昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(71)囲碁教室

2013-02-27 04:22:50 | 三鷹通信
 久しぶりの小学校スマイルクラブの囲碁教室。
 
 囲碁指導に入る前に、みんなの集中力を高めるために今回もエピソードを用意した。
 囲碁の盤面は交点が19X19=361ある。
 その中心の一点を<天元>と呼ぶ。
 こう名付けたのは、江戸時代の棋士、安井算哲(渋川晴海)だと言われている。
 
 彼は日本で初めて暦や、地球儀を作った天文学者でもあったので、その知識の中から<天元>という言葉が浮かんだのだろう。
 <天元>に先着すれば囲碁に必ず勝てる、と将軍の御前で戦う<御城碁>において、本因坊道策との試合で試したが9目負けてしまったという。

 この話の間子どもたちは集中していたが、囲碁の技術的な指導に入ると、席を立ってうろちょろする子が出てくる。
「それ、シチョウでしょう? ゲタだ!」と知識を誇示するのはいいが、そんなもの知っているとばかり、席を離れて歩き回る。
「囲碁を習いに来たんだろう? 体操の時間じゃないんだから!」と一喝すると、一時は席に着くが、また動き回る。
 中にはマンガを取り出して読み始める子もいる。

 我々の時代には、先生からコツンと叩かれたり、チョークが飛んで来たり、廊下に立たされたりしたものだが、最近は体罰禁止だから、こういう無法者にはどう対処しているんだろう。
 我々も囲碁によって<礼>のマナーをと、子どもたちの中から<部長>を選び授業の始めと終わりには挨拶をさせるようにしているのだが・・・。
 囲碁の知識について知っていること全く知らない子の格差があり過ぎて講義の仕方が難しい。

 それでも力に応じて対局させると、けっこう集中する。
 サポートに来ている囲碁好きのオジサンをやつけて得意げな子どもの成長ぶりを見るのはうれしい。

 (1)<スクールカースト>という言葉があるそうだ。
  現代の教室内でいくつかの友だち同士のグループが自然形成され、序列化が働いていることをインドなどのカースト制度に擬えた表現だ。
 昔は学力や運動能力が大きく関係していたが、最近では<学業成績>や<運動能力>の相対評価を廃止する生徒間の序列付け自体を否定するような過剰な平等主義があり、(努力で挽回可能な)特性による評価を失った子どもたちは<人気コミュニケーション能力>という(努力で挽回不可能な)特性に依存した序列づけが発生してしまったのだ。
 
 現代の日本の子どもたちは<キャラ>を演じてコミュニケーションをとるというスタイル、つまり<不思議ちゃんキャラ><毒舌キャラ>とか、テレビのお笑い番組の影響を強く受けている<キャラ>で人気をとる。

 (2)<シニアの子どもたちとの関わり>
 「孫の学校に呼ばれて、子どもたちに遊びを教えてほしいって言われて独楽の回し方を教えて来たんだ」
 先輩が目を生き生きさせて語りだした。
「それで、深大寺の縁日で見つけた竹とんぼを数本持って行ったんだ。そしたら、おじいちゃんたいへんな評判だったよ! って孫に言われてね」
 
 先輩はことのほか、うれしそうだった。
 地域で<竹とんぼ普及活動>をされている<すこや>さんにコメントしたら、
「マロさん、それです。それがいいのです。年寄りは孫が大きくなればなればでもっと驚かせる。そういうのをやらなくっちゃ」
 <すこや>さんの活動については、左欄の<ブックマーク>の<すこや>をクリックしてみてください。
 

なるほど!と思う日々(237)日本型リーダー(3)

2013-02-24 06:27:22 | なるほどと思う日々
 <話し合い>は、日本では絶対的なものだが、実は個人の倫理から一国の政治の基本にまでかかわる大きな問題だと山本七平氏は説く。
 売春を行った女子高校生が、補導されたときに述べる言葉は次のようなものである。
 
