昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

ベトナム便り(4)ベトナム8ヶ月目(3)

2009-08-25 05:30:08 | ベトナム便り
 ・・・<食事>、<女性>に関し追加報告がありました。・・・
 
 2.食事
 今までのわずかな経験の中ですが、<取り箸>はありませんでした。
 それどころか、自分が使用中の箸で平気でものを取ってくれます。
 日本では厳禁の、二人の箸でいっしょに掴んで分け合うことも気にしません。
 <取り皿>は自分のご飯茶わんがすべてで平たい皿はまったく使いません。
 この中にご飯もおかずもスープも何でも取って食べます。

 ベトナムに来て体調がいいと言いましたが、一度短期帰国の際、かかりつけの歯科医でチェックを受けたところ、「たいへん!奥歯が虫歯だ}と言われました。
 先生曰く「ベトナムの風土があなたの健康を損なっています。こんなに虫歯進行が早まったのだから・・・」
 実態は感覚とは別で身体は蝕まれているのかもしれません。

 3.女性

 

 ベトナム美人の写真を追加します。

 

 8月15,16日、ベトナム中部の日本ゆかりの街<ホイアン>で開催された<日本祭り>で<アオザイ・きもの対決ファッション>がありました。
 全員、モデルはベトナム人です。
 真ん中は坂場ベトナム大使ですが。
 ・・・アオザイってずいぶんいろいろあって、カラフルなのにはビックリです・・・

 4.音楽
 クラシック音楽は、ハノイに<ベトナム・シンフォニー>という日本人の<本名さん>が常任指揮する交響楽団があります。
 パリ・オペラ座を模した劇場で毎月コンサートが開かれますが、残念ながら音色などまだ一流とは言えません。がんばれVSO!

 旧市街にはジャズの生演奏を聞かせてくれる<ジャズ・カフェ>があります。
 
 ベトナム演歌とも言うべき歌謡曲が人気です。
 根っこが日本演歌で、ベトナムらしいメロディーやリズムに<変曲?>され、けっこう耳に心地よい。
 美しい声の男女が歌っていて日本に輸出しても<エキゾチック演歌>として人気がでるかも。

 カラオケ店がそこら中にあってにぎわっています。
 カラオケルーム内の音量はジェット機内並み。
 会話不能、歌声も割れて聴けたものではない。
 ベトナム人は大音量にびくともしない人種なのでしょうか。
 ・・・大音声で歌い、しゃべるご本人が言うんだからよっぽどでしょう・・・
 
 公共バスでも運転手の裁量でどんな音楽でも流せるらしく、満員バスで大音量の曲が流れていたりして驚きます。

 

 ベトナムの伝統楽器で民族音楽を奏でていました。

 

 訪問したお寺の住職は書道の達人でした。

 ・・・得がたいベトナムの生活体験談をありがとう。新生、発展途上国ベトナムの日本とは異なる社会制度や経済の実態など、いろいろな分野の報告をお待ちします・・・

ベトナム便り(3)ベトナム8ヶ月目(2)

2009-08-24 05:00:59 | ベトナム便り
 3.女性
 ベトナムはキン族(ベト族)が90%を占めますが、少数民族が53もある他民族国家です。
 そして、民族間の接点になった地域に美人が多い。
 最近イギリスのシンクタンクが発表した<地球幸福度指数>で、ベトナムはアジアトップの第5位です。ちなみに日本は95位。
 ・・・地球上で最も幸せな国を選ぶというより、生態環境がいいかどうかを表す指数のようです。少なくともベトナムは地域に根づいた環境の下、心身ともにリラックスしている状況がうかがえます。最近日本では失われつつある環境です・・・

 幸せと思っている国民が多いことは事実で、幸せな国には美人が多い。
 首都ハノイでもはつらつとした若い女性が目立ちます。
 身長は低く、150センチ台で小柄ですが、大半は見事なプロポーションで男心をくすぐります。
 ベトナムの伝統衣装は<アオザイ(長い服という意味)>ですが、女性のシルエットを演出するすてきなデザインです。

