昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

言葉(10)レイモンド・チャンドラー・夢の女

2012-03-31 06:47:54 | 言葉
 ハードボイルドの巨匠、レイモンドチャンドラーの描くカッコいい女を<長いお別れ>の中からピックアップしてみる。

 
 としをとった給仕がそばを通りかかって、残り少なになったスカッチと水をながめた。私が頭をふり、彼が白髪頭をうなずかせたとき、すばらしい<夢の女>が入ってきた。一瞬、バーの中がしずまりかえった。活動家らしい男たちは早口でしゃべっていた口をつぐみ、カウンターの酔っ払いはバーテンに話しかけるのをやめた。ちょうど、指揮者が譜面台をかるくたたいて両手をあげたときのようだった。
 かなり背のたかい、すらりとした女で、特別仕立ての白麻の服に黒と白の水玉のスカーフを頚にまいていた。髪はおとぎばなしの王女のようにうすい金色に輝いていた。頭にかぶった帽子の中に金髪が巣の中の小鳥のようにまるまっていた。眼はめったに見かけないヤグルマソウの花のようなブルーで、まつ毛は長く、眼につかないほどのうすい色だった。向こうの端のテーブルまで歩いて行って、白の長手袋を脱ぎはじめると、さっきのとしよりの給仕が私などは一度もされた覚えのないいんぎんな態度でテーブルをひいた。彼女は腰をおろして、手袋をハンドバックのストラップにはさみ、やさしい笑顔で礼をいった。笑顔があまり美しかったので、給仕は電気に打たれたように緊張した。女はひじょうに低い声で何かいった。給仕はからだをまげて、急いで出て行った。人生の一大事が起こったような急ぎ方だった。
 私はじっと見つめた。彼女は私の視線をとらえて、目を半インチほどあけた。私はもうそっちを見ていなかった。しかし、どこを見ていたにせよ、私は呼吸(いき)をのんでいた。


 ひとり、あるいは何人かの男がくつろいでいたバーに、ひとりのすばらしい女が入ってきたことで、雰囲気が一変する。ぼくは映画のシーンを見ている気になり、その先のストーリーを勝手に展開させていた。

言葉(9)ウイリアム・アイリッシュのデート描写

2012-03-30 07:05:22 | 言葉
 1940年代本格推理小説の行きづまりを打開するかたちで、サスペンス派のウイリアム・アイリッシュは登場した。
 その強烈なサスペンスと同時に、美文調のアイリッシュ節にぼくも魅了させられた。
 <幻の女>や<裏窓>などで知られている。

 数ある短編集の中、<死ぬには惜しい日>からその一節を。

 そこはささやかなオアシス、息つくところ、都会の喧騒のまっただなかながら、すてきなところだった。公園の孤独はここにはない。派手によそおった昼休みの人が、蜜蜂のようにむらがりあふれて、それでもここは気の休まるところ、心なごむところですらあった。
 センターの後方を私道──その非公共性を主張するため、年に一日、高度に技術的な理由をもうけて、交通止めになる──のほうへ引き返し、大勢の人にならって、ロワー・プラザをふちどる、陽であたたまった石の上に腰かけた。冬に一、二度、下でアイス・スケートをしているのを見にきたことがあるが、いまは氷はなくて、人々は底にならんだテーブルにかけ、色あざやかなパラソルの下で食事をしていた。頭の上では、ずらりとつらなった万国旗が、あたためた蜂蜜のようにまろやかな微風をはらんで、気恥ずかしげに揺れている、どこの旗かあててみようとしたが、たしかなのはユニオン・ジャックと、フランスの三色旗ぐらいのもので、あとは知らなかった。いまの世界には、あたらしい国がつぎつぎにできているのだ。・・・
 

 ・・・彼女はチョコレート・モールテッド、彼はトーステッド・ハムとコーヒーをとった。
 そこからまた歩いて、シックスス・アヴェニュー入口から公園に入り、ゆるやかにカーブする歩道をほとんど夢遊病者の足取りで進んだ。入口でメイン・ドライブウエイと交差した道は、やがて直線になって公園の中心部に入り、遊歩路、湖、横断歩道へと向かう。
 


