たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

俺を説き伏せても何も解明されない

2013-10-11 01:33:08 | Weblog
 思考と感情と行動は、それぞれ別のものだ。共通の部分はあるけど、独立変数として働いていて、絡みあって人の内的な系を構成している。
 俺はこれらの共通部分はものすごく小さい。だから、感情がダメになりそうでも、思考や行動は、普段通りどころか、むしろいつもよりもよく働くし、どんなに相手のことが好きでも、思考力を持ってして正しいことを宣言できるほどの行動力がある。

 相手がこれらを混同しているとき、俺は冷徹な結論を提出していく。相手のプライドや何かの想いへの感情が傷つけられるせいで、論理性を間違った方向に駆使して、俺をねじ伏せてきたり自暴自棄になったとしても、俺はねじ伏せられないように躍起になったり、無理に止めたりはしない。
 そんなときこそ、感情を切り詰めていき、自分の考え、相手の考え、誰かの考え、すべてを考慮して、物理的にただ単純に正しいことを言うように努める。それこそが我々の目的であるし、敵は常に残酷な物理現象なのだから。

 生意気な俺のことを、既成事実や知識や拙い論理でねじ伏せてやろう、説き伏せてやろう、と考えている時点で、自然現象そのものをきちんと観つめようとしている俺には敵わないんだぜ?
 行動を感情に支配されないように、かといって思考だけにも支配させないように、バランスを取りながら、ってのが普段だけど、、相手がダメな感情に支配されているときに唯一引っ張りだせる方法は、こちらが誰のことも介在させない圧倒的な論理性を発揮することだけだ。

 「(何かが起こる)条件を求めよ」という大学受験数学の標準問題では、その条件の範囲だけを見つめていても、根を探ることはできない。必ず、一般化された状態を考慮するなかでの求めるべき特殊な状態を見つめ、その極限を見極める必要がある。
 それと同様に、どのような条件で、思考と感情と行動が混同してしまう状態になるのかを見極めたかったら、そうでない状態も考慮しながら、その極限を感じ取る必要性がある。

 俺の場合は。。
 っま、誰かだろうが俺自身だろうが、俺のことを掌握しても、なーんにも解明されないんだけどね。
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