして自分の陣地を増やすように打つといいよ」
 ボクも指導して回った。
 時には競技場を・・・。
 スゴイ、小学生ながら6段なんて子もいる。ボクなんかとても敵いそうにない。
 スバラシイ早見えで打ち回す。
 ・・・いやあ、ぼくも刺激をもらった。

 ボクは途中退座して、市民大学の運営委員会のほうに回った。
 哲学コースからの参加は、ボクとS氏だけだった。
 市民大学も最終盤にさしかかり、フェスティバルや、授業内容についての総括が求められた。
 特に<子育て>コースの運営委員から積極的なコメントが出て、難しい講義内容も予め講師からレジメを頂くことにより、講師との活発な質疑応答があったこと、それと他のコースでは出席者の少ない<自主学習>も、講師の講義内容をベースに生徒たちの間で活発な討議がなされて充実していたという。さすが、足が地についているというか・・・感心させられました。

 わがコースに関してはS氏からムズカシイ講義内容を受ける一方で消化不良の問題点もあったが、自主学習では外部の識者を招いたり、映画を鑑賞したりの工夫があり、フェスティバルでは出展方法などに問題もあったが、グループに分かれて出展内容を検討、討議したことに意義があったことなどを説明いただいた。
 
 ボクからはメインの合田先生の講義内容が難しく、しかも講師の一方的な講義に終始し、質問時間も少ないなど消化不良だったことを反省し、最後の日には合田先生を囲んでお弁当、コーヒーを飲みながら、哲学カフェ方式で語り合おうという運営委員からの提案が採用されたことに期待していると報告した。




三鷹通信(255)五感の哲学 人生を豊かに生き切るために

2018-02-24 05:31:32 | 三鷹通信
 加藤博子「五感の哲学 人生を豊かに生き切るために」
 雪まじりの小雨、寒い日だったが、30人余り思いのほか多くの人が集まった。
 
 加藤博子講師は広島大学から名古屋大学に学び文学博士号を取得、20年間大学院生活をして現在は南山大学、愛知大学、岐阜大学の講師を務める。
 朝日、NHK等々のカルチャーセンター講師の他、最近では大人の家庭教師、つまり知的訪問介護で、お年寄りに知的パワーをそそいでいらっしゃるとか。
 ご本人曰く、<機関銃トーク>でいろいろなエピソードを交えながら軽快に話された。
 「五感の哲学」
 
 ベスト新書から売り出されたこの本を売るために工夫をした。
 書店のポップに、
「これは哲学書の専門書ではありません。ひそかに哲学にひかれているあなたへの私信です」
 ・・・一般向けにも、アカデミズムにも必要な言い訳・・・
 
 顏を知らない人より、知っている人のほうが売れるビジュアル社会だ。
 タレントとか、テレビによく出る作家の本が売れる時代だ。
 加藤博子さんは出版社の意向に背いて、頑としてご自身の顔写真を載せなかったそうだ。
 (実際にお顔を拝見して、哲学を語る紅顔の美少女という趣も残ってらっしゃって、載せるのもありだったかな・・・失礼)

 実際の読者からの反応は、
「哲学なのに読みやすい」「忘れていたことが思い出されました」「付箋がいっぱいです」など好評だったようだ。
 それに数々の大学の入試問題に使われ、愛知県の公立高校の入試問題にも採用されたそうです。
「この本がきっかけで、このような講座に呼んでいただけました」と嬉しそう。

 この不安な世の中、如何に生きるかは問題です。
 宗教に帰依し、神様に頼る人もいますが、自分の頭と身体で世界を感じ取り、考えようとする方のための本です。
 自分の感情を認識し、自省する能力、他者を共感的に理解する能力を育てます。
 
 <EQ(感情指数>という自己の感覚や思考をコントロールすることで、周囲との関係を円滑にする方法があります。
 それとの共通点は・・・感じて考える。その考察から自分の感覚、傾向を客観的に知る。
     違いは・・・周囲の人々への影響を目的としていない。あくまで、まず自分をよく捉え直す。
 *五感を研ぎ澄ますだけでなく、逆に敢えて感覚を閉じてみることで、世の中で起きている出来事の根底を把握し、そこにある問題について考える時間を持つ。
 自分がこの世に居る残りの時間を、ゆっくりと味わい尽くす。

 ・・・80歳を超えたボクを最も納得させた個所です。
 *<自己の内なる自然> 有用性から解放された存在、経済と関わらない活動。
             ・・・退職者、ボランティア、子ども
  何の役にも立つのか分からないことを思わずやってしまう。
  お金にならなくてもやりたい。
  時間をかけることが苦にならない。
  むしろ疲れがとれる。
  <自然>は善悪の彼岸、人間の尺度を超える。