「相手も楽しいし、自分も楽しいし、世の中だれにも迷惑をかけていない。そのうえお金まで入る。どうしていけないのか」
 これに対する反論はなかなかむずかしい。
 彼女たちの言っていることは、前提なしの無条件の話し合いに基づく合意が絶対であり、それを外部から拘束する法的、倫理的規範は一切認めないということであり、まさしく、超法規的、超倫理的な<話し合い>が絶対的な<義>であり。これに干渉する権利は誰にもないということなのである。・・・

 大日本帝国憲法の下では、首相の任命権は天皇にあった。
 当時は天皇は神様であり、不磨の大典といわれた憲法は絶対である。
 とすると、天皇は自由に首相を任命できるはずであり、法的にはこれを阻止しうるものはないはずである。
 ところが当時の陸軍には<三長官会議>があった。
 これは法的には何の根拠もない会議、いわば私的な<話し合い>である。
 ただ陸軍の意向を表明するため、参謀総長、陸軍大臣、教育総監の三人が話し合いをするということにすぎない。
 この三人は別個に天皇に直属しているのである。
 
 さて、内閣が交替し、天皇が新首相を任命すると、この三人が話し合いのうえ、新しい陸軍大臣を推薦するという慣行があった。・・・ところが、新たに天皇が任命した首相に不満な場合は、三長官の話し合いで陸軍大臣を推薦しないのである。こうすると、結局はその新首相は、組閣に至らずに辞めなければならない。
 彼らは、これを利用して、天皇の首相任命権に対して、実質的に拒否権を行使できることになってしまった。

 これが、機能集団であるべきはずの軍隊が、一種の共同体に転化し、それが天皇を超えた絶対的な力をもってしまった一例である。
 いわば、日本を敗戦に導いた最大の要因は、軍部すなわち<軍隊一家>ともいうべき共同体の要請が、すべてに優先し、国民はその要請に対応すべき存在とされてしまったことである。
 簡単にいえば、軍共同体維持のため、機能集団としての軍隊が機能するという状態である。

 (その軍隊機能を最大限に具現したリーダーが東條英樹であった)
 
 司馬遼太郎氏曰く。
「東条英機という人は成規類聚の権威でしてね。それを盾にして人々の違反を追及して権力を握っていった人ですな。あれが一番こまります」と。
 成規類聚はいわば陸軍の社規社則である。
 軍人は、就業規則を読まない社員同様、通常はそれを読まない。
 だが、それに違反しているといわれれば、どのような提案も引っ込めざるを得ないのだ。
 それは結局、この規則が<陸軍共同体の話し合いの原則>を守るために使われているにすぎないからである。

なるほど!と思う日々(236)日本型リーダー(2)

2013-02-23 05:04:48 | なるほどと思う日々
 昨日挙げた日本型リーダーの代表はいずれも武士である。
 この武士の統治で日本は世界にも例のない300年近く平和な時代を経験するが、近代西洋の<力による文明>の圧力のもとに変革を余儀なくされる。
 いずれにしても、日本が中国や韓国に先駆けて近代国家に変身したのはそれなりの素地が日本にはあった。

 韓国の経済学者キム・イルゴン教授によれば、日本は土地の私有を認めたが、韓国は土地の私有を認めず極端な中央集権制を採用したことが、以後の両国の運命を決定したと言っている。
 つまり12,3世紀以後、韓国も中国も中央集権制の官僚国家であった。
 だが、日本は1232年の<貞永式目>すなわち武士の法律が土地への私的な所有権を認め、その権利を保証したため、東アジアの大陸とは別の道を進むことになった。
「自分の所有権は自分で守れ、その努力をしなかった者が損害を受けても、それは自ら所有権を放棄したものと認めて、政府は保護をしない」という内容だった。

