昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

有名人(34)女の魅力(22)沢尻エリカ

2010-04-27 05:31:36 | 女の魅力
 <沢尻エリカ、わずか1年半でスピード離婚か>
 各スポーツ紙の一面にエキサイティングなタイトルが踊っている。
 ・・・またか、まさにマスコミお騒がせタレントだな・・・

 彼女を知ったのは、映画の舞台挨拶でインタビューにだんまりを通したり「別に!」と不機嫌な対応をしてマスコミのバッシングを浴びた時だった。
 
 ・・・なんと、小生意気で不愉快なタレントだろう・・・
 そんな印象しかなかった。

 一転、ハイパー・メディアクリエーターなる21歳も年上の、胡散臭い男と明治神宮で結婚式を挙げてマスコミの話題となる。

 そしてしばらく芸能界から姿を消していたと思っていたら、銀座ソニービルの巨大ポスターとともに、たかの友梨、ビューティクリニックのCM挨拶で、芸能界に再デビューすると言う。
 
 そして今回の離婚報道。新たな愛人はフランスの大富豪の息子か、なんてのもある。

 それにしても彼女はなぜこんなにマスコミに追われるのだろうか。
 調べてみると、16歳で<フジテレビ・テレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー2002>に選出され、以後テレビや映画に出演、映画<バッチギ!>で日本アカデミー賞、新人俳優賞、テレビドラマ<1リットルの涙>でゴールデン・アロー新人賞を得るなど、なかなかの演技派女優として評価されている。
 

 また歌も<FREE>などヒット曲を飛ばしている。

 再放送された彼女の芸能活動再開の挨拶を見ると、24歳にしてはおとなのしっかりとした一面を見せている。素直でなかなか魅力的な女性であることを改めて知らされた。
 例の<別に!>会見の時とは雲泥の差だ。

「人は才能に引きづられるんです。彼女は間違いなくしっかりした女優に成長するでしょう」と言った作詞家なかにし礼氏の言葉をもっともだと受け止めた。
 マスコミは彼女の才能を感じていて、彼女から目を離せないのだ。

エッセイ(30)パリのパッサージュ

2010-04-25 05:32:02 | エッセイ
 三鷹ブログ村で知り合ったタテさんが<江戸しぐさ>(華麗なるかな大人の文化)という魅力的なブログを展開している。
 読んでいたら、先日テレビで見たパリの<パッサージュ>のことを思い出した。
 

 温かなオレンジ色に包まれたパリのアーケード街<パッサージュ>
「おっ! これは珍しいステッキ専門店だ」カメラは親切な店主に誘われて中へ入る。
 シックなステッキがいっぱい並んでいる。こんなにたくさん集めて需要はあるんだろうか。心配してしまう。
「こんなのいかがですか?」杖の中ほどをぱかっと開けると絵具のパレットになっている。 気に入った風物に足を止めて、パリの粋人はこれで絵を描いたのだろうか。
 2階に上がると、背広の胸ポケットに赤いハンカチを覗かせた紳士が、ソファにくつろいでコーヒーを飲んでいる。「コーヒーをお呼ばれしています」お隣でホテルを営むオーナーだそうだ。

「パッサージュは19世紀に大流行したんですよ。暖房設備もあったんですよ。地下に名残りがあるんです。見てみますか?」とホテルオーナー。
 鉄格子の扉を開けて地下に降りる。カメラは急な階段を降りるオーナーに続く。
 背広の後ろ姿が決まって、さすがホテルオーナーという貫禄だ。
 足音が石造りの地下道に響く。
「ほら、このパイプから温かい空気がパッサージュに流れ出ていたんですよ・・・」
 上を見ると、天井の穴の格子越に歩いている人が見える。

 パン生地を大きな受け皿に載せたコック風の人に会う。「お隣のケーキ屋さんです」とオーナー。「今からパンを焼きに行くんです」とコックさん。地下にパンの焼き場があるんだ。「おたくのパンは美味しいからね」「じゃあ、また・・・」
 少し行くと入り口に本が積んである。
「本屋さんです」なるほど、階段を上ると本屋の店内だ。お客がたくさんいる。
 

「パッサージュは小さな村みたいものです」とオーナー。「心地よい風が流れています」と本屋の店主。外へ出ると小奇麗なホテル。
 

「ここがウチのホテルです・・・」「どうもありがとうございました」「オルバー」
 なるほど、隣は本屋さんとケーキ屋さんだ。

革ジャンの恰幅のいいおじさんが大きな花束とフランスパンを手に歩いている。「きれいな花束ですね。どちらへ?」「すぐそこに住んでいるんです。寄っていらっしゃいますか?」「えっ? いいんですか?」「どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく」
 何と親しげで優しいんだ。
「では、失礼して」カメラはおじさんに従って階段を上る。屋上に出た。年季の入った植木が並んでいる。温室の屋根のようなガラス屋根がずっと並んでいる。パッサージュの中から上を見上げたときに見たガラス屋根だ。そして向こう側へ渡る橋がかかっている。

