夜の開催が通年で行われているため,年間で1度だけの昼の開催となる四日市記念の決勝。並びは新田-伏見の福島,松坂-鈴木の南関東,稲垣ー村上ー前田-渡辺の近畿で,松川は単騎。
前受けとなったのが松坂。3番手に稲垣で,松川が7番手,8番手に新田という周回だったよう。残り2周のホームで新田が上昇すると一気に前を叩き,これに続いたのが稲垣。バックから稲垣が発進,打鐘で新田を叩いて先行。5番手に新田,7番手に松坂となり,松川は最後尾。バックから新田が発進しましたが前に届く前に番手から村上に発進されて万事休す。そのまま抜け出した村上の優勝。大外を捲り追い込んだ松坂が2着に届き,村上マークの前田は3着。
優勝した京都の村上義弘選手は5月の豊橋記念以来となる記念競輪22勝目。稲垣が先行した番手を無風で回りましたので絶好の展開となりました。新田も松坂もあまり策を凝らす選手ではありませんし,一方で稲垣と先行争いを繰り広げれば相手を有利にしてしまうということで,共にやりにくいレースだったかもしれません。そういう意味ではメンバーも優勝した村上には有利であったようです。
そうして家で待機している間に,電話がありました。これは父に対してのもの。もう死んでから1年以上が経過しているのですから,いささか怪訝には思いました。
電話の相手は労働金庫でした。話の内容を要約しますと次のようなことになります。父は生前にこの労働金庫でカードローンを組んでいました。ただ,口座には残高がありましたので,おそらく月々なのでしょうが,そちらから自動的に返済されていたようです。なぜ口座に残高があるにもかかわらずローンを組まなければならなかったのかは僕には不可解に思えますが,この状況は昨年の暮れに完済した信用金庫にあった父の借金の状況と同一。ただし異なっていたのは,この労働金庫の残高は,カードローンに対して残額が下回っていたので,間もなくそのローンの返済が不能な状態に陥るということ。要するにこの電話はそのお知らせであったわけです。
先方は父が死んだということは知らずに電話を掛けてきたわけですので,僕の方からそのことを話しました。ただ,もちろん死んでしまったから借金がチャラになるというわけではなく,これは相続して返済しなければなりません。ということで,相続のための書類を送ってもらうということにして,この日の電話は終ったのです。
僕がこの労働金庫に父の借金があるということにもっと前に気付くことができなかったのには理由があります。前にもいいましたように,父はあちらこちらの金融機関で口座を持っていました。だから通帳やカードもそれだけの数が残っていたのです。ところがそのうちのいくつかは,現在は存在しない金融機関が含まれていました。そのために,それらに関しては相続の手続きを依頼するということ自体が不可能になっていて,仕方なしに放置しておいたのです。実際にこの労働金庫に関しても,残っていた通帳というのは現在の,つまりこのときに電話を掛けてきた労働金庫とは別のもの。経営が統合なり再編なりされて現在の形態になったのだろうと思いますが,借金自体も父が実際にローンを組んだ労働金庫から新しく引き継がれていたものだったのです。なので実際に相続を行ったときのことはまた後に記しますが,そのときには通帳自体を新しいものにした上で,手続きを完了させています。
前受けとなったのが松坂。3番手に稲垣で,松川が7番手,8番手に新田という周回だったよう。残り2周のホームで新田が上昇すると一気に前を叩き,これに続いたのが稲垣。バックから稲垣が発進,打鐘で新田を叩いて先行。5番手に新田,7番手に松坂となり,松川は最後尾。バックから新田が発進しましたが前に届く前に番手から村上に発進されて万事休す。そのまま抜け出した村上の優勝。大外を捲り追い込んだ松坂が2着に届き,村上マークの前田は3着。
優勝した京都の村上義弘選手は5月の豊橋記念以来となる記念競輪22勝目。稲垣が先行した番手を無風で回りましたので絶好の展開となりました。新田も松坂もあまり策を凝らす選手ではありませんし,一方で稲垣と先行争いを繰り広げれば相手を有利にしてしまうということで,共にやりにくいレースだったかもしれません。そういう意味ではメンバーも優勝した村上には有利であったようです。
そうして家で待機している間に,電話がありました。これは父に対してのもの。もう死んでから1年以上が経過しているのですから,いささか怪訝には思いました。
電話の相手は労働金庫でした。話の内容を要約しますと次のようなことになります。父は生前にこの労働金庫でカードローンを組んでいました。ただ,口座には残高がありましたので,おそらく月々なのでしょうが,そちらから自動的に返済されていたようです。なぜ口座に残高があるにもかかわらずローンを組まなければならなかったのかは僕には不可解に思えますが,この状況は昨年の暮れに完済した信用金庫にあった父の借金の状況と同一。ただし異なっていたのは,この労働金庫の残高は,カードローンに対して残額が下回っていたので,間もなくそのローンの返済が不能な状態に陥るということ。要するにこの電話はそのお知らせであったわけです。
先方は父が死んだということは知らずに電話を掛けてきたわけですので,僕の方からそのことを話しました。ただ,もちろん死んでしまったから借金がチャラになるというわけではなく,これは相続して返済しなければなりません。ということで,相続のための書類を送ってもらうということにして,この日の電話は終ったのです。
僕がこの労働金庫に父の借金があるということにもっと前に気付くことができなかったのには理由があります。前にもいいましたように,父はあちらこちらの金融機関で口座を持っていました。だから通帳やカードもそれだけの数が残っていたのです。ところがそのうちのいくつかは,現在は存在しない金融機関が含まれていました。そのために,それらに関しては相続の手続きを依頼するということ自体が不可能になっていて,仕方なしに放置しておいたのです。実際にこの労働金庫に関しても,残っていた通帳というのは現在の,つまりこのときに電話を掛けてきた労働金庫とは別のもの。経営が統合なり再編なりされて現在の形態になったのだろうと思いますが,借金自体も父が実際にローンを組んだ労働金庫から新しく引き継がれていたものだったのです。なので実際に相続を行ったときのことはまた後に記しますが,そのときには通帳自体を新しいものにした上で,手続きを完了させています。