 

 偶然街中で出合った花束を持った女性です。

 

 公園などでよく見かける新婚カップルです。

 庶民はスッピンがほとんどですが、最近薄化粧した女性も見かけるようになりました。

 

 研修で訪れた中学校の英語のできる生徒です。

 

 写真は在日ベトナム大使館に勤務する女性です。
 お世話になりました。

 髪は長くストレートヘアが美しいとされ、ストレートパーマは女学生もかけるそうです。
 日本人同様黒髪人種ですが、最近栗色に染める女性も増えています。
 ネックレスやリストバンドをしている女性も多いし、ピアスの学生も散見されます。
 ・・・中国や韓国のように、日本のギャルファッションがベトナムを席捲する時が来るかも・・・

 まちがいなく美人の多い国ですから、近い将来国際的ミスコンテストのチャンピオンが誕生するでしょう。

 <音楽>は明日に掲載します。

ベトナム便り(2)ベトナム8ヶ月目(1)

2009-08-23 05:32:10 | ベトナム便り
 ・・・なるほど!と思う日々(66)で掲載したベトナム便りの続編が届いた。
 彼は70歳でジャイカに選抜され、企業設立支援のためにベトナムに派遣され既に7ヶ月が経過した。
 今では<バクサム>と呼ばれ、すっかりベトナムの生活にも溶け込んだようだ。
 今日と明日、2回に分けて掲載します。・・・

 

 写真は行動拠点とするベトナム首都のハノイです。
 毎日バイクであふれています。

 

 こんな可愛い子どもたちがベトナムの将来を背負うのです。

 1.言葉
 特に二人称の言い方が多くて複雑です。
 相手が年上か下か、家族や親戚関係にあるか、男か女かなどで呼び名を使い分けることが絶対に必要です。
 <バク(Bac)>は年上男性に対するおじさん的意味あいで一人称にも二人称にも使え、ミスターの代わりにも使える便利な表現方法です。
 ほんとうは<すすむ>ですが、アメリカで使っていた<サム>を使うことにして<バクサム>というわけです。

 2.食事
 基本的に日本と似ています。
 お米が主食で、ベトナムを代表する<フォー>や<ブン>と呼ばれる麺も米が原料です。
 もち米も<味つけおこわ>としてよく食べます。
 おかずは野菜、肉、魚をバランスよくそろえ、薄味なので好みに応じて、魚醤ベースのたれやライムを垂らしたり、胡椒入り塩をつけて食べます。

 

 写真はランチの一例ですが、栄養バランスがよく、これで¥120です。
 庶民の食事は日本の家庭料理と実によく似ています。

 <ネコ飯>とか<イヌ飯>とか言われて日本では軽蔑される<汁かけ飯>はこちらでは正式な食事法になっています。
 ビールに氷をぶちこんで飲んでいますが、こちらでは冷蔵庫が普及していないので、ぬるいビールには氷を入れて飲みます。

 小さなお茶わんを使うことや木製の箸を使う点、中国や韓国よりも日本的です。
 この国では割り箸は存在せず、塗り箸もほとんどありません。
 木肌のままの箸を何度も洗って使いますが、ひどく汚れて見えます。

 だれも紙ナプキンで拭いてから使います。
 お茶わんも同じように食べる前に内側をよく拭きます。
 出す側を冒涜しているみたいでちょっと気分が悪いですね。
 汁物はスプーン(蓮華)を使ってむしろ上品ですが、たまには椀に口をつけて豪快に飲みたい!

