桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

係争中

2015-03-27 | Weblog
この前の集会で「俺を国会に呼べ!俺に話をさせろ!!」と語ったが、検察・法務は「桜井は係争中だから呼ぶのはダメ」と反対しているようだ。
おい、おい、おい!!だよね。
俺は再審裁判で無罪になり、確定したんだよ!
検察は、その無罪判決に従ったんじゃないの?
俺の再審は終わり、無罪として確定した、だよね?
無罪判決に従ったはずの検察は、見苦しく「それでも布川は有罪だ」などと語るが、俺が国賠裁判をするのは「なぜ犯人に作られたのかを知りたい」、それだけの意味だ。
捜査を尽くさなかった警察のミス、無実の証拠を隠して起訴し、裁判をした検察のミス、その真実を知りたいだけのことだ。
冤罪を作らない司法改革として、今度の刑事訴訟法改革と言うならば、自分の冤罪の真相を知りたいと願い、裁判をしている俺ほど、法務委員会で話す適任者はいないよね。
死刑・無期事件では、戦後7件目の再審無罪判決が確定した事件として、その体験からの思いを語り、今度の司法改革がまやかしであり、腐れ検察と犯罪者集団警察に凶器を与える危険な物だと、俺は警察官僚や法務官僚を言い負かす真実を持っている。
だから、俺を呼ぶのは、絶対に避けたいんだろうな、ヘタレ官僚たちは。
多分、検察・法務は、俺の国賠裁判で「再審無罪判決は間違い」と言える判決を出させたいと思っているのだろうが、そこが腐れ検察の腐れたる所以だ。
いかに強大な力を持つ警察や検察でも、社会が、 その不正を知ったらば、絶対に存在し得ない。俺が勝つか、腐れたちが勝つか、やってやろうじゃないか!!

袴田事件再審開始決定1周年集会

2015-03-27 | Weblog
今夜は日弁連会館で袴田さんの集会だった。
水戸と同じに、袴田さんは参加しなかったが、この1年の映像が流され、確実に目覚めて来ているのを確認して嬉しかったねぇ。
俺の国賠裁判を支援して下さっている豊崎先生が、袴田事件の抗告に関して、再審に於ける検察の抗告権に付いての講演をした。
再審に於ける検察の抗告は、現行法であっても制限されるべきという話に、納得。袴田事件は、「合理的な疑い」で再審開始決定が出されたのではない。「確定的な偽造、捏造」が明らかにされたのだ。これに逆らう検察は犯罪として裁かれるべきだ、と改めて思う豊崎先生の講演だった。

日比谷公園

2015-03-27 | Weblog
今日は日弁連で袴田事件再審開始決定1周年の集会。その前に取材があるので、少し早く来たらば、日比谷公園で「地元めしフェスタ」が開かれていた。
群馬の牛串を食べ、大阪の串あげを食べたのに、各地から来てる地酒は飲めなかった、残念!

待つこと

2015-03-27 | Weblog
苦しい思いを重ねている人は、苦しみの晴れる日を思い描いて春という言葉に願いを託すことがある。俺も刑務所にいるときは、そうだった。毎年、季節を重ねる度に、我が春よ来い!と願ったものだ。
冤罪という大きな重荷を外して願いを達成した今、国賠裁判は闘っているが、人生の総てを込めて闘った再審ほどの切迫感はない。どこか甘さがあるし、呑気さもある。
今年も春が来て桜の開花も伝わり始めたが、我が家の庭にも沈丁花を初め、春を告げる花が咲き始めた。
今朝は庭に出て、陽射しを含めた春を実感したが、何かが足りないような思いになった。
再審を闘った月日の苦しさや辛さは大きかったが、大きければ大きいほど、春に味わう喜びは大きかった。季節の春を味わうたびに、何時か人生の春を!自由な春を!と願い、心ときめく思いを感じたものだが、それが無くなってしまった。これが平安であり、満ち足りた思いなのだろうが、今朝は春が来た安らぎを味わいながら、そんな贅沢なことを感じたなぁ。