たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

しあわせの風景

2014-08-09 02:38:12 | Weblog
 どんなに天才的に想える人でも、自分のことを棚に上げて他人を攻撃していることで、レゾンデートルを守っていることが多い。

 自らの論理性の無さを棚に上げて理論研は人の脳が作る幻想を見ているだけと揶揄したり、本当の現実をきちんと見つめるための自らの能力の無さを棚に上げて実験系が過小評価にされるように強要してみたりする。ずっと昔から尊敬している人を目の前にすることが最近多いけど、気持ちを抉って取りだして見れば、そのたんびに、面白い感覚にとらわれる。どんなに尊敬している相手でも、俺のアクティヴフェーズはカワラナイ。ぶち切れる直前まで持っていって、本音をゲロさせる。だって、知りたいのだから。
 そうすると、この人達でさえもこうなのだという安心感も確かにあるのだが、そんなくだらないこと以上に、ゆっくり目をつぶれば、この素晴らしい人達のもう少し先の理想をも想像することができている自分自身に、とても希望を感じることができる。

 もっと単純な、互いが互いに必要とし合える状況を、ごく普通の珍しくもなんともない風景を、瞼に映すことができる。それは、確かにありふれているが、今よりももっともっと尊い。
 ダメだよ、俺なんかに期待してちゃ。期待することはある意味では暴力なのだし、自分が一度でも言った事は責任を持たなくちゃね。

 目をつぶると、混じりっけの無い理想が見えてくる。ただ仲良くしていて、ありきたりに楽しい世界。
 永遠に、なんて大げさな言葉はまだまだ縁が無いけれど、それでも、こんな風な、しあわせな風景を、ずっと想像できていたいなと思う。

 いま事態が好転していると思っているこの感覚は勘違いじゃないよね?っと俺が思っている気持ちを、知ってか知らずか、魅せてくる作り笑いが、限りなくかなしと思って、こちらも作り笑いを負けじと返す。
 どうだ、まだまだ、俺のほーが演技力では上なのだ、っとくだらないことに優越感を感じて、また目を閉じてみる。

 きっと、、目を開けながら夢をみるように、現実にその風景を観れる日は近い、と確信している。

 Every Little Thing しあわせの風景
コメント
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