 江戸時代においても大名の独立採算制という制度により、各地方がそれぞれ独自の経済政策を持っていたということと、さらに言えば、勤勉を貴ぶ国民の意識が日本をいち早く近代化に導いた素地だったのだろう。

 江戸幕府がペリーの来航など、外国の勢力に圧倒され崩壊し、薩長主導による明治政府が成立したとき隠然としたリーダーシップを執ったのは、福地桜痴が「渾身これ政治家」と称賛した大久保利通だった。
 
 司馬遼太郎が<この国のかたち>の中で彼のことを述べている。
 旧主を否定することによって成立した大久保としては、福地のいう<冷血>をもって、情熱のすべてを国家の建設にそそぐ以外になかったのにちがいない。
 大久保はおよそ儒教的な思弁性を好まなかったが、かといってヨーロッパずきでもなく、また文明開化をすすめながらも軽佻なところがなかった。

 あくまでも冷厳なほどに現実を見つづけた人物で、太政官のだれもがそういう大久保に畏怖しきっていた。・・・
 そういう大久保が、旧主筋を裏切ったという倫理の基本をゆるがすような呵責から生涯まぬがれたことはなかったであろうことを思わねば、明治初年という時代は理解しにくい。
 大久保ほどでなくても、明治初年の太政官の重要な構成員の多くが、政治的には旧主の統治権をうばいつつも旧主家に対して複雑な感情をもち、その感情を礼節でおぎなっていたことは、いくつもの例証で知ることができる。高度なうしろめたさがかれらにあったのにちがいない。

 大久保の場合、配下の者が内務卿室に案件を持ってくると、独特な型で政務採決の返答をした、といわれる。型は三つあった。
 第一には「それは御評議にかけましょう」というのである。
 これは断行の意志がある場合である。
「それは篤と考えておきます」というのは保留か、要調査ということであった。
 最後に否定する場合には、こういった。
「それは御評議にはなりますまい」
 この語法は神が背後にいる司祭のようで、語法通りに解釈すれば大久保が決めるのではなく、背後に聖なるものが存在し、それが決めるかのようである。・・・

 諸藩の下級武士たちが将軍を政権から追い、旧主である諸侯から統治権をとりあげ、一方において四民を平等にして、<国家>というそれ以前の日本になかったものを創り出すには、仏教でいうところの聖なる虚空が必要だったのである。

 こうして近代国家として滑り出し、列強の仲間入りをした日本が、なぜ<非理性の暴発>といわれる二十世紀の国際情勢に巻き込まれ、自らが暴発して転落していったのか。
 そのときの日本型リーダーは? 次回に。
 

なるほど!と思う日々(235)日本のリーダー(1)

2013-02-22 05:20:50 | なるほどと思う日々
昨日のFサロンでは、半藤一利「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」が取り上げられた。

 歴史的に日本のリーダーを思い浮かべる時、その画期的な行動から際立つのは<織田信長>であろう。
 従来の武士という権威に固執する因襲から脱し、戦う主役を百姓や町人に鉄砲を持たせる足軽に代えてしまうという新戦法を導入する。
 こんなエピソードもある。
 ・・・桶狭間の戦いで今川義元の首を挙げた毛利新介には五百貫の加増。意外とすくない。一番槍を付けた服部小平太には「その方の働きがあったから新介も義元を討ち取れたのだ」と千貫を加増。さらに梁田政綱を呼び出し、「今日の功一番は、義元の本陣が桶狭間山にあると知らせた功である」と三千貫の加増と沓掛の城を与えた。・・・
 つまり、一に情報、二に探索、三に戦闘という信長流の評価である。
 こうしておけば、これからも織田家の武将はみな、目利耳聡に働くであろうという、これも<銭で雇う兵>という組織を活かすための仕掛けだった。
 (堺屋太一・欣求楽市より)