 もう話題は、しだいに個人的なことにおよんでいた。外界のこと、周囲のこと、たがいの生活の表面上のことがすくなくなり、立ち入ったこと、内面のことが口にのぼった。といっても。つぎからつぎへ途切れもなくというのではなく、ときおり内面をかいま見せるていど、いわばたがいのプライバシーと弧絶という鎧に、ちらちら隙間がのぞくといった感じだった。それで彼女は、彼の好きなもの多数と、きらいなもの少々を知り、彼もまた彼女についておなじことを知った。すると、共通して好きなものがおどろくほど多く、共通してきらいなものがまたすくなくなかった。
 あたしたちすごく気が合うんだわ──そんな思いが頭にわいた。
font>

金沢便り(35)堂形のシイノキ

2012-03-29 04:27:27 | 金沢便り
 金沢の山ちゃんからのフォト便り
 
 街中に在る天然記念物<堂形のシイノキ>

 江戸時代中期から「大槻伝蔵」の屋敷に在ったものを明治になって、(旧)県庁玄関前に移植したと言う。
 堂形(どうがた)は江戸時代の地名(現在は廣阪)

 この近くには「兼六園」「金澤城」「21世紀美術館」など観光に訪れる人も多く、旧県庁建物は「シイノキ迎賓館」として結婚式披露宴やショーの催しに利用されている。
 左右2本のスダジイは昭和18年8月24日天然記念物に指定されている。
 樹高は左側のもので13mある。
 
 

 
 
 

 
 金沢市廣阪(旧県庁・現しいのき迎賓館

 ぼくは、高校まで金沢にいたが、このシイノキについて見覚えはあるが由来までは知らなかった。
 <スダジイ>というのはブナ科のシイノキ属。

 
 (兼六園)

 
 (金澤城)

 
 (21世紀美術館)

 
 (シイノキ迎賓館)
 

言葉(8)半村良の女っぽいとは

2012-03-28 05:18:04 | 言葉
 正直言って、半村良氏のことはよく知らない。
 たまたま下記に取り上げる<女帖>しか読んでいないと思う。

 ウィキペディアで調べてみた。
 

 一時、<伝奇SF小説>と呼ばれるジャンルを開拓して活躍していたようだが、<雨やどり>という人情小説で直木賞を受賞している。
 連れ込み宿の番頭やキャバレーのバーテンなど30近い職業を転々としたという。
 女に向ける確かな目は、その頃養われたものであろう。

 以前、スリップの上へレインコートを着て、電車で出勤して来た若いホステスを見たことがある。梅雨のおわりの頃で、蒸し暑い雨の日であった。
 私はそれを大変カッコいいと思った。ワンピースは手に持った紙袋にいれてあり、店へ着くまでに汗ばんでしまうよりは、そのほうがずっと賢いと感じた。それにもまして、レインコートのしたはスケスケのスリップだけというのが色っぽく、人ごみをその格好で何食わぬ顔をして通り抜けて来た彼女に、少しばかり尊敬の念を抱いたりした。
 だが、それは男っぽいやり方であった。本当に女らしい場合は、そんなことはしないのではないだろうか。
 一生懸命に化粧して、あれこれ衣裳選びをした末にやっと着る物をきめ、着おわって靴をはいてしまってから、「あらいやだ、雨よ・・・」と眉をひそめてレインコートを着る。道を歩きだしてしばらくすると蒸し暑さに気づきはじめ、電車に揺られているうちに汗びっしょりになってしまう。
「どうしよう。汗でビショビショ・・・」
 店へ着いてレインコートを脱ぐとそんな悲鳴をあげ、汗を拭くやら乾かすやらの大騒ぎ。そんなときはたいてい仲間のホステスが一人二人面倒を見てくれて・・・と、そうなるのだ。
 
 (半村良<女帖>から)
 

言葉(7)エド・マクベインとグロテスクな現実

2012-03-27 06:37:48 | 言葉
 現実はロマンチックな、あるいは感動的なシーンに充ちているわけではない。
 
 エド・マクベインの描くようなグロテスクな、目を背けたくなるような現実もある。

  市では六月が芳しい土曜の午後の魔術を演じていた。
 ふたりの十七才の少年がもっと小さい少年を呼び止めて、金をもっているか尋ねる。・・・
 金はもってない。
 彼にあるのはどうしようもない恐怖だけで、それが原始の野獣の体臭のように年上の少年たちにも移っていった。・・・
 ふたりは彼を殴った。・・・
 気を失って鼻をつぶされ、口からは四本の歯をたゝき折られた少年を残して逃げ出す。
 

