たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

あなたの誇るべき優しさ

2013-06-02 05:01:05 | Weblog
 理系の研究では、「考えて実験する」というスタイルが一番偉いと思っている。だから、理論研から実験研に移ったし、より意義のある研究内容という点で、この分野(生命)を選んでいる。
 これは、考えながら行動する、っということをしまくれば、それが日々のスタイルとしてもベストだということだ。考えるというのは、この場合、気持ちと向き合うってことも含まれるから、よーするに、よく想い、よく考え、よく行動せよ、ってことね。

 考えすぎれば実験は減っていく。ある実験系について、振れるだけの変数を振ってみて、樹形図みたいなのを描いてみて、何日かかるか計算してみて、、みたいなことやってったら、いつまで経ったって実験が始まらないから結果は出ない。
 逆に、考え無さ過ぎれば、無意味な実験を繰り返すことになる。ストーリーも考えず、この間こんな感じのをやったから、今日はー、みたいな感じで実験をしていれば、いつまで経っても何が必要なデータなのかもわからない。

 前者のタイプは、中途半端な賢さを持ってしてプライドばっかり高くなるし、後者のタイプは、データ数さえあればイイでしょ?、って偉そうになる。

 前の実験の履歴に依存せず、でも、自分の行動の順序が因果関係の糸で繋がっているような状態を常に築きながら、実験計画を立てて、必要な実験を行えば、自然とストーリーは観えるものだと思う。
 理論研は、綿密な文献調査と絶対的な計算力(プログラミングも含む)のなかから、必要なものを武器としてストーリーを組み立てるだけになる。それには、かなりの賢さの絶対量が必要になるし、実験と違って、自分が思いつかなかったら終了、っていう点では、非常に厳しいのだ。これは、実は当然で、自然科学は実証の学問なので、実証させなくてもイイくらい必然的にでてくる論理を頭だけで構築する、ってんだから、そりゃ、実験研よりも、数倍は賢くないとやってられないのだ。

 日々の生活の中で、考えただけでオッケーっというシーンはほとんどないだろう。
 賢さを頭の中だけにとどめて、思考力を自分の頭の中だけでひけらかすのなら、思考停止と同値だ。それは、技術的な能力でも同じことが言えて、それを何かのより良きに繋げないなら価値が無い。

 手っ取り早く言ってしまえば、賢さや技術的な能力は、他者の(未来or現在の)気持ちをより良い状態へすることに起因させなければならない。
 実験量や賢さに、誇りやプライドや自信を、一番に持っちゃならないのだ。

 一番に持つべき自信は、優しくできることそのもの。
 そして、達成されなかったときに、自分の能力へと落とし込まず、気持ち(情熱)が足りなかったっと想えたなら、次に踏み出すべき一歩が観えてくるのだと思う。
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