昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

女の回廊」(11)目黒トンキの豚カツ

2019-05-24 04:55:40 | 小説「女の回廊」
 「今日は豚カツでも食いに行くか・・・」
「トンカツ、いいね」
 目黒の豚カツ屋は開店早々だったが、既にカウンターは満席だった。
 

 やむなくボクらは後ろで客が食べる様子をしばらく眺めていなければならなかった。
 食べやすいように包丁を入れた揚げたての豚カツを、ホッホと言いながら食べている。
 

 キャベツは食べ放題だった。
 細長く繊細に切られたキャベツは楽々と客の口に収まり、あっという間に皿は空になる。
 間髪を入れずに「はい、どうぞ!」と威勢よくキャベツのお代わりが盛られる。
 
 食べ終わた客が支払いのお札を財布から引き出すと同時に、
「はい、ありがとうございました!」と元気の女子店員からつり銭が渡される。
 これも間髪を入れずだ。

 こうして客も次から次へと気持ちよく回転させられていった。

 権之助坂の10円寿司へも行った。
 
 「割り勘だぞ」
 藤原の意図にも気づかず、ボクらは「当然だよ」と声をそろえた。
 カウンターに5人並んで食べ始める。
 始めのうちはみんな、何をたべようかなと迷いながら注文し、味わいながら食べていた。

 ところがひとり藤原だけは次から次へと間髪を入れず注文した。
 他のものもあわててピッチを速めた。
 しかしダッシュが早く、からだの大きい藤原にかなうわけがなかった。

 結局10円寿司にしては高いものにつき。不平等割り勘となった。

 ─続く─           




小説「女の回廊」(10)道玄坂のインドカリー

2019-05-23 02:58:12 | 小説「女の回廊」
 酒ばかりでなく、藤原は食にも詳しかった。
「安くて美味いところ? いいだろう。案内しようじゃないか」
 渋谷では道玄坂のインドカリーだ。
 狭い所にむりやり客の居場所をつくったようなひしゃげたスペースに、テーブルが重なり合うように4つある。

 不愛想なおねえさんが出てきて、黙って突っ立った姿勢で注文を待っている。
 
 とても客を歓迎している態度ではない。
 ・・・早いとこ決めてよ。ややこしいのでなく・・・

 藤原がおねえさんの期待に応えるように、メニューの中から何も具の入っていない一番安いムルギーカリーを指さして「これっ」と言って頼むと、他の3人も「おれも」「おれも」と連呼した。
 
 たぶん作ると言ったって大なべから掬いだしてきたきただけだろう。
 あっという間にテーブルに4皿そろった。

 白いご飯の築山に、具らしきかたまりは見えない。
 こげ茶色のカレーが沼のように淀んでいる。
 その沼にはたくさんの種類のスパイスが潜んでいるようで、見るからに辛そうだ。
 ボクらは一口ごとに顎を上げ、口を開いて天井に向けてスパイスガスを吐き出し、額に汗し、はあはあ言いながらもお互いに満足の笑みを漏らした。

 おねえさんの不愛想はボクらの満足度に何の影響も及ぼさなかった。

 ─続く─


小説「女の回廊」(9)下宿仲間のリーダー藤原一樹のこと

2019-05-22 05:06:54 | 小説「女の回廊」
 ボクの鼻先にあぐらをかいた藤原一樹。
 彼はこの下宿八人衆のリーダー的存在だった。
 
 ボクが初めてこの下宿を訪れた時、最初に受け入れてくれたのは彼だった。
 「ごめんください・・・」
 おずおずと案内を請うたボクに対して、玄関先に顔を出したのは藤原だった。
 既に下宿の主のような顔をして。

 体育会系の体躯で、しかし、ニコッと笑いかけてきた顔は屈託がなく、まさに・・・キミのことは引き受けた・・・と言っているようだった。
 彼は東京で浪人生活を2年やって、今年医学部に合格してこの川崎市木月の下宿に入ってきた。
 