 土間にテーブルを置いた一部の大衆食堂ではエビやカニの殻、鶏肉や魚の骨、貝殻、食べ残し、紙ナプキンなど、何でも足元に捨てて足の踏み場がなくなるほどです。

 こう言うと衛生面が心配ですが、腹具合は日本にいるときより良いみたいです。
 ・・・むしろ日本のほうが衛生面に神経質で、菌に対する抵抗力が弱くなっているのが心配だ・・・

 飲食にはすべてミネラル水(家庭では20リットルの大きなボトル入り)を使う。
 歯磨き程度なら水道水で大丈夫。
 地元の人たちは沸騰させた水道水(田舎では井戸水や雨水)を飲食に使っているようです。

 ─続く─ 
 ・・・明日は<女性>と<音楽>についてです・・・
 

スペイン旅行記23

2009-08-20 05:01:39 | スペイン旅行
 23.蛙女さん、ありがとう

 乗り継ぎのため、アムステルダム空港で通関チェックを受ける。
 空港を出ることのない単なるトランジットなので、普通問題ないはずだったが、元自衛隊員のデカ男がワインを没収された。
 
 

 ぼくたちはノーチェックだったが、彼だけ荷物を全開させられた。
「お酒というより、液体に神経を尖らしているのよ・・・」
「飛行機に乗る前は、乗り継ぎとはいえ、その都度危険物のチェックをするんだ」
「たぶん、彼の目つきが鋭いから目をつけられたんじゃない?」
「お酒が大好きな人だったのに、運が悪かったのよ。かわいそうね・・・」
 ぼくたちはうわさしあった。

 蛙女は懸命に係員に抗議したがワインは戻ってこなかった。
 空港内で買ったものだが、所定のシールが貼ってなかったから没収されたという。
 お酒を購入する時は「シールをはってあるかどうか確認しなさい」という注意の言葉は蛙女から事前になかった。
 しかし、今のぼくは彼女を非難する気にはならなかった。
 彼女に対するぼくの気持ちはすっかり変わっていた。

 成田行きの航空機はJALだった。
 JAL機の日本人キャビンアテンダントは優しい。

 

 JALのうすいブルーの紙コップの色のようだ。
 機内は空いていて、一人で十分二人分の席が確保できる。
 ウオーキングウーマンが三人席をひとりじめして横になっている。
 素足が魅力的だ。
 マンガのような顔で、のべつまくなしにしゃべっていた茨城弁のおばさんが、枯れてしまったようなうつろな表情で固まっている。
 エネルギーを失ったのか、それとも目覚めたときに備えて蓄えているのだろうか。

 ゆったりとした気分で十分寝ることができて、疲れも取れた。
 無事通関を終えて、蛙女に挨拶した。

 

「ありがとう・・・」
「お疲れさまでした・・・」
 にこにこと返す笑顔は、よく見ると目が大きくてなかなかかわいい。
 ・・・蛙女なんて言ってゴメンネ・・・
 ぼくは心の中でつぶやいた。

 ─了─

 長い間ご愛読ありがとうございました。
 次回からは小説「平取締役」を連載します。
 




スペイン旅行記22

2009-08-18 06:48:00 | スペイン旅行
 22.遅すぎた郵便投函

 

 朝食後、ホテルに隣接するチャマルティン駅の構内を歩き、郵便局を見つけ、留守宅への郵便を投函した。

 ミハスで蛙女に郵便局があるか聞いたとき、「今日は日曜日だから開いてませんよ」と素っ気なく言われた。
 毎日の記録を絵葉書に書いて送ることにしている。
 それまで投函する機会に恵まれず、ホテルでも受け付けてもらえなくて最終日まで持ち歩いてしまった。

 「駅の中に郵便局があるはずですよ・・・」
 昨日、蛙女がそばへわざわざ寄って来て言ってくれた。
 彼女は覚えていてくれていたのだ。

 だいたい初対面から彼女に対するぼくの印象はよくなかった。
 ・・・70を越えたこんな年寄りが、しかも足も悪そうだし、この長距離バスでしかも歩きの多いツアーに耐えられるかしら・・・
 その冷たい目つきから、彼女がぼくをそう見ていると勝手に思い込んでいた。

