たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

信じることに疲れて

2013-07-27 23:03:01 | Weblog
 理想をぶつけあえないことに不安を感じたら、その状況を打破するために、少しのリスクは背負う必要性がある。

 みんな、どうしても分野や自分の存在を十分すぎるくらい肯定したいらしくって、絶対的な論理性の前で、権威や分野を主張することによって、ギリギリそれらを守っている。
 そこに対して、何もない俺に、そういう風にぶつけられたら、俺だって人間だから、少し強引な手段にでるしか術が無い。

 自然現象は分野を規定してくれるわけじゃないんだから、そこに論理性をもった意義づけの仕方をしなくちゃいけないのに、有機化学では、この立場では、生物学では、って、そんな意見ばっかり。。
 俺が、いつ『物理ではー』とか言った??一度もそんなことは言った事無いし、今後も言わない。まったく、物理以外の出身者は、一番大切な理学の基礎である、論理が身についてない人が多すぎる!…ってこれはおっけーなの?笑

 自然科学は、人がやるものだ。だから、どれを専門分野とするかによって、どこの分野出身かによって毛色がある。
 ただ、現象を観なくちゃいけないときに、生物学ではこうだから、っとか、そういうことをディフェンスに使っちゃいけない。それで現象の解釈が誤っていたら、それまでなのだから。

 あとね、俺は、単純に、こう言い放っても良いんだぜ?
 『理学の分野のなかで、もっともマスターするのが難しいのは、物理なんだから!』って。これは本当のことだけど、それこそ論理性がないよね。

 step by step。いっきに専門書は読めないし、理解できるわけがない。だって、理系科目は積み重ねだし、その中でも特に、数学と物理は顕著なのだから。
 理系は、今理解できていない、高校理科と高校数学があるなら、今すぐ理解しなくちゃいけない。まだまだ、もちろん俺も、そこから学び取ることが沢山ある。その上で、研究テーマでも、日常生活でも、どんどんアプライしていけば良いじゃん。

 ただ、そんなことすらしてない人たちに、相手の自己肯定のためだけに時間を割いているのが、正直、もったいないっと最近思い始めてきてしまった。
 俺が勝手に信じることに疲れてしまっているせーで、そう思いたくはなかったから。。

 そのくだらない自己肯定をするために、今までどれだけ不利益が生じているか。その我慢のご利益が、ただこっちをバカにしてくるようなことだとしたら、本当にバカみたいじゃん。
 俺が自己肯定するために、一番残酷な手段を使うんだって、、こうすれば対等になるんじゃないかな。

 常に俺がトリガーになっているけど、実際のところ、そんな必要はハナっから無いはず。
 精神的に勝っていて、表面的に負けている状況を、逆にすることで見えてくるものもあるのだと思う。

 それは、そのさらに先の、より良きを、俺一人で、冷酷に見つめている結果なのだ、と、人と人との関係性に使っていた信用を、泣きながら、自分の論理性に向けていく。

 まったく、、ホントに、ただ論理的に正しいことだけを言うのって、ラクで、虚しくて、つまんねーよな。
コメント
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