たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

そっと命を吹き込んで

2014-08-26 01:38:20 | Weblog
 心でカウントをとって、ステージの上では1mmのズレも許されない。
 不器用で下手な俺自身の不用意な動きを押し殺すため、実際に声を出しながらカウントしてみる。煌めく2色の鮮やかなレーザービームのなか、指先まで集中して、そっと命を吹き込んでゆく。

 止まっていたはずの時間にたいして、すべての役者がそろうと、そこから息をし始めるかのように動きだす。それが一過性の躍動であったとしても、一瞬の協同的な動きに、自然と笑みがこぼれるし、それを仲間と分かち合える瞬間が俺は今でも大好きだ。

 『もっと、今、研究潮流にあるような、意味の無いくだらない競争を起こさないように、システム化できるはずです』
 「それは、まだまだ、時間がかかるんじゃないかと、思うんだけどね。だって、おめーの周りには、ただ単純に、自分の保身や安全だけしか考えないヤツばかりおるやろ。しかも、それが、必ずしも年寄り連中ばかりじゃないってことも、お前はわかっとるはずや。まだ20代や30代でですよ?、お前の周りにいるヤツなんて。それなのに、半分以上がテメーのことしか考えてへんやないか。そんな腐ってるこの世界に、そこまでの希望はあるんかな?そして、それがお前が40や50くらいになったときに、今の君と同じことを言ってられるか、っちゅー話や」
 『それはわかりません。確かに、そういう意味では、年下すら俺より年寄りにみえることだってありますから』
 「せやろ。まぁ、俺と俺の周りのコミュニティーは全然ちゃうけどな」
 『なぜ、それを、そんなにも保っていられるんですか?その秘訣を俺は知りたいんです』
 「それはなぁ、…」

 気持ちが入っていなけりゃ、どんなデモンストレーションもまったく意味を持たない。魅せる技術があるかどうか、それは、気持ちをきちんと付加する気があるかどうか、ってことだ。気持ちさえ入れ込んでいけば、最終的に成り立たなくなったとしても、未来には絶対に意味のある行為になる。

 こういう行為を繰り返したときにのみ、自分の絶対的な能力はやっと向上する。リスクを恐れずに、気持ちに正直になったときにのみ、自分の能力が上がるのだ。そしてそれをまた違う誰かのために使っていったら良いと思うのだ。
 マイクロメートルの世界からメートルの世界までのステージで、自分の能力は、どんな空間スケールに対してでも、いくらでも応用できるのだから。

 あのとき、、タイムリミットがやってくる、あの一瞬、俺は、『時間よ、止まってくれ!』と切に心で願った。
 でも、「お互いに、、あなただけでも、前に進まなくちゃいけない」と見つめる瞳と1mmもブレない優しい右手は、俺に確かにそう伝えていた。自分自身の保身と安全を一番に考えるのではなく、リスクを恐れずに誰かを助けようとする、その掌から手を離し、命をそっと吹き込んでもらって、俺は今ここにいることを、決して忘れてはいけない。

 優しい、という絶対的な事実を、いつも忘れてはいけないのだ。
コメント
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