 ・・・ゴルフのキャディと同じだ・・・
 調子が悪くなって、手間がかかりそうになると、鼻もひっかけてくれない。
 ぼくは彼女に<蛙女>なんて失礼なあだ名をつけて憂さを晴らしていた。

 アルハンブラの上がり下がりの多い行程や、コルドバの長時間の徒歩観光などを文句を言わず、遅れることもなく、もくもくとツアー最年長の年寄りはこなしていった。
 すると、ツアーも最終段階を迎えるあたりからぼくに向ける彼女の目つきが優しくなった。
 そして昨日、初めて親しげに声をかけてくれた。

 そのひと言でぼくの彼女に対する気持ちがくるりと反転した。
  そんなぼくの一人がってな、子どもみたいな心の内が正直恥ずかしかった。

 

 もう我々の方が早く到着して手紙の役目は果たさないが、それでもやっぱり、郵便局の列に並んで投函した。
 そして何か清々しい気持ちになった。
 
 ─続く─ 


 

有名人()男の魅力(11)

2009-08-17 06:59:40 | 男の魅力
 <男の魅力11>

 

 <王、長嶋が太陽のもとで咲くひまわりなら、オレはひっそりと日本海で咲く月見草>
 これは野村克也の言葉として有名である。

 1975年、王貞治が600号ホームランを打った後、野村も600号を打った。
 記念すべきインタビューのために野村は気の利いたコメントをしようと考えていた。
 ここが月並みな他の選手と違うところだ。

 

 彼は貧しい少年時代、新聞配達の途中だったのだろうか、誰も見ていない海辺に美しく咲く月見草を不思議に思ったそうだ。
 その時以来胸に秘めていた思いが言葉となって現れたのだ。

 ここに彼が野球選手として、また監督として成功した原点があるとぼくは思う。

 彼については毀誉褒貶、好き嫌いがあると思うがぼくは好きだ。
 <気の利いたことを考えようとする>、<杓子定規でない、率直な物言いで思いを表現する>という点が好きだ。

 昨日、妻に促されてNHKのBS、プレミアム8<野村克也>に見入ってしまった。

 魅力ある男にはエピソードがつきものだ。


 選手時代、一時期彼はカーブが打てなくて悩んだ時期があった。
「ほらあ、カーブがくるぞ!」
「カーブの打てない、ノ・ム・ラ!」と野次られるほどだった。
 特に好投手、稲尾和久を大の苦手としていた。
 しかし、研究熱心な彼はテッド・ウイリアムズの著書からヒントを得て、投手には球種によって癖があることを知り、16ミリで研究、攻略した。

 捕手として<ささやき戦術>などを使って相手打者の集中力をを殺ぐなどの心理作戦をとったこともある。

 三冠王や8年連続のホームラン王など赫々たる実績を残したが、1980年、ついに選手としての引退を決意する。
 そのきっかけとなったのは西武に移籍した対阪急戦、1点を追う展開の中、8回裏、1アウト満塁で彼は初めて代打を送られた。
 ベンチに下がった彼は代打策の失敗を願い、結果は彼の期待通りダブルプレーに終った。
 ・・・ざまあ見ろ・・・と思ったそうだ。
 ところが帰途、チームの勝利を願わねばいけない状況での自分の気持ちを情けいと反省、選手としての引退を決めた。

 その後、解説者として活躍、その鋭さを評価したヤクルトの社長に1980年、監督を要請される。
 当時のヤクルトはファミリー主義の明るいチームカラーで人気があったが、勝負に対する甘さがあり、Bクラスに低迷していた。 

 1990年に彼はデータを重視するID野球を掲げてチームの改革を図る。
 特にドラフト2位で入団した古田敦也捕手に目をかけ、英才教育を施した。
 
 

 最初「サインは何となく出している」などと言っていた彼に、勝負の分岐点を意識する配球について論理的に理解させるところから指導した。
 古田はやがて守備面で大きな進歩を遂げると同時に打者としても首位打者を獲得するなど顕著な成長を見せた。

