たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ターニングポイントを逃さないで

2011-12-13 01:35:04 | Weblog
 ターニングポイントはいつだって日常の中に存在する。受験や発表の場、明らかにいつもと違う瞬間に、ターニングポイントが存在するわけではない。
 日常生活の中の、少しの勇気や慎重さが、いかに大切であるかを分かっている人は、成功する人だと思う。

 毎日を即物的に過ごしていると本当にそうとは思えず、本当の意味でのターニングポイントを逃してしまうことになる。
 恐ろしいのは、そういう人達は、ターニングポイントを自ら逃していることを気がついていない。どんなに、相手が、周囲が、あからさまにわかりやすくそのポイントを指摘し、逃しているぞ!、っと危険を促しても、その重大さが理解できず、習慣や、それよりも堅い系についての信用が溶けず、っま、終わってからでいいか、っとなってしまっている人をみると、非常に怖い。

 そのターニングポイントを逃しては、絶対に元に戻れないこともあるのだということを、十分に理解していたいと思う。注意しなきゃいけないけど、ターニングポイントはタイミングとは違うからね。(だから、時間依存性がなかったとしても、ターニングポイントを逃しては、意味が無いのだ。)

 余裕があるときに、助けられるのは、当たり前。本当に優れているのは、優しいのは、自分自身も大変なときに、どれだけ、誰かのために!、とか、このターニングポイントを!、って思えるか、だと思う。

 ≪やっぱり、最後は、単語ですね、英語は。≫
 『あと熟語と語法ね。うむ、それに気が付いているなら、大丈夫。受験英語はね。』
 ≪えー、それだけじゃ、実用はダメですか?≫
 『実用は、そんなことじゃないって。』
 ≪じゃあ、あと何が必要?≫
 『っていうかね、ガチそういうことじゃないと思う。本当の意味で英語が出来るようになりたいんだったら、まず、Aグループになること(リアルを充実させまくれ)。日本人の中でAグループになれる能力が無いなら、英語でコミュニケーションとるなんて無理。たとえ、文字だけでもね。単語なんて、それに比べれば、どうでもいいレベル。』

 本当のこと、正しいこと、を言ってればイイ、ということは、どんな系についてでも、ありえない、ということを、俺がもっともっと、飲みこまないといけないと、最近、特に思っている。本当のことを言ってしまうことによって、それ以前の気持ちの豊かさが、絶対に戻ってこないことだってあるのだ、っということを、ちゃんと納得しないといけない。

 まぁ、その『絶対』が、物理的に、破られる瞬間がもしあるなら、それこそが、運命(命を運ぶ)なのかもしれないけどね。

 選んでいるのは俺じゃないけど、自分にも確実に足りない部分。
 罪悪感と能力が一緒に残るのと、そのどちらも何も残らないのと、どっちのがツライのかな?
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