 <秀吉>
 およそ秀吉ほど、日本人のいい所も悪いところも、一個に具備して、それを露呈してみせた巨人はいない。
 たとえばこの天下人は、天下を統率する日になっても、学問至上にはとらわれない。また、思想の拘束やあまりな制度の規矩なども設けない。どこまでも秀吉のは「おれを信じろ」の風である。
「おれと一緒に暮らせ、おれと一緒にならぬやつは損だぞ」である。
 その社会構成は彼の人間と彼の同調とで、自然に盛り上がったような趨勢だった。
 だからこの天下人の統一下では、当時の未開文明の空としては稀有な自由の風が吹いた。
 近世の自由主義の萌芽とまではいえないが、彼の性情から発する揚々とした空気が日本人の美意識や潜在する長所短所などを遺憾なく生活表現に発露した。
 その意味で、桃山文化はその女粧から河原歌舞伎までが、自由の風に、開花したものとして観たい。(吉川英治・日本の歴史より)

 <徳川家康> 
 戦国時代という、いわば武士の成長過程が、秀吉のときに一つの頂点に達する。全国を制覇して、もうこれ以上領地を拡げられない。
 そうすると武士の成長意欲は行き場を失うわけですね。秀吉はこれを処理することができなかった。・・・
 朝鮮半島だけでなく、ゆくゆくは中国までも支配しようという、とんでもない野望を持ったのです。それで国内の鉄砲を総動員し、さらに生産を増やすという軍拡をやり、他国を蹂躙し、その結果何のメリットもないことに精力を費やした。
 そして豊臣家というのは組織的にも分裂するし、財政的にも非常にきびしくなったわけです。
 徳川家康はそれをじっと見ていたわけですね。
 そして武士の社会というのはもうここが限界だと考えた。もうこれまでのような成長意欲はやめなければいけない。
 これからゼロサム時代だと。
 それで豊臣を滅ぼして自分の天下を取ったとき、家康は直ちに軍縮に向かうのですね。、 <一国一城>、鉄砲もその生産をきびしく管理した。・・・
 家康以降、鉄砲生産は、鋤や鍬などの生産財生産に切り替わり、経済の向上を促した。
 (堺屋太一・堂々の日本史より)
 
 <家康の立脚点>
 天下の主は善政なり。武家に無し。善政は身をつみて、人の痛みを知るなり。善政をなすものには愚痴なし。身をもって人の心に止まることを知るものには邪見なし。これ正道の根源なり。・・・
 我と我が身の悪は判らぬものである。然し小身の者は朋友と切磋できるからその過ちを知りやすい。
 大身の者はそれと違って朋友と交わりや切磋の機会が無いから、自分の過ちを知ることがない。朝夕接するのは臣下ばかりだから、何事もごもっともしか言わない。であるから、少しの過ちは過ちとも思わず、思わないから改めようとも気づかずにあやまることがあるものである。
 これはつまり大身者の損というもので、凡そ人の上に立って諌言を聞かぬ者は、国を失い、家を破ることになってしまう。(山本七平・徳川家康より)
 
 ─続く─
 (明日は、近代のリーダー、山縣有朋、東條英樹について)
 

三鷹通信(70)職業人の話を聴く会

2013-02-15 05:52:11 | 三鷹通信
 大沢の 若草萌える 丘に立つ
 白亜 凛々しき 学び舎に
 誇りに満ちて 集いたり
 奮えよ 若人 我らが母校
 おお 三鷹第七中学校  (校歌より)

 
 一年生を対象にした<職業人に話を聴く会>に参加した。
 この催しは8年前から始まったそうだ。
 ぼくは昨年に引き続き、2回目だ。

 小学校を卒業したばかりの子どもたちは初々しい。
 自らがどんな職業人になるのか、どんな職業を目指すのか考えたこともない年代だろう。
 彼らに職業人を招いてその体験等を聴くという試みは、いずれは社会に出て働かねばならないという意識を、今から持つという意味で非常に貴重な催しだ。

