昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

中欧旅行(32)

2009-12-09 05:49:13 | 中欧旅行
 コンサートを終えてホテルへ戻るバスの中、仏ちゃんはみんなにメモを配った。
 A4の用紙にぎっしりと蟻んこのような小さな文字が埋まっている。
 真ん中に<中欧5カ国満喫8日間(参加者38名様)>とある。
 8日間の旅日記が日ごとに囲われ、ちょっとしたイラストや花文字入りだ。

「へえ、すごい・・・」
「やるわね。よく書けてる・・・」
 あちこちから声が上がった。

「みなさんにはご配慮をいただきほんとうにありがとうございます。運転手さんともども感謝申しあげます」
 仏ちゃんはまず例の件に触れた。
「今日ですべての観光は終わり、明日は帰国するだけです。8日間で5カ国を周るという強行軍でお疲れでしょう。今晩と明日でゆっくりとお休みください」
 彼女は感傷を込めることなくさらっと言った。

「ところで、最後なのでお約束通りわたしのことを明かします。ツアーディレクター経験2年の25歳です。今回がヨーロッパ初体験です」
 みんなからえっ?うそ!ヨーロッパ初めて?と言われる。
 道を案内して先導する様子は自信満々で、とても彼女にとって始めての場所とは思えなかった。
 よほど事前の勉強あるいはチェックが出来ていたのだろう。
 みかけはさっぱりしてあっけらかんとしているようで、裏ではけっこう努力家なんだ。
 それは配布された旅日記を見ても分かる。

 占いによれば来年結婚するらしいです、と旅日記の最後に書いてあった。
 仏ちゃん、おめでとう。

 帰りの機内で仏ちゃんへの配慮をした築地オヤジと同席になった。
 彼は現役時代、お得意さま招待ツアーの案内役を仰せつかってツアー・ディレクターの大変さを身をもって体験したという。
 それに現在の彼女らの待遇面のことを知っているのでああいう提案をさせていただきましたとしみじみとした口調で語ってくれた。
 

 最後に余談をひとつ。
 最終日、ウイーン空港内でかなり時間があるので喫茶コーナーへ入った時のことだ。
 
 

 ユーロの残金と壁の料金表とにらめっこする。
 一番安いエスプレッソを二つ頼んだ。

 ところが、請求された料金は予定の倍。もちろん足りない。
「だってダブルと言ったでしょ?」
 受け付けた女の子の眉間にしわが寄っている。
 量をダブルにして二人分入れちゃったのだ。

「お金ないんです・・・」
 でも相手は両手を広げて処置なしという顔だ。

「日本円でもいいかしら」妻の機転で千円でOKになったが。
 ・・・たしかに、エスプレッソ・シングルでは何ほどもないよな・・・
 ぼくはコーヒーを前にしてつぶやいた。
 
 今回のいきあたりばったり、最後の最後までまで<赤ゲットの旅>だったことをを象徴するエピソードだった。

 ─了─ 
 
  

中欧旅行(31)

2009-12-08 05:00:54 | 中欧旅行
 夕食後コンサートホールへ。
 クロークへコートを預けて、らせん階段を上る。
 

 200人ほど収容のこじんまりしたホールだ。
 我々は後ろの席を指定され、2列に並んで座る。
 隣に中国人だろうか、別のツアーの一団が席を占める。

 前の席も地元客で徐々に埋まり、いよいよ開幕。
 司会者が口上を述べたあと、ピアノの女性を先頭に、ベース、チェロ、バイオリンが3人、クラリネットにフルートのメンバーが登場。

 

 室内管弦楽団だ。

 ゆったりと心に沁みるような弦の響きが会場を包み込む。
 8日間のあわただしい旅の疲れが癒されるようだ。
 眠気を誘われる。

 ぼくは高樹のぶ子さんとコンサートについてコメントを交わしたことを思い出していた。
「音楽を伴奏にして、譜めくりの美しい女性に気をとられていました・・・」
 ぼくのコメントに高樹さんはこう返してくれた。

「ピアノの楽譜をめくる若い女性に心を躍らせながら聴くピアノは、かしこまって拝聴するクラシックよりずっとカラダに染み込むと思います。聴覚だけでなく五感?で味わっているんですものね」と。
 そして、「わたしの最高の贅沢は、素晴らしい生演奏を聴きながらうたたねすることです!!」と。

 突然、めちゃかわいいバレリーナが登場、男性とカップルでバレーが披露される。
 そして貫禄十分なマダムのソプラノ、なんといっても細身だが野性味あふれる男性歌手のバリトンは圧巻だった。
(撮影禁止が残念だったが・・・)
 眠気なんか吹っ飛んでしまった。