  
 日光がすでにべたべたしてきたタールに降りそゝぎ、四人の少年が十二才の少女を黒い溶けかかったそのタールの床に押しつけていた。五人目の少年が彼女のパンティをぬがせて、悲鳴を上げられないようにその口につっこむ。少女は動くことも出来なかった。・・・しまっている屋上のドアのそばに立っていた少年が、「ドック、早くしろよ」と囁く。パンティをぬがせた少年は、まばゆい太陽を背に、背の高い大きな体でいま彼女の上にたちはだかっていた。・・・ドアのそばに立っていた少年はほかの少年たちがかわるがわる少女を犯すのを、いらいらとちょっとジグを踊りながら待っていた。彼の番がきたとき、みんなはだれかにみつかる前にこゝから逃げ出したほうがいゝという。・・・見張りに立たされていた少年は、階段を通りにおりるまで「ひでえや」といゝつづけていた。・・・
 
 
 横丁のアパートでは、男がひとり、肌しゃつとズボンという姿でテレビを見ていた。ハーフスリップとブラジャー姿のその女房が、栓をあけたビールを二本とグラス二個をもって、パタパタと台所から出てきた。ビール一本とグラスを男の前に置くと、もう一本のビールを自分のグラスに注ぐ。あいている裏庭に向かった窓から、三日月がほの白い光を投げていた。女はテレビのスクリーンを見て「またあれ?」と言った。「ああ」男は言って、ビールのビンを取り上げる。「あの番組は嫌いよ」女房はいった。「おれは好きなんだ」ひと言もいわずに女はテレビに歩み寄り、チャンネルを切り替える。ひと言もいわずに夫は椅子から立つと、すばやく妻のそばに行って、ビールのビンで妻を十一回殴った。・・・
 彼はテレビのチャンネルを見ていたものにもどして、その番組がおわるまで警察に電話しなかった。四十五分たってからだ。
 
 (いずれも、エド・マクベイン<はめ絵>から)

言葉(6)囲碁観戦記

2012-03-26 04:50:36 | 言葉
 ぼくは囲碁が好きだから、時々新聞の観戦記を読む。
 ヘボだから、プロの打つ手の良しあしはよく分からないからいつもはさっと読み流す。  
 しかし、もう17年前になるが、第20回名人戦最終予選に臨む棋士の心の動きや周囲の臨場感を伝える浅井義量氏の観戦記は、今でも記憶に残っている名文だ。

 
  (いずれも参考イメージ)

 一瞬の気の緩みから前譜で大失敗をした王は、多大な犠牲を払って中央の黒を生き、寄せ勝負に望みをつないだ。しかし、何といっても黒四子をのみ込まれた形はひどい。盤側で鈴なりになって観戦していた若手棋士は、席を離れると一様に首をにねった。階下の五階記者室にも「星野優勢」の報が伝わり、「星野君って、どんなひとだっけ」という会話が飛び交ったのも、このころだ。 
 (星野正樹)
  (王立誠)

 星野の中央白86のツケ、好手。白90まで突き抜き、夢のリーグ入りが目前に迫った。
 考慮時間は残り一分。頭をふるに回転させて、トドメとばかり白94とぶち込んだのがとんでもない読み違えだった。・・・
 王に平然と97にツガれ、錯覚に気づいた星野は、聞き取れないほどの小声で「ばかな」とつぶやいた。対局が始まってから終局まで、星野が言葉を発したのは、この一言だけである。・・・流れは再び王に向き、もう変わらなかった。

 (朝日新聞1994.12.10)

言葉(5)村上春樹(2)