 *癒しではなく未知を求めて
 悔いのない人生、それは楽ちんに過ごすことではない。
 
 ぬるま湯につかっているだけではなく、五感に注意を向けてみよう。
 五感そのものの迷宮へと深く迷い込んで、あなたに心地よい熱い秘湯を見つけてみませんか。
 

 死ぬまで生きる目処が立ちました。
 加藤博子先生、ありがとうございます。
          





三鷹通信(254)財政破綻と日銀の異次元緩和

2018-02-18 05:33:24 | 三鷹通信
 一昨日は市民大学で小森陽一東大教授の「漱石からみる現代」という講演を聴いた後、一般公開された安永隆則元日銀支店長の講演に臨んだ。
 安永氏は市民大学の運営委員をされている仲間だが、今日はTYK総合企画代表というお立場で、福島、静岡、仙台などの支店長を歴任された経歴を生かして講演をされた。昨年の9月に続く2回目の講演だ。
 30席ある会場は満席となり、溢れた人が他から椅子を運び込むほどの盛況だった。

 安倍首相に気に入られた黒田日銀総裁は、再任して<アベノミクス>の仕上げに従事するという。
 
 世界的傾向であるが、財政危機は放置してじゃぶじゃぶの金融異次元緩和はさらに継続するということだ。

 FRBとECBは出口戦略を開始したが、日銀は未だ硬直的だ。

 特にボクの注目したのは世界的な金融緩和の中での金融トピックスだ。
 ①仮想通貨の勃興
  
 ②巨大資金の闇(プライベートバンキングの世界)
 ③紙幣廃止の動きまであるという。

  グローバリズムの世界経済の中で、<経済空洞化><少子高齢化>という成長制約がある日本。
  安倍・黒田ラインは如何なる打開策を用意しているのか先が見えない。
  世界的に見ても確たる経済理論もないまま、ギャンブル的な経済活動がAIと結びついて巨大資金はますます限られたお金持ちの手に・・・。

  将来不安に満ちた一昨日だったが、、昨日の日本は明るいニュースが飛び込んできた。
 *平昌オリンピック、男子フィギュア羽生結弦、宇野昌磨選手の金銀奪取。
  
 *藤井聡太棋士が中学生で朝日杯優勝、六段に昇格。
  
  アメマで優勝戦を観戦していた。
  
  この場面で相手の飛車を防ぐために桂馬を垂らした一手!
  後で解説されてみれば、いかに素晴らしい手であったかが、素人のボクでも分かった。
  
  北朝鮮問題で、トランプ大統領と共に強硬姿勢一辺倒の安倍首相を補佐する河野太郎外相。
  
  しかし、昨日の会見で「核とミサイルを放棄し、対話のテーブルに着けということを伝える。あるいはそれに対する北朝鮮の反応を聞くという意味で
  接触は大切だ」と語った。
  彼の姿勢に期待したい。


三鷹通信(253)市民大学・「漱石から見える現代」

2018-02-17 07:15:11 | 三鷹通信
 小森陽一東京大学教授「漱石からみえる現代」
 今回は30名満席だった。
 
 ボクにとって知らなかった夏目漱石の一面を浮き上がらせていただいた。
 小説のみならず、漱石は社会時評を手がけており、しかもかなりの講演を行っていることを・・・。

 もちろん、漱石が作品のなかで「吾輩は猫である」他、鋭い文明評論を展開されていることは知っている。
 <草枕>の冒頭の文学的な一文。
 
 智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。・・・
 そして<汽車論>なる文明評論には膝を打たざるを得なかった。
「汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱に詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまって、そうして同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車に乗ると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆるかぎりの方法によってこの個性を踏みつけようとする。・・・」
 
 *文明開化について語っている。

 明治になって、人々の生活の内容が変わってきている。つまり、昔の型を守ろうとする人とそれに反抗する人。<開化>というのは、積極的な勢力の消耗と消耗を出来るだけ防ごうとする消極的な活動が入り乱れて出来上がる。
 外界の刺激に反応する方法が、反応する活力をなるべく制限節約して出来るだけ使わない<活動節約の行動>方法と、自ら進んで刺激を求め、快感を得る<活力消耗の趣向>方法とがある。
 言い換えれば義務の刺激に対する反応としての<消極的な活力節約>と道楽の刺激に対する反応としての<積極的な活力消耗>
 <活力節約>は出来るだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようとする。
 汽車汽船、電信電話、自動車とかの工夫だが、面倒を避けたい横着心の発達した便法だ。
 <活力消耗>は、いわば道楽根性も自由我儘の限りを尽くして発展する。
 女道楽ばかりじゃなく、絵画とか読書、学問とか・・・。
 しかるに、これほど労力が節約でき、娯楽の種類や範囲が拡大されても、有難味がわからなかったり、生活の苦痛が非常なものだったり・・・。
 これが開化の産んだ一大パラドックスだ。

 西洋の開化は<内発的>であるのに対して、日本の現代の開発は<外発的>である。
 外からおぶさった他の力でやむを得ず取る一種の形式だ。
 今後、何年も恐らく永久的に、外から押されて行かなければ、日本が日本として存在できないのでは・・・とおっしゃっているが、何と慧眼!


