たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

他人任せなディフェンス

2013-07-23 02:01:02 | Weblog
 自然科学の研究のなかで、わからないことをわからない!ってきちんと宣言して、そこから自分で学習して、お互いに理解しようとすることは、そんなに難しいことではないはずだ。
 どーも、みんな(特に少し上の世代)、その意味がちゃんと、わかっていないらしい。

 俺が『わかったフリをしないで、わからないことはわからない、ってきちんと言いましょう』と言うと、ふてぶてしい態度で「それは、よくわからないんだけど?」って偉そうに言ってきたりする。
 っで、『だから、こーで、あーで』っと説明していると、全然関係ない知識を披露して、偉ぶってこられたり。。

 あのさぁ、俺が言っているのは、根本的にそのスタイルが間違っているって言ってるんだけど?っと思って、とても残念な気持ちになる。他人任せなディフェンスが正当化されていく瞬間が大嫌い。
 そんなことをずっと、色んな上の人からされると、夢も希望も感じないなって思う。自分のなかのそれらが失われることはないけど、上の世代に期待が一切持てなくなっていく。俺を無理矢理ねじ伏せようとしても、俺はコントローラブルにはならないし、離れていくだけだって、早く気がついて!

 仕事なんだから我慢しよう。っていうのは、俺は全然そうは思わないけど、その言葉を信用するなら(俺の上、ってのは、たいてい給与をなんらかの形で貰っている人しかいない)、『仕事なんだから我慢して、プライドを捨てて、「あなたの言ってること、自分では知識と理解と論理性が足りなさ過ぎて、わかりません。だから、いま、理解します、理解しておきますので、ちょっと待って下さい。もしくは、何か違う言葉で言い直して貰えますか?」って言えや。』なんて想ったり。
 俺は、自分の生徒に、これくらい本音は言うんだけどなぁ。。

 誤魔化し行為ってのは、上に行けば行くほど少なくなるって思ってた。簡単に言えば、偏差値が上がれば上がるほど、誤魔化すヤツは少なくなる、って思っていた。だけど、実際は、ちょっと、そうではないみたい。
 ねぇねぇ、何らかの自然現象を理解したいって気持ちが無いなら、お勉強なんてくだらないんだから、やめちゃえば良いじゃん。自然現象を理解したい気持ちがあるからこそ、仕方なく研究したり、それよりもっとくだらない行為である勉強をしたりするわけで、それが無いのに、ただのプライドや見栄や自分の存在を肯定化するためだけに研究の世界にい続けるのは、俺としてはマジで迷惑なんだけど?

 でも、そんなんでも、何かの優しさを実質的にも精神的にも提供してくれる人には、ずっと一緒にいて欲しい、と思う。
 それくらい、他人とのコミュニケーションを取りながら、何かを進捗させようとするスタイルの人は、(研究の世界に限らず、世の中的に)少ないから。

 それすら、自分の厳しい論理性を用いると、手を打ってることになるのかもしれなくて、何かの希望が消えていくようで、少し不安。

 いま、とにかく怖い。周囲に対して諦めきってしまいそうになる自分や、それを見いだしうる自分の論理性や思考力が。
 怖さを感じて、一切合財捨ててしまいそうになる自分を、いつも、直前のところで守っている。
コメント
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