すべてのことについて向上を諦めない。
それが一番の理想ではあるけど、俺も、いくつものことを諦めてきているし、むしろ、諦めるべきことを早めに見抜いて、それ以外のことについては全力で行う、って考えたほうがイイと思う。
例えば、俺は、スポーツに関しては完全に諦めている。できないことについて(悔しいという気持ちは生まれるけど)、ここは勝負すべきところじゃないから、っという視点で逃げれてしまう。
スポーツに関しては、とにかく楽しめばそれでイイと思っているし、具体的に誰かに勝てなきゃいけないとか、こういうプレーを心掛けている、というようなこだわりが無い。
自然科学の範囲だって、もちろん、諦めていることはある。その代表的なモノは、自分の計算(数学力)に絶対的な自信を持つことができない、ってことだ。
俺は、計算を追うことができるし、途中省かれている物理の式を(かなり省かれていても)、自らの計算と思考力で埋めるだけの思考力はある。結果(正解)がある程度わかっているものについてはそうだけど、どうなるかもわからない計算について、意味のあるもの、自然現象に宿っているものを厳密に、しかもコスパー良く、引っ張ってくるほどの数学力、もっと言えば思考力は、(生涯)俺には無い。
もし、ここについて絶対的な自信があれば、俺は(原子核や素粒子の)理論研にいたかもしれない。誰かと系を共有する道具として実験は大好きだけど、俺一人の感情として好きか?と言われたら、俺は間違いなく実験は好きじゃない。実験なんて、所詮、大道芸でしかないわけだから(純粋に図の美しさを求めるなら、俺は、音楽や映画など、他のエンターテイメントのがイイ。)、そんなものよりも、世界の構造はどうなっているのか?を考え続けるほーが楽しいに決まってる。
注意しておくが、たいていの理論研の院生やPDや助教は、俺とまったく同様に、これほどの思考力は無いと思っている(笑)。PIは(大抵の場合では)別だけど。。理論研には、かなりフリーな状態で、自分の計算を完全に信用できるくらいの数学力を基盤とする思考力を俺は求めているし、そうじゃないなら、俺らのように手を動かしながら考えてよ、って思っています。
だからといって、俺は実験操作が得意な訳でもなくって、これは諦めては無いけど、新しい実験系を自分の手で1から動かすことはいまだに超苦手だから、このまま長く続けば諦めちゃうかも。
それでも、実験研究のなかで俺ができることは沢山ある。逆に自信がある部分としては、俺ほど、理詰めから実験系へ、実験系から理論へ、と落とし込める人はいないと思っているし、それらすべてを飲み込みながら、新しいモノを想像(創造ではなく想像)することができることについては、自分の一番の得意な部分だ。
これだけにとどまらず、俺は色々なことを諦めているけど、それは、誰かによって補うことができる。
自分は得意な部分を担当させてもらえれば良いし、苦手なことがあっても、信頼関係がきちんとある周囲の人と協力しあえばイイだけの話だ。
そう、何か苦手でも、周りにその苦手なことが得意な人がいる、ってだけで、自信を持ってイイと思う。だから、何かの分野を完全に諦めてもイイ。
自分が系を掌握しようと心から想って進捗させられるならね。
それが一番の理想ではあるけど、俺も、いくつものことを諦めてきているし、むしろ、諦めるべきことを早めに見抜いて、それ以外のことについては全力で行う、って考えたほうがイイと思う。
例えば、俺は、スポーツに関しては完全に諦めている。できないことについて(悔しいという気持ちは生まれるけど)、ここは勝負すべきところじゃないから、っという視点で逃げれてしまう。
スポーツに関しては、とにかく楽しめばそれでイイと思っているし、具体的に誰かに勝てなきゃいけないとか、こういうプレーを心掛けている、というようなこだわりが無い。
自然科学の範囲だって、もちろん、諦めていることはある。その代表的なモノは、自分の計算(数学力)に絶対的な自信を持つことができない、ってことだ。
俺は、計算を追うことができるし、途中省かれている物理の式を(かなり省かれていても)、自らの計算と思考力で埋めるだけの思考力はある。結果(正解)がある程度わかっているものについてはそうだけど、どうなるかもわからない計算について、意味のあるもの、自然現象に宿っているものを厳密に、しかもコスパー良く、引っ張ってくるほどの数学力、もっと言えば思考力は、(生涯)俺には無い。
もし、ここについて絶対的な自信があれば、俺は(原子核や素粒子の)理論研にいたかもしれない。誰かと系を共有する道具として実験は大好きだけど、俺一人の感情として好きか?と言われたら、俺は間違いなく実験は好きじゃない。実験なんて、所詮、大道芸でしかないわけだから(純粋に図の美しさを求めるなら、俺は、音楽や映画など、他のエンターテイメントのがイイ。)、そんなものよりも、世界の構造はどうなっているのか?を考え続けるほーが楽しいに決まってる。
注意しておくが、たいていの理論研の院生やPDや助教は、俺とまったく同様に、これほどの思考力は無いと思っている(笑)。PIは(大抵の場合では)別だけど。。理論研には、かなりフリーな状態で、自分の計算を完全に信用できるくらいの数学力を基盤とする思考力を俺は求めているし、そうじゃないなら、俺らのように手を動かしながら考えてよ、って思っています。
だからといって、俺は実験操作が得意な訳でもなくって、これは諦めては無いけど、新しい実験系を自分の手で1から動かすことはいまだに超苦手だから、このまま長く続けば諦めちゃうかも。
それでも、実験研究のなかで俺ができることは沢山ある。逆に自信がある部分としては、俺ほど、理詰めから実験系へ、実験系から理論へ、と落とし込める人はいないと思っているし、それらすべてを飲み込みながら、新しいモノを想像(創造ではなく想像)することができることについては、自分の一番の得意な部分だ。
これだけにとどまらず、俺は色々なことを諦めているけど、それは、誰かによって補うことができる。
自分は得意な部分を担当させてもらえれば良いし、苦手なことがあっても、信頼関係がきちんとある周囲の人と協力しあえばイイだけの話だ。
そう、何か苦手でも、周りにその苦手なことが得意な人がいる、ってだけで、自信を持ってイイと思う。だから、何かの分野を完全に諦めてもイイ。
自分が系を掌握しようと心から想って進捗させられるならね。