桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

待つこと

2015-03-27 | Weblog
苦しい思いを重ねている人は、苦しみの晴れる日を思い描いて春という言葉に願いを託すことがある。俺も刑務所にいるときは、そうだった。毎年、季節を重ねる度に、我が春よ来い!と願ったものだ。
冤罪という大きな重荷を外して願いを達成した今、国賠裁判は闘っているが、人生の総てを込めて闘った再審ほどの切迫感はない。どこか甘さがあるし、呑気さもある。
今年も春が来て桜の開花も伝わり始めたが、我が家の庭にも沈丁花を初め、春を告げる花が咲き始めた。
今朝は庭に出て、陽射しを含めた春を実感したが、何かが足りないような思いになった。
再審を闘った月日の苦しさや辛さは大きかったが、大きければ大きいほど、春に味わう喜びは大きかった。季節の春を味わうたびに、何時か人生の春を!自由な春を!と願い、心ときめく思いを感じたものだが、それが無くなってしまった。これが平安であり、満ち足りた思いなのだろうが、今朝は春が来た安らぎを味わいながら、そんな贅沢なことを感じたなぁ。

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