 40分40分の開演の合間にロビーに出てワインやソフトドリンクを楽しむのも贅沢な趣向だった。
 
 ─続く─

中欧旅行(30)

2009-12-07 06:04:50 | 中欧旅行
 ザッハーの女性店員に聞いたら、トイレは外だと言う。
 外へ出たら左へ真っ直ぐ行って左へ曲がったら公衆トイレがあると言う。
 入り口にはまた行列ができていた。
 服部克久似のおじさんのカップルも並んでいる。
 あらっと目を交わし、会話もそこそこに外へ出る。

 ところがそれらしき所が見当たらない。
 ぼくが入ったのは?と探すが分からない。
 大型ブティックや、ホテルへ入ってみるがトイレの在り処が分からない。
 業を煮やして、妻が通りがかりの二人連れの女性に声をかけた。

「パブリック・トイレ?」
「そこを真っ直ぐ行って、右へ曲がるとUマークの標識があるからそこを降りるとトイレがありますよ」と答が返ってきた。
 Uマークは地下鉄の標識だった。
 
 

 下へ降りてWCの標識を見つける。
 中におばさんが座っているのが見える。
「有料だわ、いくらかしら?」
「20かそこらの小銭を出せばいいんじゃない」
 実際は50セントを取って、おばさんはドアまで親切に案内してくれたそうだ。

 地下鉄を出て、周囲を見ると改築中のシュテファン大聖堂の塔が見える。
 こんな所まで来たんだ。
 ちょうど手ごろな時間になったのでまたオペラ座のほうへ向う。
 ちょうど集合30分前、誰かがいるだろうと思っていたがまだ誰も戻ってきていない。
「時間を間違えたかな?」
「いや、そんなことない」
 石のブロックに座る。冷え込んできた。寒い。
 10分ほどしたらおばさんたちの一団が戻ってきた。
「私たちもザッハーで時間をつぶしていたのよ」
 仏ちゃん組もシュテファン大聖堂を見学したあと、我々と同じルートを辿って、
 ザッハーで仏ちゃんと分かれたという。

「一旦、ホテルへ戻って食事をした後、今回のツアー最後のハイライト、ウイーンコンサートがあります。ドレスアップの必要はありません。かえって浮いてしまいますから・・・」
 みんなが戻ってきたことを確認して仏ちゃんが演説した。

 

 ホテルの新しく与えられた部屋へ入ると、大きな果物籠が置いてある。
 リンゴ、オレンジ、ぶどう、キューイなど、With Compliments のカードとともに。

 ─続く─
 

中欧旅行(29)

2009-12-06 06:53:57 | 中欧旅行
 何とか、公衆トイレを探さねば。
 ウインドーショッピングする妻の後について行きながら、ぼくの目はあらぬ方を放浪していた。
 突然、目の前に青地にWCの字を記した標識が目に留まった。
 これだ!。
 
 

 その下に東京新橋の地下鉄の入り口のような口が開いている。

「ちょっとオシッコしてくる・・・」
 ぼくはその階段を降りかけた。
「大丈夫、そんなところ? 気をつけてよ!」
 妻が声をかけてきた。
 無料の公衆トイレだった。
 
 ぼくはやっと晴々した気持ちになり、絵葉書や民芸品を売っているお店のマダムをひやかして歩い。
 焼き栗を売っていたので買う。
 
 

 天津甘栗みたいに甘くはないが、イタリアのかたいやつより柔らかくて甘みがある。
 しかし、まだ2時間近く時間がある。
 通りの中央に置かれた円形の大きなベンチに座って焼き栗を食べながらいろんな人種の通行人を眺めていた。
 いつまでもそうしているわけにもいかないので、集合場所のオペラ座へは回り道となる方向へ歩き出した。

 観光馬車がたくさん屯している王宮の所へ通りかかった。
 
 

 13世紀以来いくたびの増改築が繰り返され、ハプスブルグ家の盛衰を見つめてきた威風堂々としたたたずまいだ。
 現在では多くの博物館が入っているという。
 ぼくたちには、最後に行こうと思っているカフェ<ザッハー>の分しか手持ち金が残っていないのでその前を素通りする。

 ぐるっと回ってオペラ座近くの、目指す<ザッハー>の前にたどり着いた。
 
 女学生らしき3人の白人が並んで待っている。
 彼女たちが入った後、高い椅子席にまたがる。
 

 となりの席で彼女たちがおいしそうなケーキを前に目を輝かせている。

 手持ちのユーロが少ない。ケーキ分は間に合いそうもないので、カフェラッテだけ頼む。

 

