2週連続して500バンクでの記念競輪。今日は千葉記念の決勝(動画)でした。並びは鈴木-岡部の福島,牛山-神山-後閑の関東,岩本-海老根の千葉,永井-村上の中部近畿。
村上が出ていきましたが外から上昇した鈴木を入れて福島が前受け。中部近畿,千葉,関東という周回。牛山が動く気配をみせなかったので残り2周のホーム過ぎに先に岩本から上昇。バックで鈴木を叩くと,千葉ラインに続いた牛山が打鐘から発進して先行。千葉,福島,中部近畿で一列棒状に。バック前から岩本が捲って出るとバックでは捲りきって先頭。やや離れた海老根が神山の牽制をかいくぐると3コーナーからさらに発進。鈴木がこれに乗る形となり,直線で差し切って優勝。マークの岡部も続いて福島のワンツー。3着には神山。
優勝した福島の鈴木謙太郎選手は6月の別府記念以来となる記念競輪2勝目。メンバーは今回の方がはるかに強力で,ここでの優勝はさらに自信になるでしょうし,また,初優勝がフロックではなかったということの確かな証明。結果的にいうと前受けできたのが展開的に有利になった大きな要因となりました。そういう意味でいうと村上は鈴木を入れさせなかった方がよかったかもしれません。
通夜,葬儀と合わせておよそ300人ほどの方に参列していただき,滞りなく終えることができました。もしもひとつ,失敗だったといえることがあったとすれば,それは骨壷のことです。通夜と葬儀の施主は母でした。こういう場合,一般的には,火葬場に向うときには施主が位牌を持ち,火葬場からの帰りには遺骨を持つということになります。ところが,選んだ骨壷があまりに重すぎまして,母には持つことができません。ということで,母には遺影の方を持ってもらい,僕が遺骨を持つことになりました。それから僕は思うのですが,骨壷というのは重さとは関係なしに,もう少し大きくてもいいのではないでしょうか。遺体を荼毘に付した後は,火葬場の係の人が遺骨を骨壷に入れていきますが,その際に,そのままでは入りきらないので骨壷に入れた遺骨というのを潰します。父の場合もそうでしたし,僕もこの年齢ですから,こうした場面に立ち会ったのは今回が初めてではありませんが,以前にも何度かそうした作業を目撃していました。あるいはそうした経験があるという方もあるのではないでしょうか。あれは遺族としてはあまり気分のいいものではないと思います。
遡りますが父の最期を看取ったのが8月4日の水曜日。この日は王位戦の第三局が指された日。さすがに盤に並べて詳しく検討するような気力はありませんでした。この日のエントリーは今になって読むとどことなくさらっとした感じがしますが,実はこうした影響があったわけです。通夜は6日の金曜日で,この日もブログを投稿していますが,これは事前から用意されていたもの。そして7日の土曜日に葬式を行ったわけです。
翌8日が日曜日でした。父の趣味のうち,最後までやっていたのが競馬だったということもあり,僕はこの日は馬券を買いに行きたいと思っていました。常識からすれば不謹慎なことだと思う方もいらっしゃるでしょうが,僕はむしろその方が父に対する追悼になるような気がしたのです。僕は現在は競馬新聞は買わず,JRA発表の出馬表を馬券の検討材料にしています。そこで7日の晩もそれを見ていたのですが,その日のメーンレースである関屋記念に,気になる名前の馬が1頭出ていました。しかしなぜその馬が気になったのかを説明するためには,時計の針をもっとずっと前に戻さなければなりません。
村上が出ていきましたが外から上昇した鈴木を入れて福島が前受け。中部近畿,千葉,関東という周回。牛山が動く気配をみせなかったので残り2周のホーム過ぎに先に岩本から上昇。バックで鈴木を叩くと,千葉ラインに続いた牛山が打鐘から発進して先行。千葉,福島,中部近畿で一列棒状に。バック前から岩本が捲って出るとバックでは捲りきって先頭。やや離れた海老根が神山の牽制をかいくぐると3コーナーからさらに発進。鈴木がこれに乗る形となり,直線で差し切って優勝。マークの岡部も続いて福島のワンツー。3着には神山。
優勝した福島の鈴木謙太郎選手は6月の別府記念以来となる記念競輪2勝目。メンバーは今回の方がはるかに強力で,ここでの優勝はさらに自信になるでしょうし,また,初優勝がフロックではなかったということの確かな証明。結果的にいうと前受けできたのが展開的に有利になった大きな要因となりました。そういう意味でいうと村上は鈴木を入れさせなかった方がよかったかもしれません。
通夜,葬儀と合わせておよそ300人ほどの方に参列していただき,滞りなく終えることができました。もしもひとつ,失敗だったといえることがあったとすれば,それは骨壷のことです。通夜と葬儀の施主は母でした。こういう場合,一般的には,火葬場に向うときには施主が位牌を持ち,火葬場からの帰りには遺骨を持つということになります。ところが,選んだ骨壷があまりに重すぎまして,母には持つことができません。ということで,母には遺影の方を持ってもらい,僕が遺骨を持つことになりました。それから僕は思うのですが,骨壷というのは重さとは関係なしに,もう少し大きくてもいいのではないでしょうか。遺体を荼毘に付した後は,火葬場の係の人が遺骨を骨壷に入れていきますが,その際に,そのままでは入りきらないので骨壷に入れた遺骨というのを潰します。父の場合もそうでしたし,僕もこの年齢ですから,こうした場面に立ち会ったのは今回が初めてではありませんが,以前にも何度かそうした作業を目撃していました。あるいはそうした経験があるという方もあるのではないでしょうか。あれは遺族としてはあまり気分のいいものではないと思います。
遡りますが父の最期を看取ったのが8月4日の水曜日。この日は王位戦の第三局が指された日。さすがに盤に並べて詳しく検討するような気力はありませんでした。この日のエントリーは今になって読むとどことなくさらっとした感じがしますが,実はこうした影響があったわけです。通夜は6日の金曜日で,この日もブログを投稿していますが,これは事前から用意されていたもの。そして7日の土曜日に葬式を行ったわけです。
翌8日が日曜日でした。父の趣味のうち,最後までやっていたのが競馬だったということもあり,僕はこの日は馬券を買いに行きたいと思っていました。常識からすれば不謹慎なことだと思う方もいらっしゃるでしょうが,僕はむしろその方が父に対する追悼になるような気がしたのです。僕は現在は競馬新聞は買わず,JRA発表の出馬表を馬券の検討材料にしています。そこで7日の晩もそれを見ていたのですが,その日のメーンレースである関屋記念に,気になる名前の馬が1頭出ていました。しかしなぜその馬が気になったのかを説明するためには,時計の針をもっとずっと前に戻さなければなりません。