系をより良くしようとする原動力は、優しい気持ちに他ならない。
この「優しさ」という気持ちの絶対量に一番の自信を持っているべきだと思っているが、これだけでは実が伴わない。
だから、きちんとした能力をつけようとしなくちゃいけなくて、そのためには厳しい環境に身を置かなくちゃ。っと、そこまではみんな言ってる。
ただ、だからといって、優しさを排除するだけしてみて、無駄に権威と長年の(偏見に近いただの)知識で、へーこらさせるような系が多いし、厳しい世界なのだから、とそれを肯定化するようなバカなディフェンスが目立つけど、他人を蹴落としたり、それを黙認したり、今の環境を何も変えようともしないで、より強い世界に行こう、とか、よりあたりが強い世界にしようとしたって、本末転倒になるだけに決まってるじゃないか。なぜなら、今、その場所で優しくできないのなら、どの環境に行ったって誰にも優しくできないし、系をより良くするなんて到底不可能。
自分のディフェンスばかり考えていても、それはただの物理現象で、その系における、あなたの本当の意味での存在価値は薄れてしまうんだぜ?
自分が、その系を、そのチームを、より良くして、強くして、そして、自分も強くなって、次の場所へ。
こういう行為を繰り返していくことが大事だし、そうじゃないなら強くなる意味も優しくなる意味もない。つまり、時間に依存せずに優しくなくちゃいけないのだ。
そうすれば、自分の能力に対しての自信がつく。
自分の能力に対しての自信とは、学業や研究の世界として具体的に言うなら、「考えた時間の長さ」についての自信だ。具体的な思考力や賢さ、論理性の高さなどはnonobservableだけど、その行為をし続けた時間に対してならobservable。
成功したり、賢くてスゴイ人を意識した時に、「あの人は初めから天才なんだ」とか「分野が違うから」とか「環境が違いすぎるから」とかをイイワケにしちゃ、ダメだよ。自分の考えた時間が少なすぎる、っと落とし込まなきゃね。
考えた時間に自信を持つようにして、常に、ずっと考えているようにすれば、思考力はいくらでもつけることができるし、へーこらし続け、長年い続けただけで得られている自らの「知識の多さ」や「持っている言葉の多さ」なんて、くだらない物理量に自信を持たなくて済む。
それは、期待を失わないこと、希望を持ち続けることに繋がる。
諦めている人が俺に、「いつまで子どもなの?」とか「でも、結局、我慢できないじゃん。」とか言うたびに想うけど、俺が子どもなんじゃなくて、俺が、論理的にいって、ごく普通のことを言ってるだけ、って想う。都合よく、大人、って言葉を使ってんじゃねーよ、ってね。
そんな風に言ってくる人の、その諦めている瞳の奥に諦めていない気持ちを感じると、どうにかして、系をより良く、、いや、(俺の定義でいうとこの)普通の状態に、絶対に変えたいんだ!、っと俺はまた頑張れる。
ありえないくらい純粋な想いこそが、相手の本来の純粋な感情を引き出させ、その特異な誰かの瞳に輝きを取り戻すことに成功することができたなら、それにmodulateされるように、系は確実により良くなっていくのだと思う。
この「優しさ」という気持ちの絶対量に一番の自信を持っているべきだと思っているが、これだけでは実が伴わない。
だから、きちんとした能力をつけようとしなくちゃいけなくて、そのためには厳しい環境に身を置かなくちゃ。っと、そこまではみんな言ってる。
ただ、だからといって、優しさを排除するだけしてみて、無駄に権威と長年の(偏見に近いただの)知識で、へーこらさせるような系が多いし、厳しい世界なのだから、とそれを肯定化するようなバカなディフェンスが目立つけど、他人を蹴落としたり、それを黙認したり、今の環境を何も変えようともしないで、より強い世界に行こう、とか、よりあたりが強い世界にしようとしたって、本末転倒になるだけに決まってるじゃないか。なぜなら、今、その場所で優しくできないのなら、どの環境に行ったって誰にも優しくできないし、系をより良くするなんて到底不可能。
自分のディフェンスばかり考えていても、それはただの物理現象で、その系における、あなたの本当の意味での存在価値は薄れてしまうんだぜ?
自分が、その系を、そのチームを、より良くして、強くして、そして、自分も強くなって、次の場所へ。
こういう行為を繰り返していくことが大事だし、そうじゃないなら強くなる意味も優しくなる意味もない。つまり、時間に依存せずに優しくなくちゃいけないのだ。
そうすれば、自分の能力に対しての自信がつく。
自分の能力に対しての自信とは、学業や研究の世界として具体的に言うなら、「考えた時間の長さ」についての自信だ。具体的な思考力や賢さ、論理性の高さなどはnonobservableだけど、その行為をし続けた時間に対してならobservable。
成功したり、賢くてスゴイ人を意識した時に、「あの人は初めから天才なんだ」とか「分野が違うから」とか「環境が違いすぎるから」とかをイイワケにしちゃ、ダメだよ。自分の考えた時間が少なすぎる、っと落とし込まなきゃね。
考えた時間に自信を持つようにして、常に、ずっと考えているようにすれば、思考力はいくらでもつけることができるし、へーこらし続け、長年い続けただけで得られている自らの「知識の多さ」や「持っている言葉の多さ」なんて、くだらない物理量に自信を持たなくて済む。
それは、期待を失わないこと、希望を持ち続けることに繋がる。
諦めている人が俺に、「いつまで子どもなの?」とか「でも、結局、我慢できないじゃん。」とか言うたびに想うけど、俺が子どもなんじゃなくて、俺が、論理的にいって、ごく普通のことを言ってるだけ、って想う。都合よく、大人、って言葉を使ってんじゃねーよ、ってね。
そんな風に言ってくる人の、その諦めている瞳の奥に諦めていない気持ちを感じると、どうにかして、系をより良く、、いや、(俺の定義でいうとこの)普通の状態に、絶対に変えたいんだ!、っと俺はまた頑張れる。
ありえないくらい純粋な想いこそが、相手の本来の純粋な感情を引き出させ、その特異な誰かの瞳に輝きを取り戻すことに成功することができたなら、それにmodulateされるように、系は確実により良くなっていくのだと思う。