 他のものより年かさだったし、東京での経験が豊富だったので、週末になるとみんなを渋谷など、都心へ連れ出した。

「なに? キミたち<恋文横丁>知らないの? だめだなあ。じゃあ先ず渋谷へ行こう・・・」
 彼は大きな目をくりくりさせ、魅力的な街の名前を振りかざし、田舎からぽっと出のみんなを引き込んだ。
 ・・・恋文横丁・・・
 
 なんか思わせぶりな街の名前だが、行ってみると、何のことはない、狭い迷路のような路地を挟んで、似たような飲み屋が重なり合うように軒を接している巣窟のような、胡散臭い裏町だ。
 

 ボクらは窺うように入って行った。
 そんな中でもいちばん小さくて薄暗い ”バー・渚” というネオン灯のかかった店を、藤原は選んで入った。
 衆を頼んで、未知の世界へ冒険的に、恐る恐る踏み込んでいくかのような彼の姿勢に、ボクらは不安になった。
 5人が入ると、後ろを通るのも難渋する狭さだ。まだ時間的に早いせいもあって、他に客はいなかったが、ボクらだけで息苦しくなった。

「学生さんでしょう。ようこそ。歓迎するわ。ほら、あそこの学生さんでしょう? 姿かたちでわかるわよ・・・」
 
 ママは満面の笑みを浮かべ、ひとりひとりをしげしげと観察した。
 そして一見して藤原がリーダーであることを察知し、彼の手をとらんばかりに媚態を示した。
 
「なぜ、<恋文横丁>なんて名がついているんですか?」
 ボクはママに問いかけたつもりだったが、直ちに藤原が引き取って答えた。
「戦後進駐軍の兵隊を相手にした女どもが、彼らに恋文を書くのに利用した代書屋があったんだよ・・・」

 自分自身を満足させるために、リスクを負ってでもトライする冒険的な行動といい、その嗅覚といい、まさに藤原はボクにとって尊敬の的だった。

 ─続く─ 
 
 
             






小説「女の回廊」(8)奥さんのボクに対する真意は?

2019-05-21 04:11:11 | 小説「女の回廊」
 その後、ボクが奥さんと酉の市に行ったことは、誰にも知られなかった。
 誰も知らないということは、奥さんがばらしていないということだ。
 そのまま日にちが過ぎるにしたがってボクは胸苦しくなっていき、深読みするようになった。
 
 ・・・あのことは、奥さんの計画的行動ではなかったのか。偶然のように見せかけて、他のものが出払ったタイミングに合わせて、ボクに照準を合わせてきたのだ・・・
 ボクはあのときの奥さんが抱きついてきた感覚をまざまざと思い浮かべた。

 日を追って真実を知りたい、誰かにしゃべってしまいたいという思いに駆られた。
 夕食前、ボクが何も手がつかずそんな気持ちに浸っているとき、ドアが開かれ藤原が覗いた。
「夕食の後、連中が来るんだ。付き合ってくれないか? 8時ごろ・・・」
 麻雀の誘いだ。
 
 「うん,分かった」と無意識で返事すると同時にボクは言っていた。
「ちょっと、聞いてもらいたいんだけど・・・」
「なに? お前が相談ごとか? 珍しいな」
 興味津々というように目を見開いて、彼はすぐさまボクの鼻先にあぐらをかいた。

 藤原の部屋と異なりボクの部屋は3畳だから藤原のでかい顔が目の先に迫った。

 ─続く─
           




小説「女の回廊」(7)浅草・鷲神社の酉の市での奥さんとボク

2019-05-20 05:26:00 | 小説「女の回廊」
 浅草・鷲(おおとり)神社の狭い入り口は、すでに参拝客が大通りまではみ出してあふれていた。
 

 すでに夜のとばりが辺りを覆っていたが、境内には熊手を売るテント小屋が、空を覆うように立ち並んでいた。
 
 拝殿に向かう通路の両側からせり出すテントの合間からのぞく曇り空を背景に、その張りを付けたテントの先まで飾り付けられた大小の熊手が、たくさんの裸電球に照らされて、赤や黄色に彩られ、宝石のようにキラキラと輝いている。
 ・・・落ち葉をかき集めるような熊手に宝船に乗った七福神とか、大小小判、松竹梅、おかめの面とか、招き猫を飾ったものもある・・・ 