「ザッツオール?」と言われる。
 後で仏ちゃんから「えっ? ケーキ食べなかったんですか?あそこケーキで有名なのに・・・」と言われてしまった。

 しばらく時間をつぶしたら、今度は妻がオシッコをしたいと言い出した。

 ─続く─

 

中欧旅行(28)

2009-12-05 05:10:40 | 中欧旅行
 「みなさんにお願いがあるんですが・・・」
 築地オジサンがよく通る落ちついた声で再び言った。
「ツアーディレクターのHさんは若いながらもこれまでよくやっていただいていると思います。私もこの業界のことは聞いておりますが、思ったより給料とか、日当とか安くて、大変なんですね」
「・・・」
 何となく彼の言わんとしていることが分かってきた。
「それでいろいろお世話になったHさんに報いるため、みなさんにお志をいただければと思いまして。ユーロでも、円でもいくらでも結構です。もちろんされなくても結構です。後でバスの中で袋を回しますのでよろしくお願いします」

 なかなか手慣れたもんだ。街の世話役でもやってられるのだろうか。
 以前、イタリア旅行の時に、上野だったか商店街の江戸っ子おやじ連から同様の提案があったことを思い出した。
 中には出しゃばったことをと批判する向きもあるが、いかにも日本的な助け合いの精神が今でも生きているんだ。

 午後は自由行動でウイーン市内見物だ。
 もちろん事前準備なんかいっさいしていなかったぼくは仏ちゃんが引率するグループに参加するつもりだった。
 オペラ座を見学するコースもあったが、前に体験していたので選ばなかった。

 しかし、「じゃあ、適当にでかけましょう」という妻に引っ張られてのフリータイムとなった。
 今回は最初から最後まで妻主導だ。
「ともかく、シュテファン大聖堂目がけていきましょう」
 また戻ってくる国立オペラ座から歩行者専用道路のケルントナー通りを北へ向って歩き出す。
 

 

 ウイーン一の華やかなショッピング通りだ。
 人通りが多い。中でも乳母車を引いたり子ども連れが多い。
 白人や黒人、東洋人など観光客らしき人も多い。
 ブティックや、アクセサリーの店などを覗き、カラフルなナプキンやブックマークなどの小物を買う。

 シュテファン大聖堂は14世紀にハプスブルグ家のルドルフ4世によって、従来あったロマネスク様式の小さな寺院をゴシック様式の壮大な教会に建て替えられた。モザイク屋根が特徴的だ。
 
 

 高さ39メートルある。
 我々は外観だけ見てぶらぶらと歩いていたら、どこを歩いているのか分からなくなってきた。
 まだフリータイムの三分の一しか消化していない。

 急にオシッコがしたくなってきた。
 中華料理店でしてくればよかったと、観光よりそっちの方が気になりだす。
 
 ─続く─
   

中欧旅行(27)

2009-12-04 06:39:14 | 中欧旅行
「では、これからウイーンのトラム乗車を楽しみましょう」
 我々は黒ちゃんに別れを告げた後、仏ちゃんに連れられてぞろぞろと街中を歩く。
「あっ! ちょうど来ました」
 停留所に電車が近づいてくる。

 

 ひとりひとり手渡された切符を車内の刻印機に通してぞろぞろと乗り込む。
 我々が乗り込むと超満員状態になった。
 外もよく楽しめないまま、1区間か、2区間、日本で満員バスに乗っている感覚そのまま、あっという間に初のヨーロッパトラム試乗は終ってしまった。

 市立公園に入りバイオリンを弾くヨハンシュトラウスの金色の像の前で交互に記念撮影をする。

 

「今日の昼食は中華料理ですって」
 今まで、ずっと野菜スープと肉とジャガイモに辟易としていたので、みんな歓声を上げる。
 どこのツアーも最後は中華と決めている理由が分かる。

 

「このツアーに決めたのは歴史の好きなうちの奥さんのセレクトなんですよ」
 沼津から見えたおじさんの所もうちと同じだ。
「私も今回のツアーで歴史に興味を持ちました。ハプスブルグ家の政略結婚による領地拡大政策なんて興味津々ですよね。それにマリア・テレジアみたいにいずこも奥方が強いですな」 
 おじさんはハッハと笑う。
「私が歴史に興味を持ったのは中学の歴史の先生のおかげなんですよ」
 奥方がからだを乗り出してきた。
「親鸞をお勉強した時、ほら、親鸞って字がむずかしいでしょう。鸞という字は糸しい糸しいと言う鳥と覚えなさいなんて、教え方がユニークなんです・・・」

