たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ひさびさのホームで

2010-07-22 23:38:20 | Weblog
 今日は、ひさびさに、神楽坂に行ってきました。
 こないだ行った時から、そんなに時間が経ってないのに、いろいろなところが変わっているな、っていう印象です。まず、生協の位置がわからなかった(笑)。

 こないだ行った時は、まず最初に、ホームに戻ってきたな、って思いましたが、今日は、最初はお客さん的な感情を持ちました。それだけ新生活にも慣れたということでしょうか。
 だけど、教室の席に座った瞬間、見慣れた顔ぶれを眺めて、やっぱりホームに戻ってきたな、って思ったりもして。そりゃ、あの3年間で、研究室にいる期間よりも、教室とかにいる期間のが、長いからね。

 そんな、ちょっと懐かしい中で、感じたことは、「どんな努力も、絶対に無駄にはならない」ということです。
 何に対して、どうして、そう思ったのか、は、非常に複雑なので、いつも通り顕わには書きませんが、また、今日、改めて、確実にそうだなって、思いました。

 それは、正しくない、どんなにやり方を間違った方法の努力でも、信念を持ってやっている限りは、絶対に無駄にはならないということです。
 たとえ、実質的に役に立たなくても、作った積み木をバラバラに崩されてしまったとしても、その時、力を出し切れなかったとしても、そこで頑張っただけの見返りは、必ず、存在します。

 心さえあれば、想いさえ強ければ、必ずその見返りはあるし、実質的なモノも、あとからくっついてくるんだと思えた、そんな一日でした。
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心とリアルの不一致

2010-07-22 04:15:26 | Weblog
 形式だった過程さえ踏めば、無難にこなせてベスト、って考えている人は多い。
 それはある意味では非常に正しい。礼に始まり礼に終わる、っとか、別に本当はここでは大丈夫だけど一応手袋しておく、っとか、作法として、学ぶ上でも仕事をする上でも、そういうことをきちんとできることは大事だ。

 でも、毎日いつも、平均的な人間の平均的な振る舞いをしていれば良いということではない。何か特別な、critical pointに達したら、それこそ、きちんと自分なりの行動をとる必要がある。
 だって、どんなに創って笑ったとしても、どんなに精密な演技をしたとしても、自分自身は誤魔化せない。確かに、演技を繰り返すことによって演技を本当にしてしまうことは少しは可能だけど、でも、最初の気持ちをまったく忘れることは、そこの感情からの不一致が効いてきてしまって、事実上不可能だと思う。

 真相は、いつだって、どちらかの心の中にある。表面上に形成される、勝ち負けとは関係なしに、例えば、実質的に勝っているように映っても、本人には、こっちは確実に負けていたって、心の中では痛いほどわかっている瞬間だって沢山ある。
 だから、俺は、間違いなく、本質的には勝っている時は、それ以上、実質的に突っ込まない(本質的にはどうか、ってのは、随所に沢山ヒントが転がっている)。相手は痛いほど分かっているはずだから。っま、それを超えて、コテンパンにやっつけちゃうときもあるけど(笑)、今まで、多くは、実質的には勝って、本質的には負けてきたから、、基本的にはこれでイイんだと思う。

 そぉっ、不自然な部分にこそ、本質やホンモノが潜んでいることを、思い出して。
 自然体である限り、まだまだ、仲良くは無いのです。

 …ってなわけで、特に用件が無くても、長話してイイってことで(笑)。
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