 酉の市も当初は実用的な熊手が売られていたらしい。発祥は江戸時代らしいが、収穫祭みたいなもので、実用的な農機具や古着などと一緒に熊手も売られていたのだ。
 それが、「運を書き込む」「金銭をかき集める」道具みたいにみなされて、縁起物として売られるようになったということらしい。


 人混みの中を押されるままに、ボクと奥さんは行きつ戻りつしながら進んだ。
 茶髪、金髪、白い肌の突出して目立つ一団がいた。
 真ん中にいるひときわ背の高い外人が8ミリカメラを四方に向けている。
 車いすのお年寄りを守るように家族のかたまりがそろりそろりと動いていく。
 何人かの人が、買った熊手を傷つけないように高く掲げながら、流れに逆らって出口に向かって、身体をひねって横になって歩いている。

「お客さんいかがですか・・・」
「どうぞご覧になってください」
 売り子の声が交錯し、ところどころでは商売成立の「よおっ!」という掛け声と、チャチャチャという手拍子が勢いよく上がる。
 ますます周囲は込み合ってきて思わずよろけそうになる。

 とつぜん奥さんがボクの腰に手をまわし「きゃあ、怖い! 助けて!」と言いながらしがみついてきた。
 
 奥さんの柔らかい胸がわき腹を押して、ボクの心臓は飛び出しそうになった。
 このとき、後ろから怒涛のような圧力がボクを押した。

 押さば押せ、ボクは波のまにまに翻弄される魚のように身をまかせた。
「きゃーっ・・・」
 奥さんのからだが、着物を通してにもかかわらず、肉の感触を持って、しかも何らかの意思を伴ってボクに伝わってきた。
 ・・・奥さんを守らなければ・・・
 外側から押し寄せる力に抗するように足を踏ん張った。
 彼女の温かい体温がボクに同化するようにじわーっとしみ込んできた。
 しかし、それはボクにとって一時(いっとき)の優越だった。

 その時急に、一方向の圧力が解放された。
 たたらを踏んでとどまったところで、
「いらっしゃい。さあ、おやすくておきます」
 若い、威勢のいい女子軍団の甲高い、そろった声に迎えられた。

「はい、お待ちしておりました・・・」
 野太い男の声が追い打ちをかけてきて、その男に奥さんの目が合い、取り込まれた。
「・・・万円ですが、2割引きとします!」
 豪華な熊手を掲げ、男は決め言葉のようにそう付け加えた。

「じゃあ、その分はご祝儀・・・」
 奥さんは、姿勢を正し、気風よく反応した。
 そして取引が完成した。
 これで、お客さんは大名気分に、熊手屋さんはもうかった気分に・・・。
 両方が満足したところで、
「さあ、それでは気合を込めて、ご家族、会社のいや栄を記念してお手を拝借!」
 親方が怒鳴った。
 そして店員総出の手締めを受けた。

 奥さんが買った熊手はかなり大ぶりなものだった。
 
「じゃあ、お願いね・・・」
 奥さんは色っぽい声をボクに投げかけた。
 そしてボクがそれを持たされる羽目になった。

 ・・・ああ、これが今日のボクの役割だったのだ・・・
 そいうう思いがとつぜん腑に落ちた。

 ─続く─
   

 



小説「女の回廊」(6)下宿仲間を支配するクロちゃん!

2019-05-19 04:57:52 | 小説「女の回廊」
 食事は通いのおばさんが作ってくれていた。
 
 おばさんは奥さんと異なり、痩せて骨ばっていて、50代と思われる。
 色黒で、暇さえあればタバコをくわえていた。
 指先はヤニで真っ黒に変色していた。

 ボクたちは彼女にクロちゃんという愛称を付けたが、ちゃん付きにはふさわしくない怖いおばさんだった。
「あたしゃ、殺し以外は何でもやったからね・・・」
 くわえ煙草でボクらをぎろっとした目線を飛ばし、衝撃的な言葉でボクらを威圧しコントロールした。

「なんかやばいところから派遣されたんじゃないの?」
 商学部の酒井が社会学的な見地から意見を述べると、
「徹底的に寛容な奥さんだけじゃわれわれがつけあがることを懸念した劇薬だな」
 医学部の藤原は医学的な見解を示した。