 おじさんは退職後大きな庭で菜園を楽しんでいるそうだ。
 すべて奥方の差配の下自分は労働者ですなんて言いながら結構楽しそう。

 中華慮李も最後の杏仁豆腐が出て、終わりに近づいてきた。
 新婚カップルが午後の自由行動に向けて腰を上げた。
 すると、築地オヤジも立ち上がり、彼らと話し合って向き直ると言った。

「実はみなさんにご相談があるんですが・・・」

 ─続く─ 
 
 

中欧旅行(26)

2009-12-02 04:42:49 | 中欧旅行
 1.3キロ四方に広がる広大なシェーンブルン宮殿見学はぼくにとって今回ツアーの圧巻だった。

 

「この宮殿の上階には役人が住まいしているんです・・・」
 黒ガイドくんはみんなを庭園へと導きながら言った。
 彼の解説はなかなかユニークでひとを引きつける。
「家賃はいくらだと思いますか?」
「・・・」
「70平方メートルで月1800円です」
「管理上、人が住んでいると傷まないからいいのよね」
「それにしても超安い! ウチのマンションより広いし・・・」
「でも、世界遺産の上で生活していると思ったら落ちついていられないわよね」

 イタリアのペルージャだったか、世界遺産の建物に住んでいる人がエレベータは付けられないし、4階まで階段でたいへんよと言っていたのを思い出した。

 外の並木が真っ黄色ですばらしい。
 

「銀杏じゃないわよね?」
「リンデンバームです。学名ではシナノキです。日本では菩提樹なんて言われていますが、あれは堀口大学が勝手につけた名称です。菩提樹はまったく別物です・・・」
 また、また、ヒール役の黒いガイドがいちゃもんを付けている。
 
 
 (この写真は実物ではないが、こんなイメージかな? もうちょっと格好よかった?)

 ドレスデンのツヴィンガー宮殿や、ゼンパーオペラ劇場の黒ずみは砂岩黒変によるものだというドイツガイド女史の説も、オバサンの問いかけに、そんなの化学的にもあり得ないと彼は異議を唱えていた。

「ウイーンのオペラ座は黒字になるのは一日だけです」
 

「?・・・」
 また、始まった。
「つまり、普通、オペラのロングランは歌手は口パクなんです。でなきゃ歌手はやってられませんよ。何日も連続で生で歌ったら声がつぶれちゃいます。・・・
 だから普通口パクなんです。ところがウイーンのオペラ座はすべて、生!だから歌手は大変なんです。待遇が違います」
 ウイーンのオペラ座は国から補助してもらっているのだろうか?
 黒字になる一日はいつなのか聞き漏らした。

 ─続く─
 

  

中欧旅行(25)

2009-12-01 05:44:13 | 中欧旅行
 

 鏡の間、典型的なロココ様式の華麗な部屋。
 6歳のモーツアルトがここで演奏し、神童としてのデビューを飾った。

 

 百万の間。ローズウッドの壁に無数のインド細密画が壁にはめ込まれ、重厚ながらもきらびやか。総工費が当時の通過で百万グルデンかかったという。

 部屋の中で馬車に乗ってぐるぐる回るカルーセルの間というのがある。
 これが回転木馬の発祥だといわれている。

 ゴブラン織りの間、陶磁器の間、金飾りの間、次々と豪華な部屋が出現する。

 フランツ・カールの執務室には、偉大な女帝マリア・テレージア一家の肖像画が掲げられている。
 彼女は生涯に16人の子を産んだよき妻、よき母であったが、婚姻戦略で領土拡大を図ったハプスブルグ家の伝統を守り、軍事や政治に辣腕をふるった偉大な為政者でもあった。
 彼女の末娘はフランスに嫁いで、革命の露と消えたかのマリー・アントワネットである。

 このシェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮と呼ばれているが、その華麗なる歴史を示す栄華の残り香が色濃く漂う。

「1918年第1次世界大戦でハプスブルグ家が崩壊した後も、最後のお妃は96歳まで生き延びたそうです。そのハプスブルグ家の血を引く人が二人だけ日本にいます。近頃の若いひとには、誰それ?と言われそうですが」
 黒のガイド、ヒール君はみんなの顔を見回した。
「・・・」
「鰐淵晴子、朗子姉妹です」
 

 ・・・あの天才バイオリニストとして有名になり女優としても活躍した鰐淵晴子か・・・もちろんぼくは知っていた。
 
 

 ・・・そういえばオーストリア帝国の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の后になったエリザベートは抜群の美貌とプロポーションで人気があったが、鰐淵姉妹にもその面影はある・・・

 ─続く─



中欧旅行(24)