 ガラス屋根に白黒の猫がいた。
「わたしの友達なんですよ」おじさんが持っていたフランスパンのかけらをあげた。おじさんが歩くと猫が付いてくる。
 おっとガラス屋根に足を滑らした。
 ガラス屋根には夕ぐれの雲が映っている。

「ここが私の住まいです。飲み物でもいかがですか? 私はパッサージュで花屋をやっているんです」
 カギを開けるとシンプルな白い部屋。
「もうここに住んで25年になります。子どもも25歳になって独立しました」
 ふたたび外へ出る。
 お隣の奥さんが帰ってきたところだ。
「植木がたくさんありますね」と聞くと「花屋のご主人にみつくろってもらったんです」
「お気に入りはこれでしたね」と花屋のおじさん。
「ええ、このタイサンボクが気に入ってるんです」と奥さんは笑顔。
 いいな、パッサージュのご近所付き合い。

「なるほど、小さな村か。心地よい風が吹いている・・・」
 カメラはふたたびパッサージュを歩く。
 アクセサリーを並べたお店。レストランもあるみたいだ。
「あっ! 花屋だ。さっきのおじさんの店かな?」

 今連載中の小説、<昭和のマロの憂鬱>に、マロ(ぼくではありません、念のため)がパリで迷子になり、このパッサージュの小さなレストランでで渡辺社長とエスカルゴを食べるシーンが出てきます。 お楽しみに。

金沢便り(15)月刊誌アクタス

2010-04-23 06:17:28 | 金沢便り
「松任のKさんからお電話よ?」「松任の?」「松任って、あの<あんころ>で有名な松任?そんな所にお知り合いがいるの?」不信顔で妻が受話器を渡してくれた。
 

 東京在住の中学同窓生の集まりに遠路はるばる参加してくれるあのKくんか?
 彼は金沢でなくてその近郊の松任に住んでいるんだ・・・。

「いやあ、お久しぶりです。実はあんたの記事がアクタスに載っとったもんやから・・・」
 
 目じりの下がった好々爺のKくんの顔が浮んだ。
 記事?そうか月刊誌<アクタス>の読者欄に投稿したのが載ったんだ。
 実はこのところ毎月アクタスが送り主不記載で送りつけられてくるのでちょっと不気味だった。出版元の金沢の北国新聞に電話してみたが、宣伝で送ってくれたわけではないようだ。送り主は分からないと言う。
 たまたま<読者からのメッセージ>欄用の葉書が添付されていたので投稿した。

 ・・・どなたかが送ってくれた<アクタス>。めくると「金沢は美しい」のキャッチフレーズ。懐かしいですね。金大付属高校を卒業して以来ですから金沢を離れて50年以上になります。<武士の家計簿>のロケが行われたという長町武家屋敷のすぐ近く、長町小学校に隣接した塩川町に住んでいました。
 
 中学校は高岡町中学校。
 地図で見ると50年の歳月は塩川町も長町小学校も高岡町中学校も消し去ってしまいました。しかし、<アクタス>のページをめくる毎に懐かしい想い出は生き生きと蘇ってくる。
 送ってくださった方、ありがとう。・・・

 カラフルな金沢の魅力が満載の新春号だった。
 巻頭に、ズームアップ<県都の真ん中に新名所、しいのき迎賓館、河北門、宮守掘、まだ見たことのない新名所が続々と建設中である。
 続いて映画<武士の家計簿>金沢城でクランクインのタイトルが踊っている。
 堺雅人、仲間由紀恵主演の期待の映画のロケ風景。
 

 給食に丸ごと、ベニズワイガニなんんていうのも載っている。

「実はぼくが<アクタス>を送っていたんですよ。あんたの記事を見て電話しました」とKくん。
「えっ?ほんとう? いやあ、ありがとう」
「またゴルフなどでお会いしましょう・・・」

 なんとも満ち足りたひと時でした。

有名人(40)男の魅力(13)

2010-04-14 05:17:32 | 男の魅力
 井上ひさしが肺がんで亡くなった。享年75歳。
 

 もちろん彼が劇作家として著名であることは知っているが、そんなに詳しくない。
 <吉里吉里人>も読んでいない。<ひょっこりひょうたん島>の作者で、奥さんと家庭内暴力事件でマスコミを騒がしたという興味本位な関心しかなかった。
 

 ぼくは退職して10年以上になるが、その間気になった<言葉>をメモに残している。
 彼に関するものを引っ張り出してみたら、なかなか興味深い発言をしている。
 彼の死を悼む著名人の言葉と重ね合わせると、ぼくにとって魅力ある男が浮かび上がってきた。

 放送作家、小説家、劇作家として社会性の強い作品を多く書いたことで有名だが、とかくシリアスになりがちなテーマを彼は<笑い>とか<喜劇>の手法で処理するユニークな作家だと演劇評論家、扇田明彦は述懐している。