 *文学について。
 その概念を根本的に自力で作り上げるしかないことを、ロンドンで覚らされたそうだ。
 他人本位の、根のない浮き草ではダメだと・・・。
 甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民にも気に入られるとは誤認だ。
 合理的で万人が同意できる<科学>と、感性的判断をする<文学>とは違う。
 それに気づいて以来、文芸に対する立脚地を新しく建設するために、社会学、心理学、ダーウイン進化論等々、文芸と関係のない書物を読み始めた。
 そして<自己本位>という言葉を手にしてからは強くなった。
 価値判断するのは<私>だと。

 *「学習院での講演>
 上流社会の子弟が集まる学習院。あなた方に一番付随しているものは<権力>、自分の個性を他人の頭の上に圧しつける道具。
 <権力>に次ぐものは<金力>、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る重宝なものである。
 しかし、力があるだけに非常に危険なものでもあることを知るべし。

 *朝日新聞紙上では「点頭録」(点頭はうなずくの意)で、<軍国主義>について語っている。
 第一次大戦の特質について、「ドイツの<軍国主義>が、イギリスやフランスの培養した<自由>を破壊するもの」として喝破している。
 特にイギリスで<強制徴兵案>を議会で大差をもって議決したことを重視している。
 これこそ、現代の<自由>を踏みつけにした文明の流れを産んだものであると。

 



なるほど!と思う日々(506)仲道郁代のショパンの魅力

2018-02-16 18:50:22 | なるほどと思う日々
 NHK Eテレ「らららクラシック」で、仲道郁代のピアノ曲、ショパン「バラード第一番ト短調」の魅力に感銘!
 
 ショパンのピアノ曲「バラード第一番ト短調」
 
 故郷ポーランドへの想いを込めて
          

  ユーチューブの「仲道郁代ショパン第一番ト短調」で実演をご覧ください!
 www/youtube.com/watch?v=KqUd8TY1j7Q
 羽生結弦、オリンピックの舞台で、「バラード第一番ト短調」に乗せて復活の第一位に! 
 




三鷹通信(252)Jマート跡地にホームセンター・コーナン

2018-02-15 04:45:47 | 三鷹通信
 Jマート跡地にホームセンター・コーナン
         なんと、見慣れない看板が・・・
 
 昨年閉店したJマート跡地にホームセンター・コーナン?
 
 
 内部では改装が始まっているようだ。

 本社を大阪府堺市に置くホームセンターの大手だ。
 
 3月上旬には開店するという。
 いろいろな憶測が飛んでいたが、やはりこの設備を利用するとしたら<ホームセンター>だね。
 期待しよう!




なるほど!と思う日々(505)今や、グローバリズムという病を認識すべき時!

2018-02-14 06:49:22 | なるほどと思う日々
 今やグローバリズムは転換期を迎えている。
 
 2016年のイギリスのEU離脱。
 
 アメリカ大統領に政治家の経験のないトランプが就任。
 
 2017年フランス大統領選では極右のマリーヌ・ルペンが決選投票に残った。
 

 ・・・主流派の政治家、官僚、財界、知識人、マスメディアといった<エリート>たちが、最近立て続けに見通しを誤るようになり、世界の不確実性や不透明性に困惑し、自信を失いかけている。・・・
 それはエリートたちがグローバリズムという座標軸に執着し、思考停止しているからだ。
 つまり、グローバリゼーションの次の時代が始まっていることに、彼らはいまだに気づいていない。

 ここで、2012年6月「リオ+20地球サミット2012」でのウルグアイ大統領ホセ・ムヒカの演説を思い出してみよう。
 
 世界で一番貧しい国の大統領の演説は世界に衝撃を与えた。
 そこではグローバル経済なるものに対する根源的な問いがあり、異議申し立てが行われている。

 ・・・要点を挙げてみる・・・
「ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
 ・・・西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?・・・なぜ私たちはこうのような社会をつくってしまったのですか?・・・マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバりゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?」