 1992年にはセリーグの混戦を制して優勝した。
 途中、天王山の対中日戦で、怪我、手術などで4年ぶりという荒木大輔を起用する賭けに出て成功する。
 甲子園で活躍し、いざという場合の彼の試合度胸に野村は賭けたのだ。

 1997年の対巨人開幕戦では、前年広島を自由契約になった小早川毅彦を起用、巨人のエース斉藤雅彦から3本のホームランを打って開幕ダッシュに成功、リーグ優勝、日本シリーズでも西武を破って三度目の日本一になった。

 後、三顧の礼で迎え入れられた阪神では、伝統の壁に阻まれて失敗するという苦渋を味合うが、ノンプロのシダックスの監督を経て、再度プロ野球の楽天に監督として招聘される。

 ここでも、過去本塁打王、打点王の実績を持ちながら不振にあえぎ球団を転々としていた山崎武司を獲得し起用した。

 

 最初悩んでいた彼に「気楽にいけよ」と言った野村監督の一言で彼は再生、本塁打王、打点王まで獲得することになる。
「身勝手な自分が、チームのために働こうという気持ちになった」と山崎は言っている。

 人を育てるということは、自信を育てるということだ。
 人づくりは<愛情>、さりげないひと言が効くと野村は言っている。
 自信を失ったり、盛りを過ぎた選手を何人も再生し、野村は再生工場と言われている。

 選手を指導するとき、彼は<人間はなぜ生まれてくるのか>というところから説き起こしている。
 人として生まれる。人として生きる。人として生かす。
 生きるため、存在するためにどうするかを考えろ、と。

 振り返ってみると、野村克也の人生は<無形の力(観察力、洞察力、判断力、決断力)>などを活用し、自らを含めて<弱者を強者に再生するための道>だった。

スペイン旅行記21

2009-08-16 07:44:11 | スペイン旅行
 21.セルフ食堂で最後の晩餐

 お昼はコシード・マドレーニョ、マドリード風豚の煮込み。
 スープが美味しい。
 
 

 午後はオプションでトレドを訪ねる。
 1493年に完成したスペイン・カトリックの総本山、カテドラル、そしてサント・トメ教会を徒歩で見学。
 高台から眺めるトレドの街並みは、まさにエル・グレコを魅了した古都だ。
 
 

 夕食はフリー。
 スペイン広場の近くに行けばいろいろなレストランがありますよ、と蛙女が列挙していたが、わざわざ出かけていくのも億劫なので聞いていなかった。

 ホテルの隣にFRESCOというセルフサービスレストランがあるのを見ていたのでそこにする。
 30人ぐらい入れるのではという大きなスペースに客が4,5人ぱらぱらと入っているだけだった。
 レストランというより食堂という雰囲気だ。

「あら、おたくも? そうよねえ、出かけるのも面倒だもんね・・・」
 ウチのと適当にたべものや飲み物を運んできてテーブルに置いたところで、神田の野村さちよ風オバサンとスポーツウーマンのカップルが寄ってきた。
「あなたたちもこちらへいらっしゃいよ」
 目ざとく、別なテーブルにいた熊本のひょろり夫婦にも声をかけて、さちよ風マダムは積極的だ。
 仲間がひとかたまりになって、みんなほっとした笑顔を交わした。

「みなさん、枕銭って、どうされています?」
 ひとしきり食べるものも食べて、ビールやコーヒーになったころを見計らって、ひょろり奥さんが話を切り出した。
「マクラセン? ああチップね。そんなもの置くわけないわよ・・・」
 さっそく、さちよ風マダムが反応した。
「ただね、ニューヨークで二泊したとき、いつものように置かなかったのよ。そしたら、ゴミは捨ててないし、コースターなんてぶん投げ状態なの。だから続けて泊まるときは仕方がないから百円相当ぐらい置くことにしたの。今回はここが初めての二泊だから置いたわよ・・・」

