たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

強烈な一撃までのひと時

2011-12-14 00:48:36 | Weblog
 (昨日のつづきから)
 とはいえ、実質的に、いつもと違う時は、大切な瞬間だと思う。

 連続的な中で続けていくなら、日常の中のターニングポイントこそ重大だが、もう一度ゼロスタートする時には、即物的なターニングポイントだってやっぱり重要になってくる。そして、そのゼロスタートは、きっとゼロスタートではない。さらに以前よりも大きい一歩となりえるが、、そんなん、普通に、リスクが高すぎるだろっ!笑

 この、やり直しが何度も効く、ってことは、本当はありえないし、総体的に見た時には絶対もったいないけど、俺個人が求めているのは、そっちなのかもしれない。
 逃してはいけない、その瞬間、自分の思考も感情も、制御できなくなる。まさに、ガチで、身体が勝手に動いて、その場所に向かっていることがあるとき、あとから、逃さないで良かった、って思えて、もう一つ気持ちの中で超えられている。

 ここまで来て、やっと冷静な思考力によって解析できる。すると、案外、大したことないことで、普通に理解できることだったりするのに、自分にとっては強烈な言葉や理屈を突き付けられることになるのだ。

 それらが出来ることは、ただの能力に依ってるだけかもしれないじゃん?、と言われれば、その通りだ。
 だけど、出来ることは能力でも、出来ないからといって、きっと行動してしまう。事実、能力があっても、何も失っていないわけではないし、確実に存在してしまう損失の中で、破ってはいけないことを破らない能力と自分自身を守る能力をできる限り発揮することしか出来ない、というか、ぜんぶ無意識なんだけどね。

 時間、お金、結果、能力などを筆頭にして、即物的なことに、ホンモノは何も無い。
 それら即物的なことを本当の意味で失われなければ、心が満足することはなく、残酷な物理現象である敵に対抗する手立てはないことを、延々と続く教えに沿って、理解し、受け入れていく。

 今はまだ俺にしかわからない、俺を介在するその2人の偶然の重ね合わせを観ながら、この理論が正しいことを心から信じたいと思った。
 あの偶然こそが、それっぽい、かな。
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