昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(577)はかない恋

2019-10-31 04:57:20 | エッセイ
 いつものように、キミは待っていた。
 当然のように、二人は同じバスに乗った。
 一番後ろに二人並んで席を占め、そっとからだを触れ合った。
 何もしゃべる必要はなかった。
 そしてボクが降りるべきバス停が近づいてきた。

 ボクはキミの手を握った。
 走り去るバスの窓からキミは手を振る。
 ボクも手を挙げて応える。
 
 しかし今は、
 キミは姿も見せない。     

エッセイ(576)吉方病院(6)

2019-10-30 05:46:45 | エッセイ
 ところが、そのシャープな若い看護師の足元がおぼつかない。
 ボクは、思わず彼女に手を差し伸べひきよせた。
「どうしたの? ふらふらしてるじゃない・・・」
 しかも、痩せてやつれているみたいだ。
 彼女は、指導する位置から離れて、ボクの方へ寄ってきた。
「ちょっと体調をくずしちゃって、今度検査入院することになったの・・・」

「検査入院? この病院で?」
「いえ、別の病院よ・・・」
 
 ・・・どこの病院へ入院するのだろう・・・
 聞きそびれてしまった。
 それっきり、彼女とは離ればなれになってしまった。
 
 姿かたちといい、まさにボクの想い出の<つばめちゃん>だった。
 
         

エッセイ(575)吉方病院(5)

2019-10-29 04:18:57 | エッセイ
  ボクはAリハビリ師の献身的な努力のおかげで、杖があれば自立歩行が認められるほどになった。
 手術した脚は、リハビリ室における強化のみならず、廊下や階段の歩行、運動靴を履いて外で病院の周りを歩けるまでになった。
 Aリハビリ師は、午前に、午後にとしつこいぐらいボクに関わってくれた。
 「ボクばかりじゃなくて、他の患者さんにも・・・」と言ったほどだった。
 彼は、「大澤さんのよくなろうとしている積極的な気持ちに乗っかっているだけです」と言ってくれた。
 そして、ついに退院が近いことを証明するように、ボクは四階に移動させられた。

 毎週、その廊下には車椅子の人たちが集まってリハビリ師の指導の下、リハビリ体操が行われていた。
 そして、その日の朝、リハビリ師と一緒に、例の白衣に黒のスリットの入った洒落たデザインの若い看護師が指導していた。

 ─続く─

エッセイ(574)吉方病院(4)

2019-10-28 06:47:09 | エッセイ
 人工骨頭置換術を施されたボクは、当然のことながらベッドに寝かされ、しかも、前立腺病のボクは当然ながら介護パンツを履かされていた。
「パンツを履き替えますよ」そのたびにチンコ触られ放題だった。
 それでも、テレビ画面が与えられ、例のラグビー騒ぎの時は、「それ、行け! がんばれ」
 ボクのテレビ画面を見ながら看護師も一緒になって楽しんだ。
 
 そんな中、手術の際、横で黙々とメモしていたひとりの若い看護師にボクは気をひかれた。
 彼女の着衣は、他の看護師のような白一色ではなかった。
 黒いスリットが入っていて、斬新なデザインだった。
 彼女も意識していて、アップにした短髪をかきあげて、ボクに流し目を送ってきた。
 
 ボクの病院生活に新たな関心事が生じた。
 

エッセイ(573)吉方病院(2)

2019-10-27 08:54:40 | エッセイ
 職員がカラフルに色分けされている。医師、看護師、リハビリ師の白、ピンクのガウンをはためかせて、指導的な立場を誇張する看護師。ブルーの作業服で補助的な役割をする介護師たち。
「よろしく」「どうぞ」「お願いね」「ごめんね」「大丈夫よ」「待っててね」患者との会話ばかりでなく、職員同士でお互いをかばい合う言葉が豊富だ。
 限られた職員で最大限の効果を生むための貴重な言葉のやり取りだ。
 ここでの特徴は、特にリハビリ師の積極的介入だ。
 ボクのように手術を受けた患者も、ただ安静にしているだけではなく、積極的にリハビリ活動をさせられる。
 リハビリ室に移動され、体を揉んだり、動かしたり。
 午前中も午後にもリハビリ師がやってくる。
 
 ─ 続く─

エッセイ(572)吉方病院(1)

2019-10-26 13:08:45 | エッセイ
 鳥取の雄大な砂丘や巨大砂像を楽しんだ後、大山ロイヤルホテルで足を滑らせたボクは股関節を骨折し、前回述べたように急遽米子空港から羽田へ戻り、慶応病院の親切な整形外科医の紹介で、自宅近くの、武蔵野市の吉方病院に入院した。
三鷹駅の北口、武蔵野警察の先、大きなマンションの手前にひっそりと佇んでいるような病院だった。
 ・・・ともかく一度自宅マンションに戻りたい・・・
 ここの院長先生と向き合ったボクは懇願した。
「先生、とりあえず、麻酔薬でも使って痛みをとめていただいて、家へ帰りたいのですが・・・」
「患者に麻酔薬を打って、家へ帰す? そんなバカな事できるわけないでしょう!」
 確固たる信念を持った医師の顔で、院長は言った。
 そして、ボクの気持ちとすれば、この病院に閉じ込められることになった。

 そして、この病院は、強烈な院長医師の個性と、看護師、介護師、リハビリ師軍団で構成される独特な組織から成り立っている病院であることを認識することになる。
 
 ─ 続く ─
  

エッセイ(571)鳥取で股関節を骨折、武蔵野市「吉方病院」へ。

2019-10-23 12:54:14 | エッセイ
 9月17~18日、ボクは家内と近畿ツーリストの鳥取・島根旅行に出かけた。
 家内と今まで海外旅行へはよく出かけた。定番のイタリア、フランス、スペイン、カナダ等々。
 ところが意外と国内旅行には縁がなかった。
 今年83歳になるボクの年齢も考慮して手配してくれたのだろう。
 鳥取の雄大な砂丘、砂の巨像などを大山ロイヤルホテルのパーティーで参加者と評価し合っていた。
 ところがなんと、ボクは滑って倒れ腰を強打。股関節を骨折したのだ。
 ・・・当然、救急車が呼ばれ、ボクは鳥取の救急病院へ運ばれることになるだろう・・・
 ボクは咄嗟にまずいと思った。
 近ツリの担当者に、タクシーを使ってでも、岡山空港から羽田へ戻るようお願いした。
 ANAも親切に対応してくれた。羽田でタクシーで慶応病院へ。
 親切な整形外科医が三鷹の自宅近くの病院を当たってくれて、武蔵野日赤や杏林病院、野村などの大病院はムリだったが、武蔵野市の吉方病院が受け入れてくれた。
 そして、ここで手術されることになったのだ。
 この吉方病院というのが、またユニークな病院だった。
 詳細は、また後程。