「ウチはイヌ飼っているから、旅行する時たいへんなのよね。だれかに頼まなきゃいけないから・・・」
 相方のペースになりそうだと懸念したのかどうか、スポーツウーマンが話題を変えた。
 するとやっぱり相方が反応してきた。
「ウチにもいっぴき大きなのがいるけど、自分で食べることが出来るから問題ないけどね・・・」
 そう混ぜ返すとかっかと大口を開けて笑う。
 放ってきた旦那のことだとみんなすぐ分かった。

「コルドバでしたっけ、オレンジがいっぱい成っていて、先生が関心を示していらっしゃいましたね?」 

 

 ぼくは、おとなしい生物教師ひょろり旦那に話を振った。
「メスキータとかユダヤ人街でもいっぱいぶら下がっていましたね」
 ウチのがフォローした。
「いや、あれはほとんど観賞用なんです。中には食べられるものもあります。へたのところで分かるんですが・・・」
 
 マドリードの繁華街で素晴らしいスペイン料理を賞味できなかったが、こんなセルフ食堂で大したものを食べたわけではないが、「楽しかった・・・」とみんな満足そうだった。

 ─続く─
 
 

スペイン旅行記20

2009-08-15 05:54:43 | スペイン旅行
 20.プラド美術館

 8時朝食。初めて松本のデカオッサンと同席。
 元自衛隊員とか、50代だろうか、いい体格をしている。
 一人旅だそうだ。
 朝からワインを飲んでいる。
 成田からの便で、黙々とビールを飲んでいた大きな背中を思い出した。
「今回の目的の一つでしたから・・・」
 午後のフリータイムにはレアルマドリードのサッカー競技場を見学に行くと言う。
 試合があるわけではないが、どうしても見たかったのだと言う。
 ぼくは希望者が募られた時、競技場を見るだけじゃ、と断っていた。

 午前中は標高600メートル、人口370万の首都マドリード市街を観光。
 気温6℃、晴れ、スペイン晴れとでもいうのだろうか、真青な澄んだ空、あまり寒さは感じない。
 高級ブティックの店が並ぶセラノ通り、アルカラ門を経てスペイン広場へ。
 スペイン広場というと、ローマを思い出すが、こちらが本場だ。

 

 作者のセルバンテスに見下ろされて、ドンキホーテが騎馬姿でサンチョ・パンサを従えて誇らしげだ。
 
 

 世界三大美術館の一つであるプラド美術館では二組に分かれて解説者付で観賞。
 エル・グレコの描く絵画像の特に細い手が印象的。

 

「普通の画家は手、特に指などに神経を使うのを嫌うんです。けっこう手間がかかるんです。その点グレコは指を入念に丁寧に描きました」
 ベテラン解説者Tさんの視点はユニークで興味深い。

 ベラスケスの<ラスメニーナス(女官たち)>、<プレダの開場>、ゴヤの<裸のマヤ>、<着衣のマヤ>、<カルロス4世の家族図>などなど、見るべき展示作品があまりにも多い。
 しかし、残念ながらお目当てのピカソの<ゲルニカ>は貸し出し中とかで見れなかった。

「どちらのご出身ですか?」
 美術館を出た所でウチのがTさんに語りかけている。
「滋賀県です」
「ああ、やっぱり・・・大阪弁とは違うな、イントネーションがって思ったんです。・・・わたし、彦根です」
「ぼくは安土です」
 意気投合して盛り上っている。

 ─続く─
 

スペイン旅行記19

2009-08-14 09:26:06 | スペイン旅行
 19.マドリード着

 19時半。さすがこの時間になると薄暗くなってきた。
 かすかに<京城酒家>と読み取れる今日の夕食所が見えてきた。
 今日は中華料理だ。

 

