たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

俺がいる効果

2013-07-22 01:54:51 | Weblog
 自分がいるだけで集団が一気により良く変わるくらいの個人の能力が欲しい。
 40人のなかでも、100人のなかでも、300人が相手であっても、たった一人、俺さえいれば空気が変わる、変えていくことができる、というほどの、思考力とグループ性を持っていきたい。日本人のなかに限らずね。

 集団のなかで自分がいる効果を感じることは中々難しい。観測することによる影響が絡んできちゃうし、誰かから聞いても、直接的に効果を知ることはできない。
 だとしたら、少々思いきったことでも、どんどん実行していき、自分が感じるままに行動していくことで、その時間変化を観てみるしかない。そうすれば、確実に、自分によって軌跡が変わったかどうかがわかるだろう。

 それでも中々実感が得られなくて、、そんなにも自分がいることの意味を考えたいのは、他に原因があったりして??
 自分と誰かの違うところを数えてみたり、自分から連絡した回数を数えてみたり、相手からのテーマをふってきた回数を数えてみたり、そんなことをしてしまうのは、自分に自信が無いからではなく、関係性に自信がないからだ。

 即物的な能力やステータスで評価されたくない一方で、それらで見向きもされなくなることを恐れている。
 違う!自分の気持ちのなかで、大切な人には気持ちそのもので評価されたくて、嫌いなヤツやどうでもイイ他人には能力で評価されていたいのだ。そして、気持ちで評価されたいくらいの大切な人から、気持ちは達しているのにも拘らず、能力やステータスで相手にされなくなってしまうことを、最も恐れている。

 我儘だけど、本当はみんな、そうだよね?

 だから、せめて、どうでもいい大勢のなかで、自分がいることの意味や価値を、感じていることによって、最低ラインは担保されていることを確かめたくなる。
 ほら、集団は、俺を求めているでしょ?って。

 俺が喋り出せば、空気をガラッと変えられる、(本当の本当は)どうでもいい集団も多くなってきたと思う。
 それが自分の予想に反して簡単にできてしまったり、きちんと変えて行けたりすると、今度は、集団への信頼がどんどん下がって、この程度で影響受けるなよ、ってまた我儘。

 やっぱり、感情が行き渡ってない、気持ちが通じ合っていない集団での、ものづくりなんて興味無い。
 いかなる特異的な感情をも包括して、気持ちを気持ちで認めながら、最低ラインの即物的なモノを持っていれば、何でもできるはず。

 もう、そういうことにしか、俺は価値を感じられないのです。
 それがもっともっと実現していけたら、自分がいる効果、なんて計算しなくて済むのにね。
コメント
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