たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

演技を超えて

2010-07-03 01:34:16 | Weblog
 チャンスはピンチになり、ピンチはチャンスになる。
 そんなことを、強く思った一日でした。

 その切り返しをできるのは、自分自身に他ならないけど、その瞬間、誰かが変換させてくれたり、いろいろな偶然が作用する。そんなことが力になって、ピンチをチャンスに変えることが出来るんだと思う。力をカタチに変えるのは、俺だけど。
 確実に、ずっと前の自分に戻りかけていた時、それでも客観的に自分を見れている自分が、諦めそうになっているというピンチをどうにか切りぬけろ!、っと叫んでくれる。

 「…とかって言いだすの、もう、バカじゃないの?!って、思うわ。K君は、どう思うっ?」
 『そういう、かなり年上なのに、勝手、みたいなのって、どうすればいいんだろうね。』
 「うーん、まぁ、とりあえず、僕は、もーガキかっ!、って思うけど?」
 『だって、博士号持ってるんでしょ?無理無理。(笑)』
 「そっかーぁ。(笑)」

 っと、冗談を言いながら、半分は、かわいそう、って思っていたりして。だって、そんなんで満足できるの?って感じだし、可能性が低すぎるじゃん?!俺自身が、年下に気を使われるのイヤだし。
 でも、上にボールを投げることは、イイことだと思ってるから。
 それに、俺も、きっと彼も、一生懸命作った積み木を、俺らのが時間が長いからって理由だけで、ぐちゃぐちゃにされたら、ムカついちゃう。俺は、そんなこと、例えば、自分の生徒には、絶対しないけどな。

 ただ、その震えた指先を見つけるたびに、あの時、あの瞬間、あの場所でのことも、きっと向こうも緊張してたんじゃないかなって、思い出したり。して、その解析は、非常に正しいんだと思う。
 自分の言葉がフィードバック阻害してくる。言葉の連続性によって、せっかく、幻想の中に逃げ込んでいたのに、理想から離れて、リアルな現実(二重形容…(笑))を色濃く映し出す。

 『どんなに真面目そうに作ってる子でも、どんなに演技力がある子でも、褒めた瞬間、一瞬だけ、喜んだ顔をするもんですよ。』

 それは、褒めの言葉に限らず、どんな言葉に対してでも、最初の表情は演技できない。
 だから、許してあげるか、って思える感情が、大切なのかも。

 俺が言葉を発した、その瞬間で、すべてはわかる。どんなに絶対そんなんじゃわからないと言われても、わかるに決まっている。
 だって、それがきちんとできなかったら、絶対に切ってはならない最終ラインを切ることになってしまうような状況を、俺は、何度も味わっているから。。
コメント
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