 彼に関するぼくのメモ(その1)
 ・・・いまは体育館より広いところで、みんな勝手にやっている時代なんです。そこで誰かが面白いことを言ったときに、勝手なことをやっていた人が、一瞬パッと見て「あ、そうか」と笑って、また勝手なことをやりますね。みんなの目を一瞬でもひきつけるのは、笑いによってしかできない。叫び声やお説教ではこっちを向かせることはできない。・・・

 なるほど! 時代を見る目は確かだ。10年以上前の彼の言葉だが、今やテレビ界は<お笑い>満載で若い視聴者を取り込もうとしている。

 そういえば、テレビ漫画、<ムーミン>や<忍者ハットリくん>のテーマソングも彼の作になるものだそうだ。
 

 扇田氏の言葉をさらに引用する。
 ・・・1960年代から晩年まで、井上氏が劇作家として常に第一線であり続けてきたのも特筆に価する。日本の劇作家の多くは若いころに代表作を書いてしまうが、井上氏はまるで元気な活火山のように70歳代に入ってからも、<ムサシ><組曲虐殺>のような意欲的な秀作を発表し続けた。作家チェーホフの生涯を描いた井上氏の晩年の音楽劇<ロマンス>(2007年初演)に、主人公が語る印象的なせりふがある。人間は{あらかじめそのうち側に、苦しみをそなえて生まれ落ちる」のだが、笑いは違う。笑いは「ひとが自分の手で自分の外側で作り出して」いかなければならない。「もともとないものをつくる」のだから「たいへん」なのだ。・・・

 メモ(その2)
 ・・・<さまざまな能力に恵まれた清張さんではあったが、畢竟、その天職は書くことであった。つねに探究心を失わずに、書くことによってのみ慰謝を受けた人が松本清張だったと思う>(宮田毬栄<追憶の作家たち>から)これほど端的に清張さんの本質を抉った評言を知りません。・・・
 
 これは井上ひさしの6年前の言葉だが、まさに彼自身が<書くことによってのみ慰謝を受けた人>だったのだ。

 そして、彼の座右の銘は<難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことをまじめに>だったと言う。
 
 彼の考え方や、生活態度はともかく、少なくとも<書くこと>に対する姿勢はぼくにとって魅力そのものだ。

 

三鷹通信(26)三鷹ブログ村

2010-04-09 05:57:17 | 三鷹通信
 お誘いを受けて、すこやさんの主催される三鷹ブログ村に初めて参加しました。
 すこやさんは、みんなの「永年の想い」「これがやりたい」を地域でいかすプロデューサーです。
 場所は三鷹市民協働センター会議室。
 

 すでに実績を積んでいらっしゃる皆さんのブログや動画を紹介いただきました。
 廃油回収のエコ活動から、廃油と空きびんを利用したキャンドルを作って、夜桜キャンドルナイトを楽しまれたことや、三鷹第2小学校の大桜(前回のマイブログ三鷹通信で触れました)の動画など、素晴らしいものでした。
 <みんなのブックカフェ

くまっち

 また、去年退職されて、今回初めて参加されたTate-sanは、ジョイフル・コーチング・クラブを立ち上げ、ひと、組織、そして自然のベストマッチを!と意気込んでいらっしゃいます。
他にも、羽村市で活動されている方、調布でブログ村を開設しようと準備されている方など、熱い想いを語られました。

 ブログ村の先駆者、浜松ブログ村はすでに何千?という同好のグループに育っているそうです。
 主婦の方や、商店を営んでいらっしゃる人たち、あるいは農家の方々のように今までインターネットに縁のなかった人たちを取り込んでコミュニティが拡大しているのです。
 
 ぼくのように、独りよがりで<想い>を吐き出しているだけでなく、ブログをみんなと共有し、さらに顔の見える地域コミュニティへと発展するエネルギーを感じたひと時でした。

三鷹通信(25)春うらら

2010-04-04 05:59:35 | 三鷹通信
 春だというのに、寒い日が続いたが今日は暖かい。
 ふらーっと外へ出た。
 プロムナード、ずーっと緑だった生垣の<レッドロビン>の新芽が出揃って文字通りレッドに染まった。
 

 裏の<かりん>の木も花が咲き出したようだ。雀がたくさん群れをなしてチチチと嬉しそうだ。
 

 小学校の校庭のど真ん中の<大桜>。息子や娘が入学した時、この前で写真を撮ったっけ。もう35年も前のことだ。
 

 ICU(国際基督教大学)の<桜並木>も巨木になってますます豪快だ。
 


 道端の真っ黄色の<れんぎょう>とのコラボレーションも素晴らしい。


「おっ?」
「これは、これは・・・」
「お久しぶりで」
「お元気そうで・・・」
 以前住んでいたご近所のお孫さん連れのI夫妻に声をかけられた。

 春うららのご近所を久しぶりに散歩しました。