たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

好きな人が!優しかった!

2017-03-07 01:38:39 | Weblog
 その昔、「好きな人が!優しかった!」と唄ったアイドルがいた。
 当時、あのアイドルのわりにはCD売上が良くなかったが、それでもあれだけ受け入れられていることを思うと、多くの人が、好きになってから優しさを確認するのだなぁと認識させられる曲であると思う。

 優しかったり、正直だったりすることは、その度合いに応じて、好きになるかどうかのパラメータの一つである気がするのだが、それは論理を後天的に使っているだけであって、気持ちは素早く先に進んでしまうものなのだ。
 だから、自分の気持ちや誰かとの関係性について、何かの観測事実から期待とは別になってしまいそうな論理を構築することは怖さを極める。好きになった気持ちは簡単には止められないのにも拘らず、相手はクズかもしれないし、自分の何かの一要素に惹かれてくれているだけかもしれないのに、自分の論理性によってそれが示されてしまう瞬間はどんな表情をしたらイイかわからないからだ。

 一般に、まだわかっていないことについて、とにかく論理を構築していって何かの帰結が得られるということは、まずない。
 最初に、直観ありきでゴールが設定され、そこに理由をつけていく行為こそが、論理の正しい使い方なのである。

 これに加え、人間生活の中では、気持ちがゴールの設定をし始める。相手がどんなに自分の即物的な何かしか求めていない最低であっても、他人を蹴落としてでも平気な顔をしていられるクズだとしても、もうこの人しか私には見えない!という、何にも介在させていない純粋な気持ち(この場合の"純粋"は良い意味では使っていないことに注意)は、だいたいの場合、間違いを起こす。
 重要なのは、瞬時に行われる判断のなかで、直観と気持ちを同時に用いることなのだ。論理だけでくみ上げてもホンモノは得られないし、気持ちに従いすぎても不幸になる。だとしたら、純粋な気持ちに加えて、同じように瞬時に判定するのに向いている直観でチェックしてみることで、自分の気持ちの方向性に確認を加えることができる。

 つまり、「気持ち」をベースとしながらも「直観」をチェックとして使うことで対象が"ゴール"に値するかの判定の時間差を起こさないようにして、その上でゆっくりと、"理由付け"を「論理」で行い、さらに「行動」して関係性を深めるのがベストなのである。
 瞬時に判断する"ゴール"と、着実にゆっくりとくみ上げていく"理由付け"。これはモノ作りをするときも同じような役割として用いるのがベストだと俺は思っている。

 これらがすべて整った最終段階の実験結果として、「好きな人が!優しかった!」が得られれば、それは後世に語り継がれるべきストーリーとなるだろう。
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