 参加した講師は、法人職員、運輸関係の経営者、テレビ局、不動産会社、建設会社、塾の先生など、多岐に及ぶ。
 ぼくは商社マンという職歴で参加した。
 1つのクラスを6人づつ3組に分け、それぞれに対し20分の時間を与えられ、我々講師が順繰りに担当、計1時間を子どもたちに語り、質問を受ける。
 

 今回、子どもたちに話す内容を自分の体験を基に、5つに絞った。
①ハンディを気にしない。②自分に特技があれば社会に受け入れられる。③商社という仕事④相手のニーズを探る。⑤苦境も前向きの姿勢で乗り越えられる。

 ①自分は中学校のころ右足の膝関節を壊し、足が曲がらないハンディを持っている。  
 ②英語が好きだったという特技が仕事に生きた。
 ③就職した商社の仕事
 ④お客さんの必要とするものは何かを実現するため、アメリカで知った通販カタログによる販売方法を試みた。
 ⑤社長に随伴してドイツに行ったとき、宿を確保できないまま出発した苦境を乗り越え、「やればできる」という信念を得た。

 以上、エピソードをからめて話す予定だったが、時間があまりにも短い。
 キラキラとした目で聴いてくれる子どもたちとの言葉の交流が少なかったことが残念だった。

 どのくらい思いが通じたか、昨年もそうだったが、子どもたちの感想文が楽しみである。

なるほど!と思う日々(234)テレビドラマは衰退するのか?

2013-02-03 07:49:00 | なるほどと思う日々
 過去高視聴率を誇ったNHKの大河ドラマや朝ドラの評判がよくない。
 曰く、<平清盛>は画面が汚い! 
 <純と愛>のドタバタぶりは何だ!

 過去、<おはなはん>の50%とか<おしん>の60%という驚異的な視聴率を誇った朝ドラもこのところ10%台に低迷している。
 今回、<純と愛>には日本テレビの<家政婦のミタ>で40%の高視聴率をたたき出した脚本家遊川和彦氏を起用して、新たな朝ドラを模索している。
 しかし、視聴率関する限り効果を発揮していない。
 むしろ、ぼくの周辺の意見を聞くと、「ドタバタぶりにイライラする」「朝ドラらしい家族だんらんの雰囲気がない」と評判がよくない。

 でも、ぼくの目にはいずれも頑張っているな、とむしろこれからの展開に注目し、期待している。
 次から次へと生じる事件を遊川氏はどう納めるのだろうか、そういう意味では興味深い。
 
 それと、<平清盛>でも感じたことだが、このドラマにも時代を表わすテーマが底流にある。つまり、所々で出てくる愛(いとし)の言葉「女があきらめたら世界がとまっちゃう!」
 だ。
 これは<平清盛>にもあった。「遊びをせんとや生まれける」だ。
 
 どのテレビを見ても同じ顔のタレントが出てくるお手軽番組が多い中、製作者の熱が感じられる点、両者とも意欲的なドラマだとぼくは見ている。

 今日の15:05~NHKテレビ<1000人が考えるテレビミライ>を注目している。
 今、録画再生、ネットの台頭など、視聴環境が変化している時代でのテレビのこれからに着目した番組だ。
 その中で恐らく、現在のドラマ離れ、そしてテレビドラマはどういう形で生き残れるかが、取り上げられはずだ。

 昨日、横浜の麻雀会にひとり足りないのでと請われて参加した。
「敗けては折角誘ってくれた幹事長に申し訳ないと思って頑張りました」
 そういう入賞者の弁を考えていたが叶わなかった。
 しかし、一人の女性から「最近、生き生きとしてるわね・・・」という思いがけない言葉をいただいた。
 ゲーム後のパーティでは「麻雀も好きだけど、こうして男の方に囲まれて飲むことがわたしの健康方法なの」という91歳になられた女性にも触発されて、ぼくにしては調子に乗ってずいぶんしゃべっりまくってしまった。
 たしかに活き活きとしているかもしれない。