「奥さんが配慮したというわけ?」
 ボクが疑問を呈した。
「あの奥さんがそんなことを考えるわけがないじゃん・・・」
 藤原が即座に反論した。
「黒幕がいるんだよ」
「ああ、あの旦那ね・・・」
 酒井が納得顔で頷いた。

 入居してすぐ気づいたのだが、週末になると通ってくる50代ぐらいだろうか、瓶に白いものが見えるが恰幅のいい、ボクらの視線を全く無視して通り過ぎる紳士がいた。
 
 みんなであれはいわゆる<旦那>だよと噂し合った。
 だからボクらは彼女のことを奥さんと呼び、奥さんもそれに異議を唱えることはなかった。

 一週間サイクルで同じ料理が繰り返され、一か月も経つと正直ボクらは閉口するようになった。
 
 ・・・今日の献立は何かな?・・・
 そう想像するのが若者の楽しみの一つなんだ。
 それが、また、カレーかよ・・・と、予想通りとなっては<楽しみが>もはや<苦行>となる。
 しかし、あのクロちゃんに文句が言えるわけがなかった。

 クロちゃんが休みの日は奥さんが代役を務めた。
 まさに、悪魔の支配する食堂に天使が降臨したかのようだった。
 
 ボクらを挑発するような短パンツで、みんなの間にプリッとしたおしりを割り込ませ、てきぱきと配膳し期待通りの料理が出てきた。
 クロちゃんの時は鯨のカツだったのが本物の豚カツだったり、
 カレーライスだって牛肉がたっぷり入っていた。

 ・・・まさにクロちゃん効果だな・・・ 藤原がみんなの顔を見回して言った。

 ─続く─







        






小説「女の回廊」(5)男を魅惑する下宿の奥さん

2019-05-18 04:29:28 | 小説「女の回廊」
 しばらく奥さんも黙っていた。
 ・・・狭いタクシーの中、こんな状況が何時間も続くのでは息苦しくてたまらない・・・とボクは思い始めていた。
「あら野球をやっているわ・・・。あなた、野球やるの?」
 多摩川を渡るところで彼女は外を見ながら訊いてきた。
 この言葉をきっかけに会話が始まった。

「いえ、・・・」
 ・・・ボクが野球なんかやれるわけがない・・・
「あなた、パチンコがお上手なのね?」
 
「・・・」
「だって、いつも景品をいっぱい抱えて帰ってきたじゃない」
 ようやく、ボクの現実に奥さんの話がつながった。 

 奥さんはそんなにおしゃべりではなかった。
 むしろ話すより、何か他のことを考えている方が多かったかもしれない。
 だからといって、初めて<女>を意識したボクに対して、<男>を意識している風にはまるで見えない。
 ・・・何を考えているんだろう・・・
 ボクは一方的に妄想をたくましくした。
 しかし、彼女に関する具体的なストーリーを紡ぎだせたわけではない。

 ありきたりの街並みから、さすが大都会というビル街を抜けると、大河端の堤防沿いの風景・・・。
 
 
 次から次へと、気が触れたように、景色が窓の外を通り過ぎて行った。

 道中は長いようで、目的地へ着いてみると短かった。
 その間、同居する連中のことなども話し合ったと思うが、後で思い起こそうとしても、奥さんから放出される魅惑的な香りにからめとられていて、具体的に解きほぐすことは不可能だった。
 
 
 奥さんなどというと、おばさんぽく聞こえるが、実際は違う。
 ボクら下宿人と、年齢は5歳ぐらい上か?
 知性を秘めたつぶらで、うっとりとした大きな瞳と、ぶちゅっとした唇。
 すっきりとした、しかもちょっと肉感的ななま脚が短パンからむき出しにつっぱって、ボクらを挑発する。
  

 膝がしらの組んだ指先が絡み合って気持ちを表現し、しかも気取らないしっかりした口調でしゃべる。
 
 ・・・姉貴的な、包容力のある気取らない知性の持ち主・・・
 それがボクらの下宿の奥さんだ。

 ─続く─       

 今年の三鷹市民大学は、残念ながら「日本の文化」コースが外されてしまった。
 そこで、大久保喬樹東京女子大学名誉教授に、特別講座「日本の文化」をお願いすることになった。
 