2012-03-25 04:36:37 | 言葉
 村上春樹が世界の多くの読者に受けているのは、何と言っても男と女の性的描写の巧みさにあるのだろう。

 <ノルウエイの森>で、複数の女とかかわり合う中で同級生の緑との関係を取り上げてみる。

 
 僕は緑の小さなベッドの端っこで何度も下に転げ落ちそうになりながら、ずっと彼女の体を抱いていた。緑は僕の胸に鼻を押しつけ、僕の腰に手を置いていた。僕は右手を彼女の背中にまわし、左手でベッドの枠をつかんで落っこちないように体を支えていた。性的に高揚する環境とはとてもいえない。僕の鼻先に緑の頭があって、その短くカットされた髪が時々僕の鼻をむずむずさせた。
「ねえ、ねえ、ねえ、何か言ってよ」と緑が僕の胸に顔を埋めたまま言った。
「どんなこと?」「なんだっていいわよ。私が気持良くなるようなこと」「すごく可愛いよ」「ミドリ」と彼女は言った。「名前をつけて言って」「すごく可愛いよ。ミドリ」と僕は言いなおした。「すごくってどれくらい?」「山が崩れて海が干上がるくらい可愛い」緑は顔を上げて僕を見た。「あなたって表現がユニークねえ」「君にそう言われると心が和むね」と僕は笑って言った。「もっと素敵なこと言って」「「君が大好きだよ、ミドリ」「どれくらい好き?」「春の熊くらい好きだよ」「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。「それ何よ、春の熊って?」「春の野原を君が一人で歩いているとね、向こうからビロードみたいな毛なみの目の繰りっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱きあってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろう?」「すごく素敵」「それくらい君のことが好きだ」緑は僕の胸にしっかりと抱きついた。「最高」と彼女は言った。「そんなに好きなら私の言うことなんでも聞いてくれるわよね? 怒らないわよね?」「もちろん」「それで私のことずっと大事にしてくれるわよね」「もちろん」と僕は言った。そして彼女の短くてやわらかい小さな男の子のような髪を撫でた。「大丈夫、心配ないよ。何もかもうまくいくさ」「でも怖いのよ、私」と緑は言った。

 
 
「ねえ、どうしたのよ。ワタナベ君?」と緑は言った。「ずいぶんやせちゃったじゃない、あなた?」「そうかな?」と僕は言った。「やりすぎたんじゃない、その人妻の愛人と?」僕は笑って首を振った。「去年の十月の初めから女と寝たことなんて一度もないよ」緑はかすれた口笛を吹いた。「もう半年もあれやってないの?本当?」「そうだよ」「じゃあ、どうしてそんなにやせちゃったの?」「大人になったからだよ」と僕は言った。・・・
「ねえ、ワタナベ君、本当にもう半年もセックスしてないの?」「してないよ」と僕は言った。「じゃあ、この前私を寝かしつけてくれた時なんか本当はすごくやりたかったんじゃないの?」「まあ、そうだろうね」「でもやらなかったのね?」「君は今、僕の一番大事な友だちだし、君を失くしたくないからね」と僕は言った。「私、あのときあなたが迫ってきてもたぶん拒否できなかったわよ。あのときすごく参ってたから」「でも僕のは固くて大きいよ」彼女はにっこり笑って、僕の手首にそっと手を触れた。「私、少し前からあなたのこと信じようって決めたの。百パーセント。だからあのときだって私、安心しきってぐっすり眠っちゃったの。あなたとなら大丈夫だ。安心していいって。ぐっすり眠ったでしょう。私?」「うん、たしかに」と僕は言った。「そうしてね、もし逆にあなたが私に向かって『おい緑、俺とやろう。そうすれば何もかもうまく行くよ。だから俺とやろう』って言ったら、私たぶんやっちゃうと思うの。でもこういうこと言ったからって、私があなたのことを誘惑したとか、からかって刺激しているとかそんな風には思わないでね。私はただ自分の感じていることをそのまま正直にあなたに伝えたかっただけなのよ」「わかっているよ」と僕は言った。


 

