たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ネオンサイン

2010-07-17 01:27:43 | Weblog
 すごいちっちゃい頃、ネオンサインを見るのが好きだった。
 周期的に流れる光り輝くキレイな絵を、バスの窓から食い入るように見つめていた。これは、夜にだけだっただろうか?、昼間もあったっけ?。子どもの頃は、ワイパーが雨の日オンリーであることすら、雨の日になってみて、どっちだっけ?って、わからなかったりするもんだ。
 今でも、ああいった、周期的なモノを見るのは好きだし、ひとつひとつのライトは意味を成さないけど、集団になると意味を持ち始める、ネオンサインを見るのも大好き。

 周期的なモノは、どこにでも、存在する。
 毎年、一緒にいるメンツが変わりゆくなかで、不安定な平衡状態みたいな、入れ替え作業を見ていく周期性も嫌いじゃない。新生になる瞬間、そりゃ怖いけど、また、来年には、同じような感じになっているはず。それでも、毎年、ちょこっとずつ、変わっていく。そんな細かい変化も、楽しいんだと思う。
 この周期性による変動が、当たり前のモノになってき始めたとき、きちんと注意しなきゃいけない点がある。

 ≪うーん、だから、最近の学生はね、、まぁ、最近の学生のイイところもあるんですけど、、≫
 『先生、ちょっと、それもイイですか?!僕は、まだ、こんな若いですけど、それでも、僕でも、下の世代に対して、どうしようもねーな、っとか、下がってきちゃってるかも、っとか思っちゃう事、あるっちゃあるんですよ。でもね、そこで、最近の学生はー、って言って、思考を停止させないであげて欲しいんです。その言葉で止まらないで欲しいんですよ。』
 ≪別に、思考を停止させてるわけじゃないんですけどね。≫
 『させてますよ、だって、先生、昔話が多いじゃないですかっ。それにね、教育者、いえ、先生と呼ばれる全ての人は、ダメだなって思っちゃう生徒に対して、その大部分は自分の力不足に依るものだ、って心から思えるようじゃないとダメですよ。』

 とにかく、思考を、試行を、停止させない!それが、すべて。

 言葉による決めつけは、本当になってしまう。
 真面目だね、っと言い続ければ、真面目になっていくし、だから、どーせ、こういうことも知らないつまらない人なんでしょ?っというような言動をとられれば、そういう部分が事実的に強まるようになる。逆に、チャラいね、と言われれば、どーせチャラいですから、って感じの行動になっていく。

 だから、定式的な言葉でまとめてはいけない。それで思考を停止させては、絶対にいけないのだ。自然科学を扱うのに限らず、すべての事に対して。
 ねぇ、だからさぁ、決めつけないで。

 いつの時代だって、カワラナイ。根本的なところは、大人も同世代も中高生も子どもも、全然、カワラナイという風に、俺は思う。その表現の仕方は、それぞれの世代でカラーがあるけど、もともと持っているモノは、ほとんどカワラナイ。

 今の子ども達は、ネオンサインなんかじゃ、もの足りず、3D映像で、そういうモノを、食い入るように見つめているのかもしれないし、ネオンサインなんて無い時代の子ども達は、夜空の星を、食い入るように見つめてきたのかもしれない。
 表現の仕方は違えど、根本的に持っている部分で大事なところは、各世代で、ほとんど、みんな、同じなんだと思う。

 そんな部分を、大事にするか、大事にしないか、それは、人に依るのかもしれませんけどね。

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