 昨日、20名ほど集まった。今後の講義内容が先生より披露されたが、期待に胸が高鳴る。




小説「女の回廊」(4)タクシーで浅草へ向かう

2019-05-17 05:29:41 | 小説「女の回廊」
 
 人は時として、ある日予感したことを現実のものとして目にすると、その善悪を判断することなく、これを自らの運命としてやすやすと受け入れ、邪悪な神の投げ放った網の中へ躊躇なく入っていくものだ

 奥さんは、当然の成り行きのようにボクを従えて歩き出した。
 綱島街道へ出ると、中華店の前にタクシーが駐車していた。
 奥さんはつかつかと近寄ると、ドア窓を叩いた。
「は?」
 運転手は窓を開け顔を出した。
 口には楊枝がくわえられている。
「ねっ、浅草まで行ってくれへん?」
 運転手はあわててドアを開け、車を降りて怪訝な顔をして奥さんを見つめた。
 いつの間にか楊枝は口から外されていた。

 ボクと同様、関西弁にも違和感を持ったようだが、なんといってもめったにない遠距離客だ。
 しかもこの辺では見かけないお金持ち風のお客だ。
「浅草まで?」
 
 運転手は姿勢を直立不動に立て直して尋ねた。
「そうよ。浅草のおおとり神社まで乗っけてってくれない?」
 今度は、奥さんは東京弁を使った。

 運転手ばかりではない、ボクも思わず目を見開いた。
 ・・・ここから浅草まで何キロあるんだ?・・・
「わたし、何回も電車を乗り継いで行くなんてイヤなの・・・」
 ボクの懸念を読み取ったかのように奥さんはボクの顔を見ながら言った。

 奥さんは考えていたのだ。
 ・・・ここから元住吉駅まで歩く?和服姿で。そこから電車で行くとなると、渋谷駅で人混みにもまれて、特にあそこの乗り換えがイヤなのね。
 
 地下鉄に乗り換えるのに階段を上がるなんてバカみたい。
 二人で行くんだからタクシーで直行した方がいいにきまっているじゃない・・・。

 奥さんはうやうやしく後部ドアを開けた運転手に導かれてさっさとタクシーに乗り込んだ。
 引きこまれるようにあわててボクも乗り込んだら、不思議な香りが鼻についた。
 ・・・シャネルファイブというやつか・・・
 
 マリリンモンローで有名な香水だがボクの知っている香水はこれだけだ。

 離れて座ったつもりだが、いつの間にか奥さんはボクとの距離を縮めてくる。
 女の肌のぬくもりが直接伝わって来て、ボクの心臓をわしづかみにし、ドキドキと動かした。

 ボクは生まれて初めて<女>を意識した。

 ─続く─
          




小説「女の回廊」(3)下宿の奥さん

2019-05-16 05:38:30 | 小説「女の回廊」
 ・・・パチンコにでも行くか・・・
 そう決断した時だった。
 背後でドアが開き、下宿の奥さんが出てきた。
 
 ・・・どこかへお出かけだな・・・

 いつもの薄手のセーターに短パンという下宿着ではない。
 
 薄いブルー地に、淡いピンクの花びらをあしらった和服姿で現れた。
 花びらと同系のピンクの帯でそのしなやかな姿態をきりりと締め上げている。

 ・・・下宿のおばさんて感じじゃないよね。本職はどこか都心のクラブのママとしてご出勤なのかな・・・
 夕方になると、時々和装で出かける奥さんのことをみんなで噂していた。 
 そういう点ではちょっと風変わりな下宿の奥さんだった。

 アパートの両サイドは畑で、まだ建って間がない木の香りの匂う、奥に長い総二階建てのシンプルな直方体の建物に、コンクリートの踏み石を二段上がって入る玄関が付録のように付いていた。
 ・・・今日もご出勤なんだ・・・
 奥さんは裾を引いてゆっくり階段を下りると、あたかも・・・お待たせしました・・・というように、ボクに笑顔を向けた。
 ボクはどぎまぎして思わず吸っていたタバコを落とした。
 見よう見まねで吸い出したばかりのタバコだった。

