第19期倉敷藤花戦三番勝負第二局は,一昨日,主催でもある倉敷市で指されました。
後手の里見香奈倉敷藤花のごきげん中飛車に清水市代女流六段は最も得意とする③AⅠで対抗。先手が2筋を交換したのに対して後手は浮飛車で対抗。先手の飛車先が重くなったところで後手が本格的な戦いに誘導。これが機敏であったようで,中盤の半ばではすでに後手がリードしていたものと思われます。
ここで後手は△6七銀と打っていきました。いかにも乱暴な感じですが,自玉が安全なので成立はしていたよう。▲同金△5七桂成▲同歩△4六飛までは一本道。▲1一角成もごく自然な指し手という印象。△3三歩と落ち着いて閉じ込めました。
先手は飛車成りを受ける必要があり,飛車に当てて▲4八香だったのですが,これはたぶん失着で,負けを早めてしまったように思います。△4七歩は当然で,▲2一馬としたのですが構わず△4八歩成とされ,あとはほぼ一方的に攻め倒して後手の勝ちとなっています。
里見倉敷藤花が連勝で防衛。またタイトル戦負け知らずの記録を伸ばしました。両者は女流名人位戦での再戦が決まっていますが,どうなるでしょうか。
詳しい情報が入っていなかったために,K伯母の死の状況についてはこの時点では不明でしたが,いずれにしても急死してしまったということは受け止めなければならない事実です。したがって,通夜や葬儀の日取りなどは早急に決定する必要があったのです。
これは以前に記した通りで,K伯母の夫は故人,そして子どもはありませんでした。また,夫の親族との交流というのはほとんど途絶えていましたから,K伯母自身の血族ですべてを決定する必要があります。喪主は結果的に最後にK伯母の世話をすることになったK伯母の弟,僕の父の長兄にあたるY伯父に決定。また,急死した前日に寺で母と会っていたことからも分かりますように,K伯母は熱心な信者でしたから,この寺の協力も得ることができました。現実的な話をすれば,葬儀などにはそれなりの費用も必要となりますが,K伯母にはそれなりの遺産があり,通帳と印鑑は入院中はK伯母の姉であるH伯母に預けてあったとのこと。そこから捻出すれば十分に賄うことができるだけのものがあったようです。
K伯母の遺体は病院から安置所に移送されたとのこと。この安置所は葬儀屋の施設でした。そこで死んで2日後となる10月3日に,納棺を行うことになりました。これが午後1時から。母が行くということでしたので,僕も時間を作って同行することにしました。場所がよく分からなかったので調べてみたのですが,相鉄線の二俣川駅から,母のことを考えても歩いていくことができそうな距離。この日は月曜で,妹の新たなる支援である迎えがある日ですから,時間の心配はほとんどする必要がありません。二俣川駅と安置所との間にはファミリーレストランがあるということも判明したので,少し早く,午前11時頃に家を出て,そこで昼食を摂ってから安置所へ向いました。到着したのは予定の時間であった午後1時の10分か15分前だったと思います。すでにY伯父の夫婦と,急死の前日にK伯母を病院と寺へ送迎したМ伯父夫婦の4人は僕たちを待っていました。この日はこれだけということでしたので,僕たちは着くなり安置所に通され,予定よりは少し早かったのですが,納棺の儀が開始されたのです。
後手の里見香奈倉敷藤花のごきげん中飛車に清水市代女流六段は最も得意とする③AⅠで対抗。先手が2筋を交換したのに対して後手は浮飛車で対抗。先手の飛車先が重くなったところで後手が本格的な戦いに誘導。これが機敏であったようで,中盤の半ばではすでに後手がリードしていたものと思われます。
ここで後手は△6七銀と打っていきました。いかにも乱暴な感じですが,自玉が安全なので成立はしていたよう。▲同金△5七桂成▲同歩△4六飛までは一本道。▲1一角成もごく自然な指し手という印象。△3三歩と落ち着いて閉じ込めました。
先手は飛車成りを受ける必要があり,飛車に当てて▲4八香だったのですが,これはたぶん失着で,負けを早めてしまったように思います。△4七歩は当然で,▲2一馬としたのですが構わず△4八歩成とされ,あとはほぼ一方的に攻め倒して後手の勝ちとなっています。
里見倉敷藤花が連勝で防衛。またタイトル戦負け知らずの記録を伸ばしました。両者は女流名人位戦での再戦が決まっていますが,どうなるでしょうか。
詳しい情報が入っていなかったために,K伯母の死の状況についてはこの時点では不明でしたが,いずれにしても急死してしまったということは受け止めなければならない事実です。したがって,通夜や葬儀の日取りなどは早急に決定する必要があったのです。
これは以前に記した通りで,K伯母の夫は故人,そして子どもはありませんでした。また,夫の親族との交流というのはほとんど途絶えていましたから,K伯母自身の血族ですべてを決定する必要があります。喪主は結果的に最後にK伯母の世話をすることになったK伯母の弟,僕の父の長兄にあたるY伯父に決定。また,急死した前日に寺で母と会っていたことからも分かりますように,K伯母は熱心な信者でしたから,この寺の協力も得ることができました。現実的な話をすれば,葬儀などにはそれなりの費用も必要となりますが,K伯母にはそれなりの遺産があり,通帳と印鑑は入院中はK伯母の姉であるH伯母に預けてあったとのこと。そこから捻出すれば十分に賄うことができるだけのものがあったようです。
K伯母の遺体は病院から安置所に移送されたとのこと。この安置所は葬儀屋の施設でした。そこで死んで2日後となる10月3日に,納棺を行うことになりました。これが午後1時から。母が行くということでしたので,僕も時間を作って同行することにしました。場所がよく分からなかったので調べてみたのですが,相鉄線の二俣川駅から,母のことを考えても歩いていくことができそうな距離。この日は月曜で,妹の新たなる支援である迎えがある日ですから,時間の心配はほとんどする必要がありません。二俣川駅と安置所との間にはファミリーレストランがあるということも判明したので,少し早く,午前11時頃に家を出て,そこで昼食を摂ってから安置所へ向いました。到着したのは予定の時間であった午後1時の10分か15分前だったと思います。すでにY伯父の夫婦と,急死の前日にK伯母を病院と寺へ送迎したМ伯父夫婦の4人は僕たちを待っていました。この日はこれだけということでしたので,僕たちは着くなり安置所に通され,予定よりは少し早かったのですが,納棺の儀が開始されたのです。
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