 直子が死んでしまったあとでも、レイコさんは僕に何度も手紙を書いてきて、それは僕のせいではないし、誰のせいでもないし、それは雨ふりのように誰にもとめることのできないことなのだと言ってくれた。しかし、それに対して僕は返事を書かなかった。なんて言えばいいのだ? それにそんなことはもうどうでもいいことなのだ。直子はもうこの世界には存在せず、一握りの灰になってしまったのだ。・・・
 僕が求めていたのは知らない町でぐっすり眠ることだけだった。・・・・
 僕は一度緑に電話をかけてみた。彼女の声がたまらなく聞きたかったからだ。
「あなたね、学校はもうとっくの昔に始まってんのよ」と緑は言った。「レポート提出するやつだってけっこうあるのよ。どうするのよ、いったい? あなたこれで三週間も音信不通だったのよ。どこにいて何してるのよ?」「悪いけど、今は東京に戻れないんだ。まだ」「言うことはそれだけなの?」「だから今は何も言えないんだよ、うまく。十月になったら──」緑は何も言わずにがちゃんと電話を切った。
 
 


 僕は緑に電話をかけ、君とどうしても話がしたいんだ。話すことがいっぱいある。はなさなくちゃいけないことがいっぱいある。世界中に君以外に求めるものは何もない。君と会って話したい。何もかもを君と二人で最初から始めたい、と言った。
 緑は長いあいだ電話の向こうで黙っていた。まるで世界中の細かい雨が芝生に降っているようなそんな沈黙がつづいた。僕はそのあいだガラス窓にずっと額を押しつけて目を閉じていたそれからやがて緑が口を開いた。「あなた、今どこにいるの?」と彼女は静かな声で言った。
 僕は今どこにいるのだ?
 僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみた。僕はどこにいるのだ? でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ? 僕の目にうつるのはいずこへとなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。
 

言葉(4)村上春樹(1)

2012-03-24 05:41:09 | 言葉
 今や世界中に多くのファンを持ち、ノーベル文学賞の有力候補と見なされている村上春樹氏も、芥川賞はもらっていない。
 

 1949年に<風の歌を聴け>で、候補になったことはある。
 しかし、当時の選考委員の瀧井孝作氏の「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたようなハイカラなバタくさい作品・・・」ということで一蹴されてしまった。
 唯一、「アメリカの小説の影響を受けながら自分の個性を示そうとしています。もしこれが単なる模倣なら、文章の流れがこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。作品の柄がわりあい大きいやうに思ふ」という丸谷才一氏の評価もあったが・・・。

 その後、青春の実感である喪失感や虚無感そして再生を描き新境地を拓いたという、1987年に出版した<ノルウエイの森>が430万部のベストセラーとなる。
 
 
 その中から、喪失感や虚無感を示す、よどみのない<表現>を切り取ってみる。

 土曜日の夜にはみんなだいたい外に遊びに出ていたから、ロビーはいつもより人も少なくしんとしていた。僕はいつもそんな沈黙の空間にちらちらと浮かんでいる光の粒子を見つめながら、自分の心を見定めようと努力してみた。いったい俺は何を求めているんだろう そしていったい人は俺に何を求めているんだろう? しかし答えらしい答えは見つからなかった。僕はときどき空中に漂う光の粒子に向けて手を伸ばしてみたが、その指先は何にも触れなかった。

 僕は奇妙に非現実的な月の光に照らされた道を辿って雑木林の中に入り、あてもなく歩を運んだ。そんな月の光の下ではいろんな物音が不思議な響き方をした。僕の足音はまるで海底を歩いている人の足音のように、どこかまったく別の方向から鈍く響いて聞こえてきた、時折後ろの方でかさっという小さな乾いた音がした。夜の動物たちが息を殺してじっと僕が立ち去るのを待っているような、そんな重苦しさが林の中に漂っていた。


言葉(3)道化師の蝶

2012-03-23 09:10:54 | 言葉
 今年の芥川賞は<共食い>で受賞した田中慎弥氏の「もらっといてやる」発言で異常な盛り上がりを見せたが、<異常>という点では同時受賞の円城塔氏の<道化師の蝶>も「こんなもの小説ではない」とか「ひとりよがり」とか酷評する選者もいた作品だった。

 そこで<道化師の蝶>を読んでみた。 
 
「旅の間にしか読めない本があるといい」興味深い出だしだ。
 そんな思いつきを真面目に取り上げて財をなしたエイブラムス氏が登場。
 彼は大型旅客機の中で、銀糸で編まれた小さな捕虫網を使って<着想>を捕まえる。
 
