たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

努力の美化

2015-08-30 04:19:40 | Weblog
 何かを否定したときに、「でもそこで頑張っている人達もいるんだから!」という現実をきちんと観ないことを肯定化する誤魔化し方をされると、心の底から馬鹿にして笑ってしまう俺の性格の悪い部分がつい出てしまう。なぜなら、無駄な努力というものは、この世にいくらでも存在するからだ。

 例えば、爪楊枝を積み上げていって机の上に10本以上積み上げられるように、と10年近くコツコツと努力を重ねた人が、俺に適した職がない!、と騒いでいたら、あなたはどう思うだろうか?おそらく、「いや、それは努力するポイントが間違ってるだろ!」と思いながら、心の底から馬鹿にするのではないだろうか?
 それと同様のことを、受験で頑張る、とか、就活で頑張る、とか、そういったことに妄信的に取り組んでいる人たちに、どうしても俺は思ってしまう。

 だいたい、「努力」がものすごく良い取り組みだ、ってことに、支配されすぎてませんか?

 何かの夢や目標に対して立ちはだかる物凄くデカい壁があったときに、それを乗り越えられるか、それとも諦めるかで、夢に対して本気かどうかの査定ができる、ということは、非常によく言われる。
 しかし俺はむしろ逆のことを考えるべきだと思う。自分がやりたいこととか夢とか目標を持ったことに対して、あまりにもラクすぎるな、あまりにも何も努力しなくてもできちゃうな、って思った時でも、そのことをラッキーだと捉えて、引き返さないかどうかで、夢に対して本気かどうか査定できる気がするのだ。

 だから、大学受験で超努力して東大に入るヤツよりも、今の時代、理系はこれだけ誰でも大学院で東大に入れる時代なのだから、大学院で東大行きゃいいや、と見据えて、受験勉強を途中でやめて、高校生活を充実させるヤツのほうが、俺は賢いと思ってしまうのよね。東大の学部教育って、実際全然よくないし。
 いや、かといって、努力しなくても、全然よゆーで入れたから、別にコスパー悪くないし、って考えのヤツは、それはそれでいいと思うのだけど、、とにかく、(当人にとっても)くだらないことに対して必死で努力をして、その努力をレゾンデートルにしてはいけないと思うだけなのよ。

 だから、金を使う時間もなく、ただ世間体とヒエラルキーのためだけに妄信的に齷齪と働き、そのストレスで俺とかに、努力していることそのものを大義名分に、「お前と違って忙しいんだから!」って八つ当たりされたりすると、こちとら「そんなに辛くて、やりたくない状態なら、世間体なんか気にせずに、辞めればいいじゃん」と思ってしまうわけです。そんなんじゃ人生損してる。

 あまり先を見据えずに、とにかく今やりたいことを、ただやってしまう、というような楽しみ方こそが、意外とストレスを溜めずに生きていけるのかもしれない。

 だけど、俺だって、なかなか、そんなことを面と向かって言えません。できればそういう損な努力を妄信的にしている人が、それに気が付いて、自然と改心することを望んでいますが、簡単にそうはいかないでしょう。
 それだけ、この国では、相手を甘やかすために正しい真実を捻じ曲げることは一切罪に問われず、相手にとって厳しいかもしれないが事実だからという理由で正しい真実を突きつける行為は罪深いことなのです。真実を見せることに対して、相手のことを考えていない!と短絡的に言ってりゃいいのだから、まったく、みんな、ラクだなって思います。

 最近、生命とは、一言で言ってしまえば、マクロからの要請によって各々で何らかの新しい価値観を自ら創発でき、それらがある程度の多様性を持つような自己保存的な系、なんじゃないかと思っていますが、この定義で正しいのだとすれば(もちろん、言葉として改良の余地が多分にありすぎるけれど、昔から俺が生命のなんたるかをとらえているイメージそのものはいっさい変わっていない)、マクロからの要請によって与えられた価値観を単に受け入れて物理的に生活していく一個人は、もはや生きていない。そこにストレスを感じ、とにかく怒りを覚えているならば、生きてはいるが。

 というか、そういう部分で言うと、俺こそがあまり生きていないのかもしれない、と思う。
 おそらく、俺を指さして自由でいいよなと羨ましがる人たちが、自然と持っている自由さを、俺はいっさい持っていないから。

 心でホンモノを求めながらも、物理的な時間の制約でそれが叶わないことだって、この世にはもちろん存在する。そうなると、この努力は「爪楊枝積み」くらい意味が無いことなのかもしれない。
 でも、たとえ、貴女が間に合わずに、俺にとってのタイムリミットが訪れようとも、心ではホンモノだけをまっすぐ見つめていられるようになりたい。

 残念ながらそれはラクなことではなくて、ラクでラッキー!とはならないのだけど、それでも俺は、いま、短絡的にも長期的にも、そうしていたいと思っているし、そう考えている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