「どちらへいらっしゃるんですか?」
 それを足で踏み消しながら、ボクは下を向いたままかすれる声で訊いた。
「お酉さまへ行くの」
 ・・・いつものご出勤ではないのだ・・・
「おとりさまって?」
「あら、知らないの? 熊手で有名な浅草の鷲(おおとり)神社よ」
「・・・」
「一緒に行きます?」

 こんなかたちで二人だけで会話したのは初めてだ。
 いま、よそ行きの和装姿の奥さんから直接、「しかも、「お食事ができたわよ」とか「お洗濯ものは?」とかのルーティンの会話ではない。
 いきなり一緒に出掛けますか? と誘われたのだ。
 ボクの頭はパニックになった。
 そんなボクが「お供します・・・」と答えた。

 後になってボクは何度もこの場面を反芻して思い起こすが、どうしてこんなに明快な対応ができたのか不思議でならない。
 当然どぎまぎして「いいえ、けっこうです・・・」と遠慮するのがいつものボクなのだ。
 魔法をかけられたとした思えない。

 ボクは無意識ながら人生で初めて<女>を意識した。

 ─続く─
          




小説「女の回廊」(2)大人になりきらない

2019-05-15 04:54:33 | 小説「女の回廊」
 今日はそのリーダーがいない。
 ・・・さて、ボクはどう行動すべきか・・・

 漱石の言葉を借りれば
 「腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないかしらんと思う、いわば病気に罹っていた人」
 にまでも至っていないほどの子どもの領域を漂っている、ボクは、確たる悩みすらも意識しない子どもだった。

 当時、1965年には日韓条約批准反対の国会包囲デモが、学生3千人労働者1万4千人を集めて行われ
 引き続き全共闘大学紛争が全国的な広がりを見せていた。
 
 都心から離れたこの日吉でも、授業料値上げ反対の初の全学ストライキをおこなうなど、その余波は少なからず存在していた。
 <授業料値上げ反対!> <学生による自治を勝ち取ろう!> <ベトナム戦争反対!>
 などのポスターや立て看板が立ち並び、いち早く大人社会に首を突っ込んだ、細身の小柄な活動家が、
「われわれはァ~、 今この時をォ~、 無駄にすることなくゥ~ 戦い抜くことォ~」と例の学生運動言葉で演説していたが、
 
 
 この学校の学生の目は冷めていて、この訴えに真摯に応えようじゃないかという姿勢を見せるものはほとんどなかった。
 ボクたちも、たまには学生運動に参加してみようかと、興味本位に話し合ったりすることもあったが、下宿のノンポリ仲間のうちに入ると、そんなわずかな姿勢も消え失せてしまっていた。
 「おい、たまには外出しないか?」などと声をかけてくれる仲間は、藤原以外にはいなかった。

 一人残って本を読んでいたボクは疲れた頭に風を通すため、アパートの玄関先で一服していた。
 風が運んできたのは、中学、高校時代の女性のことだった。
 女性といったって、ボクにそんな浮いた話があるわけがない。
 ・・・おまえは我が家の誇りだ。期待しとるぞ・・・
 親は口には出さなかったが、それに応える義務感、ボクの頭を満たしているのは・・・勉強しなければ・・・だけだった。

 しかし、ボクも男だ。まるっきり女に関心がなかったわけじゃない。
 金沢が生んだ偉大な科学者、高峰譲吉博士の功績を顕彰し、併せて科学教育の振興を図ることを目的として設定された<高峰賞>という制度があった。
 
 その栄誉ある賞をボクの中学から選抜された女性が受賞した。
 また近県の優秀な生徒を集めた金沢大学付属高校に一番の成績で入学してきたのは女性だった。
 というわけで、自分と異なる性に対する見方はほかの連中とは異なり、<憧れ>と<畏敬の念>だった。

 アパートの玄関先で、そんな思いに浸ているとき、背後でドアが開き、下宿の奥さんが出てきた。
 ・・・どこかへお出かけだな・・・
 いつもの下宿の仕事着ではなくて、和服姿で現れた。
 

 ─続く─