 <飛行機の中で読むに限る>を出版。
 たまたま豪華客船で回し読みされて受けたことで、彼は「この本は豪華客船に乗っている者でなければ分からない」と強弁。
 <豪華客船御用達>のキャッチで飛ぶように売れるようになる。そう言われると確かめたくなる人情を利用した論法で、購買層を拡大した。

 ここまでは凡人に理解できたが、その先次々と繰り出される円城氏の論法には付いて行けず放り出してしまった。

 高樹のぶ子氏の言葉を借りれば、「根気強い読者には根気よく彷徨って貰えるだろう。得心できるより、得心できないものに快を感じる読者もいるだろうが、それは私ではない」

 「量子力学の<シュレディンガーの猫>じゃないけれど、<死んでいてかつ生きている猫>が、閉じ込められた青酸発生装置入りの箱の中で、にゃあ、と鳴いている、その声を聞いたように思った」という川上弘美氏の理論物理学のわけのわからなさに例える方もいる。
 

 島田雅彦氏は「この作品はそれ自体が言語論であり、フィクション論であり、発想というアクションそのものをテーマにした小説だ。自然界に存在しないものを生み出す言語は、生存には役立たないもの、用途不明なもの、しかし、魅力的なものを無数に生み出すユニットであるが、小説という人工物もその最たるものである。日々妄想にかまけ、あるいは夢を見て、無数の着想を得ながら、それを廃棄し、忘却する日々を送る私たちの営みは、まさに小説に描かれているような性懲りもないものである。この作品は夢で得たヒントのようにはかなく忘れられてゆく無数の発想へのレクイエムといってもいい」とまとめている。

 作者の円城塔氏も言っている。
 
「歳をとって参りますとわからぬことが増えてきまして、このたび賞を頂けた理由についても考えれば考えるほど、どんどんわからなくなっております。…人にとっての現実とは途方もなく様々なのだと、この思いは年々強まり、勢いは増す様子です。してみると、遂には互いが生きていることさえ実感できぬ境地に至るのではと身が震え、こうして生きる者があるのだと、証言を残す必要を感じるのです」

 ぼくは先日三鷹通信で取り上げた、現役編集者主宰の読書会<ベストセラーとは>を思い出した。
 400万の大ヒットとなった<脂肪計のタニタの社員食堂>も、ダイエットに苦労している人たちが何かヒントを得るために買うのであって、その内容を具体的に活用する人は少ないそうだ。
 エイブラムス氏の<飛行機の中で読むに限る>と同様、この最後まで読み通されることないのに、購入されるこの<道化師の蝶>も、編集者の巧みな仕掛けの産物として売れるのだろう。
 

言葉(2)毎日「へぇ」って言いたい

2012-03-22 05:11:38 | 言葉
 漫画家小栗さおり氏の夫、ハンガリーとイタリアの血を受け継ぎアメリカで育ったトニー・ラズロー氏が<ダーリンの頭ん中>で言っている。
 
 
 僕は毎日、少なくとも1回ぐらいは「へぇ」って言いたい。
 人間はいつ「へぇ」と言うかというと、たぶん知らなかったことを紹介されて驚いたり、面白がったりしたときだろう。
 言葉の歴史やつながりをはじめ、さまざまな種類のトリビアを「無駄な知識」と考える人もいるが、僕たちを「へぇ」と言わせ、刺激した以上<無駄>という表現は合わないと思う。
 語学学習に、無駄な知識があるならば、それは言葉の語源より、長時間かけて暗記した小難しい単語や文法のルールのほうだろう。
 人間には、自分が毎日接する膨大な情報から<面白いもの>を選別し、さらに参考になるものを選び出す能力にある。
 三叉路(トリビア)での情報に耳を必ず向け、聞き流し、「へぇ」と言いながら、残った情報から自分にとっての宝ものを見つけ出すのが、語学学習にも、充実した人生にもつながるのではないかな。
 そう、そう。僕は毎日、少なくとも一回ぐらいは「へぇ」って言いたい


 ぼくも、すでに古希を超えた。
 この世における残り少ない時間を、せいぜい「へぇ」と楽しませてもらおう。
 「ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つ」って言うし・・・。