たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

楽しめない罪悪感

2010-07-01 01:35:05 | Weblog
 その言葉を言うと、彼は、この2年間の俺の振る舞いのすべてをSelf-Consistentに解けたような表情をした。
 たったそんなことが、すべてに影響を及ぼしているとは、自分でも思わなかったし、きっと、他の誰もわからない。今、慣れた地を離れ、この場所にいることも、どうして、その場所を消していないのかということも、そして。。

 ヒトは、現状だけを認知して、楽しさを感じるわけじゃない。今が最高に辛くても、超ムカつく毎日でも、未来が明るそうなら、楽しそうなら、今、頑張れるし、楽しめる。
 そういう意味で、多くの同世代や大人は、中高生の頃の方が楽しかったという印象を持っていたりするのかもしれない。でも、それこそループで、大人は嘘をついてでも、今が楽しい、って言えるようであって欲しいと思ったりする。したら、総体的に、みんな楽しくなるような気がして。

 俺自身は、それまでよりも、楽しくなくなってしまった事って、ほとんど無い。
 だけど、これからも、そういう風に思えるかどうか、それはまさに今が分岐点に立っていると思う。何をすれば、いや、何をし続ければ、満足できるのかをいつも考えているけど、なかなかその問題の答えはでない。

 これまでで、未来を介在させないで、心から楽しめるモノって、音楽とサイエンス以外、無い。これだけは、みんなとじゃなくても、たったひとりでカリカリやるんでも、楽しい。

 ただ単純に、手っ取り早いモノや手に届きやすいモノを取ることを、信念っぽい言葉や運命的っぽい言葉をくっつけて説明してしまうだけなら、それは『軽い』って感じてしまう。
 自らに限界をくっつけなくても、別に良いじゃん?!相関関係が無いようなモノなら、特にね。

 そんな見地に立ったとき、何が満足できるかは、難しいんだと思う。

 こないだで、問題の原因は、わかった。何が問題かは、わかった。
 この無限ループから抜け出すことができるのは、俺だけ。だから、これからのモチベーションは、「何が問題かがわかったら、問題の95%は解決している」って言葉なのかなっと思う。
コメント
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