 福島のころころ夫婦と同席になる。
 二人とも小太りの体型で、あまり目立たないおとなしいタイプだ。
 何を話題にするか迷っていたら、顎鬚をはやした旦那のほうから話しかけてきた。
「実は、この指が曲がらないんですよ・・・」
 テーブルの下から左腕を引き出してきて見せた。
 ぼくの足が悪いことを気にしていたのだろうか。
「オートバイが趣味なんですが、事故っちゃって障害が残っちゃったんです」 
 一見むくつけき顔だが、目が優しい。
「さっき入って来た時、先に入っていた団体からハッピーニューイヤーって声かけられましたよね・・・」
 日本人のツアー客かと思ったら、香港からだと言っていた。
 そういえば今日は旧正月だ。

「どれも美味しいですね・・・」
「ほんと、やっぱり中華は口に合いますね」
 奥さんとウチのがにこにこと話し合っている。
 スープ、チャーハン、豚の角煮、はくさい、牛肉とたけのこ、マーボ豆腐、どれも美味しい。
 ホッとする味だ。

 夕食に満足した我々は、駅に隣接するウサ・チャマルカンホテルに入った。
 大きなホテルだ。

 

 4階の部屋に入ると、今まで長距離バスの連続で溜まった疲労がどっと出てきた。
 でも、あとここの二晩を残すだけでスペインともお別れだと思うと寂しくもある。

 どっこいしょ、と腰を上げてトイレを使おうとしたら水が出ない。
 早速蛙女に連絡すると、係りがやってきた。
 直りましたと言われたが、やはり水の出がよくない。
 ふたたび蛙女を煩わして、交渉してもらい8階の部屋に変更してもらった。

「やった、窓の外の眺めがばっちりじゃない・・・」
 喜んだのも束の間、隣の声は聞こえるし、上階から水の音まで聞こえる。
 シャワーヘッドも固定式だし、A級ホテルだと言われ期待していたのにがっかりだ。

 ─続く─

スペイン旅行記18

2009-08-13 06:02:35 | スペイン旅行
 18.コンスエグラの風車

「さあ、もうすぐコンスエグラです。風車が見えてきますよ・・・」
 蛙女の声に静かだったバスの車内がざわざわと動き出した。
 バスは静かな街並みを横目に丘を登り始めた。
「たぶん、我々のバスを見かけた風車の持ち主が慌てて、車ですっ飛んで行ったでしょう」
「・・・」
「風車って言ったって、今では粉なんか挽いていませんからね。中身はおみやげやですから、今ごろおやじが開店準備をしているでしょう」

 

 バスから降りると、白い小屋に黒い羽をつけた風車が5、6基丘の上に広がっている。
 中でも大きい風車の前でオヤジが仁王立ちになって叫んでいる。
「ミナサン、ヨウコソ、フウシャミテネ、オミヤゲモイロイロアルヨ・・・」
 日本語だ。
 
 オヤジの声に引っ張られるように1ユーロ払って風車の中の階段を上った。
 動いていない大きな石臼があるだけじゃないか。

 損した気分で降りていくと、オヤジが絵葉書やバッチなどの小物を並べて、群がっている日本のおばさんやおねえさん相手に商売している。
「モウカッタ。アナタハビジン。オオサカジンハケチネ・・・」
 オヤジは我々の観光バスを見てすっ飛んできたのだろう。
 日ごろは空家の風車で商売できて満足そうな顔をしていた。
 みんなの撮影要求にもニコニコと応じていた。
 
 

「お姑さん付きの村って言われているんですよ・・・」
 バスに乗り込んでから蛙女が村のことを説明していたら誰かが窓の外を見て叫んだ。
「あっ! お姑さんが歩いている・・・」
 大きな洗濯かごを下げたおばあさんがゆっくり歩いていた。
 
 見かけたのはこのおばあさんと、あのうるさいオジサンの二人だけの風化したような町を我々のバスは静かに通り抜けていった。
 風車は11基観光用に残されているが、いずれも本来の機能は果たしていない。

 マドリードまでの127キロの道中、丘の稜線に現代の風車が列を成していた。

 

 夕方だというのにまだ明るい。
 スペインの朝は遅いが、暮れるのも遅い。

 ─続く─