2009-11-30 07:47:15 | 中欧旅行
 ウイーン・シェーンブルン宮殿。
 

 以前ウイーンを訪れた時は外観だけで内部は見ていない。
 マリア・テレジアン・イエローと呼ばれる柔らかな黄色が特徴だが、横に長い直方体の形状は大きな官庁のようで、いわゆる宮殿らしい凹凸がない。

 その正門の所で現地ガイドが現れるのを待った。
 しばらくすると、仏ちゃんを従えた黒いサングラスに黒く長い革のコートを着た気障な日本男性が現れた。40代だろうか?
 顔も黒い、マンガに出てくる悪役の軍人みたいだ。

「シェーンブルン宮殿内の見学は時間との勝負です。団体はひと間2分と制約されていますから 早く歩かないと説明の時間がなくなります」
 そういうとさっさと歩き出す。

「ここは宮殿一の大広間です。舞踏会が開かれる所です。天井のフレスコ画は製作に3年要したといわれています。ハプスブルグ家の誕生を描いたものです」
 上を向いていて解説していたヒール役ガイドは、取り囲む我々を見回すと言った。
「みなさんもお金を出せばここを使えますよ。結婚披露宴などにいかがですか?」
 

「えっ!?ほんとう、こんな素晴らしい所。お高いんでしょう?」
「ひとり10万円、50人以上です」

「実は<秘密の間>というのがあるんです。そこでケネディ・フルシチョフ会談が行われたんです。執事も入れないので、下でしつらえた食事を載せたテーブルがそのままリフトで上げられる仕掛けがあるそうです」
「・・・」
「その後キューバ危機などの歴史が繰り広げられることになるのです・・・」
「・・・」
「外交とはお互いが自分勝手なことを言い張り合うのが基本です。日本人のようにハイハイと相手の言うことを聞いてサインするなんてのは外交じゃない」
「・・・」
「そんな日本人の態度を生んだのは日本のお母さん方に原因があるのです」
 周りのオバサンたちを眺めて辛辣なことを言う。

 ─続く─

 ─続く─
  


 

中欧旅行(23)

2009-11-29 06:32:34 | 中欧旅行
 

 <自分のルール>
 昭和のマロさん・・ウイーンでは災難でしたね。災難というのは、不可抗力なのですが、なぜか重なってやってきます。弱り目に祟り目・・あれは本当ですね。
 マロさんのようなホテルの災難の場合は、即刻抗議をするべきですが・・一般的に災難が重なるとき・・やり過ごし方が、大事な気がします。
「じっと動かない」というのも、とても効果的な対処です。
「機を待つ」そして、やるべき時には、一気にやる。
「心の運動」というのは、「じっと待つ」ことも含まれるのだと思います。
 あらゆる状況を想定したうえで、動かない。
 そして自分でルールを決める。「このような状態が来たら、徹底的に、全知全力を掛けて行動を起す」と。

 さみだれ式に、いつでも怒っているのは、疲れてしまいます。
 じっと耐えていて、自分のルールにおける堰が決壊するのを待つ。大事なのはその「自分のルール」だと思います。
 心の運動機能というのは、「締め」と「開放」の両方が必要なんじゃないかしら・・

 高樹のぶ子さんにチューしていただいた気分でした。

 「大変でしたね。そんなことってあるんですね?」
 当日の夜の食事はそんな話から始まったが、同席された方が退職後映画製作の学校に通っているとかで映画の話題に移る。
 
 

 妻が関わっているボランティア連絡協議会の福祉映画会で取り上げた是枝監督の<誰も知らない>という映画のことから、好みが噛みあい話が盛り上る。
 ビールとワイン代を災難でもらった券で支払い、気分良く代替の部屋に入る。

 ところが、平静を取り戻したはずの心がまたかき乱されることになる。
 宛がわれた部屋は、シャワーだけで、野菜の洗い場のような半畳ほどの狭いスペースをビニールで囲ったバスルームだ。
 おまけにシャワーヘッドが一部めくれていて触れると肌が傷つく恐れがある。
 部屋もシングルベッドを二つむりやり詰め込んだようで、狭くて余裕がない。
 窓を開ければ、裏窓が向き合った息が詰まりそうな空間だ。

「619のお客様ですね。昨夜は申し訳ありませんでした。今日はいいお部屋を用意しておきますから」
 翌朝、両替のためフロントに行ったら、フィリピン人のような顔をした目の大きい、歯の真っ白な女性マネジャーが、にっこり笑いかけてきた。
 やはり文句を言わなければ!と意気込んでいたぼくは機先を制せられてしまった。

 ─続く─