たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

The Limit of Multi-BasicThings Expansion Methods

2013-06-07 00:40:47 | Weblog
 複雑なことを理解しようと思った時に、それらが、よく知っている基本の足し合わせによって成り立つはずだ、っと考えると、おおざっぱに理解できることが多い。

 この発想の最も基本的な具体例が、マクローリン展開だ。
 マクローリン展開は、サインでもコサインでも、指数関数でも対数関数でも、とにかく任意の(正しくは、C1級の)複雑な関数を、無限回足し合わせた多項式によって表せてしまう、っという凄まじい武器だと思う。

 多項式のように、「完全系」っと呼ばれている、それらの足し合わせ(線形結合)だけで、ぜーんぶの関数を書けてしまうっという関数の集合はいくつかある。
 サインやコサインも完全系で、サインやコサインの場合はフーリエ級数展開と言う。

 完全系のなかでも難しい部類だけど、特殊関数であるルジャンドル多項式も、それが成り立つよね。
 このルジャンドル多項式を上手く使えば、任意の電荷分布を、単極子(モノポール)、双極子(ダイポール)、四重極子(クアドラポール)、八重極子(オクタポール)、…、の足し合わせで表せる、電磁気学のすごいテクニックである「多重極展開」と呼ばれる手法を取ることだってできる。
 難しい、複雑なものを、良く知っているモノの足し合わせとして理解し、落とし込む。とっても大事な発想です。

 ただ、この「展開(Expansion)」によるストラテジーにも限界はあります。やっぱり関数の裾のほーではマクローリン展開の近似は悪くなるし、電荷分布の場合は近場で観れば観るほど悪い近似になる。

 人と人との複雑な関係性とか、気持ちの繊細さを問うような問題に対して、あまりに、ベースの足し合わせによって解決しようとすると、とてもじゃないけど悪い近似すぎて、なにもわからないことと同値だし、仮にベースの線形結合として展開できたとしても、おおざっぱにしか理解できない。

 ありのままをありのままで受け止めながら、複雑なことを複雑なまま納得し、感じとって、行動していくためには、気持ちをフルで使っていかなきゃいけないんだと思う。

 強がってる俺もホントの俺自身だし、わかってるフリしちゃう相手もその人自身。そのままで尊い。
 無理に何かの方程式に落とし込んで、近似して、納得しようとするよりも、対応策を練るよりも、ありのままを感じた通りに実行していきさえすれば、自然と楽しくなるはずだよね?

 確かに、ぐっと、じっくり考えなきゃいけない時間帯もある。
 でも、今、俺に足りないのは、理論への近似ではなく、絶対的な実験結果を、どのように新しく、そのままで感じとるか?、っというほうなのだと思う。
コメント
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