 現在起きている問題は、過剰な消費社会が生み出したものであり、より過剰な消費社会に向かわせたい企業の欲望と、より快適な生活を望むわたしたちの欲望が共振して起きているということなのだ。
 その病から抜け出さない限り、世界の市場化、世界の破滅はますます進むことはあっても、それが止むことはないだろう。





なるほど!と思う日々(504)<成長経済>から<定常経済>へ

2018-02-13 05:08:20 | なるほどと思う日々
 先日、NHKテレビの「財前直見のファミリーヒストリー」を見て感銘を受けました。
 
 財前て芸名じゃなくて本名なんですね。
 女優をしながら、最近は実家の大分県杵築市に定住しているんだそうです。
 
 山や川、畑など自然に恵まれた環境でゆったりと過ごしているそうです。
 
 
 子どもには「自給自足が一番よ、おカネじゃなくて」と教育しているそうです。

 そこで、「今や<成長経済>より<定常経済>が望ましい」というハーマン・デイリーの言葉を思い出しました。
 
 <定常経済>?
 かつてとは違って、今では環境問題を含む経済の成長のための費用のほうが生み出される便益よりも大きくなっており、<不経済な成長>になっているというのです。
 このまま<経済成長>でいいのか?と考えるときだと。
 つまり、地球は有限であって、いつかは成長をやめざるを得ないときがくる。
 <進歩>とは量的な増加ではなくて、質的な向上である、と考えを変えるべき時だと。
 

 江戸時代の250年間、経済成長は0.4%だったそうです。
 <成長>を前提としていない、いわゆる<定常経済>が存在していたんですね。
          
 今こそ<定常経済>について考えるべきときじゃないでしょうか?




三鷹通信(251)市民大学、三つの一神教の抗争、宗教哲学の可能性

2018-02-10 12:25:28 | 三鷹通信
 昨日は合田正人明治大学文学部長の9回目の講座「三つの一神教の抗争、宗教哲学の可能性」
 いつもながら、先生の講義は該博な知識が飛び散り、浅学なボクにははなはだまとめにくい。
「宗教とは?」で始まった。
 religio(ラテン語)で語義は二つある。
 
 <religare>(再び結びつける)
 <relegare>(再び読む・自分を省みる)

 「宗教と起源」
 どの宗教も<始まり>ないし<起源>に拘泥するのは何故であろうか?
 ダニエル・シボニー(1942年モロッコで生まれ、1955年パリに移住した。数学者、哲学者、精神分析家としてフランスで活躍したユダヤ人)
 
 彼によれば、、そもそも<宗教>とは<起源>たるものと係るその仕方にほかならなかった。
 「宗教とは同一化という問いの一つのアスペクトであり、起源への関係のひとつの管理、深淵の淵に道標を立てるひとつの仕方であり、それは数々の安心な場所、制御可能な数々の力学を創設するためである」
 ・・・あたかも<深淵>を覗き込んで足のすくむような恐怖が含意されているのである。
 ・・・本質的に不安定な<起源への憎悪>であり、人間関係における<憎悪の起源>にほかならない。
 
 「三つの一神教」
 
 シボニーにとって<イスラーム教>とは<兄弟たちの宗教>にほかならず、「際限のない授乳」「輸血」にも比せられる母子の融合による<同一化>であり、息子たちへの<呼びかけ>こそが<コーラン>である。
 魅惑的な母の<巨大な身体>によって<起源>という<深淵>を塞ぐのである。
 「ジハード<聖戦>とは、この巨大な母性的身体のなかにできるだけ多くの兄弟たち、信者たちを組み込もうとする<努力>にほかならない。
 
 しかし、この<努力>は改宗の強制ではない。
 <ムスリーム>=神に服従するものという曖昧さに包まれたものだ。
 どの一神教にとっても、他の一神教には欠けたものを有している。
 例えばイスラム教にとっては、ユダヤ教もキリスト教も真の<服従>を欠いたものだ。
 キリスト教からすると、ユダヤ教は<恩寵><愛>を欠いてものだ。
 ユダヤ教からするとキリスト教は厳格な<正義>を欠いている。
 ユダヤ教、キリスト教からすると、イスラム教はそもそも<起源>に係ることさえありえない。
 このような欠如を、三つの一神教は互いに非難し合い、他の一神教はこのように非難することでも安定した<起源>を私有化しようとする。

 エルサレムの世界でも最も審査が厳しいテリアビブのベングリオン空港。
 
 嘆きの壁
 
 岩のドーム
 
 街の中で商売するもの、お祈りをするもの、どれがアラブ人かイスラエル人か、見かけだけではわからない。

 
  *<崇高なもの>を信じるのが<宗教>なら
         知ろうとするのが<哲学>か。
  *次回は、一神教を超える<宗教>の存在について探求したい。