たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

智慧の回廊

2014-08-30 02:28:09 | Weblog
 深淵な闇から逃れるために安易に開けた扉の先にはラビュリントスが広がっていた。
 ダイダロス曰く、その深淵さからいかなるカタチであれ、とにかく抜け出し、このラビュリントスを解くことを最終目標にした我々に命ぜられた業務さえしていれば良い、と私はそれに従ってきた。

 ラビュリントスの中で、私はかなり自由に行動してきたつもりだ。もはや誰にも従わず、自らの意思でこの智慧の回廊の地図を精緻なものにし、さらには回廊そのものを掌握することに尽力を注いできたのだ。

 しかし、このラビュリントスを右手法で原理的に解いてきたはずなのに、行き止まりであることが確定してしまった。何のために長い時間を使ってきたのか。扉を開けた瞬間に行き止まりが確定していたならば、これだけの時間を尽くさなくても済んだものを。
 私は一時、ダイダロスを恨んだ。なんと、行き止まりの最終地点に、最大にして最強の敵が待ち受けていたのだ。しかもそれは、かつて、このラビュリントスの扉の目前で私に立ちはだかった、深淵な闇そのものと、寸分変わらぬ姿であったのだ。
 これでは何も意味が無いではないか。

 ダイダロスは私に何を求めているのか、何も分からなくなってしまった。
 私の左手には、帰るために必須である、アリアドネの赤い糸が握られている。これさえ辿っていけば、扉までは安全に帰れるし、何よりもアリアドネと一緒になれる。そこには同じく深淵な闇が待ち受けているであろうが。

 なるほど、この智慧の回廊を私に実際に掌握させようとすることで、この怪物を倒す指針を私に託したというわけか。確かに今の実力なら、私はこの怪物を倒すことができる。
 ならば、ここで一太刀、さらに扉まで戻って一太刀、闇を振り切ってしまえば良い。

 ラビュリントスのゴールはスタート地点である、という非常識的な常識さが、今になって本当の意味でやっとわかった。
 あとは、アリアドネの赤い糸を辿っていけば良く、これで逃げ回る生活から脱することができるのかもしれない。

 その後も、結局はお互いに食われてしまう人生が待ち受けているかもしれないが、今の状況よりはマシだろう。

 そう、いかなる研究分野を選ぼうがそこに待ち受けているのは、同じ怪物であり、その怪物に食われる運命ではあるのだが、どのようにその回廊を楽しめるか、そしてコスパー良くたくさんの迷宮を解けるか、が、研究そのものとしての楽しみどころなのだと、俺は思う。
 もちろん、そこに信頼関係があれば、もっともっと、かなり良い。
コメント
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