スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

取手記念&価値観

2008-10-02 21:18:33 | 競輪
 全体的に地元勢が大活躍したといえる取手記念の決勝(動画)は,一昨日,争われました。
 前受けは小嶋選手。4番手に小林選手が入り,5番手から牛山選手。早めに叩きに出るのかと思ったらそうでもなく,牛山選手が小嶋選手に並び掛けたのが残り2周のホーム。バックで前に出て,一旦スピードを緩めたところで小林選手も6番手に切り替え,小嶋選手は7番手。結果的に抑え先行のような形で牛山選手の逃げ。小嶋選手がバックから捲っていったのですが,構わずに武田選手に番手捲りを放たれて万事休す。前の地元勢の争いとなり,並びの順で,武田選手が優勝,戸辺選手が2着,十文字選手が3着と,きわめて固い決着になりました。
 優勝した地元の武田豊樹選手。今年は4月の一宮の北京オリンピック日本選手応援競輪でGⅢを勝ってはいますが,記念競輪は昨年6月の富山記念以来で,力からすればずいぶんと勝てなかったものだと思います。ここは展開がすべて。自力で優勝して,ようやく復調してきたということができるのではないかという気がします。

 明日は観音寺記念の2日目優秀のちょうさ賞です。並びは石橋ー渡辺の静岡に手島,金子ー山口ー岩本の中部,渡部ー室井ー豊田の四国中国。僕は中部から。

 人間の精神がある事物を表象すると,この表象像が原因となってある別の表象像が発生し,またその表象像が原因となって別の表象像が発生するという具合に,表象像が移行していくということはしばしば生じます。これは僕たちの経験からいっても疑い得ないでしょう。しかしある表象像から別の表象像への移行というのは,そうした表象をする人間の身体の秩序に応じますので,スピノザが第二部定理一八の備考に示しているように,各人によって差異が生じます。単純にいっても,あることばから連想するものはすべての人間において同一というわけではなく,むしろ相違があるでしょう。そこで,たとえば排尿という運動が自身の性的な嗜好に結びついている人間と,そうでない人間とでは,排尿ということから生じる表象像は異なったものになるであろうということは容易に推測できます。そして同様の相違は,排尿に関してある病気であると規定される人間と,そうでない人間との間でも,やはり当然のように生じるということになるでしょう。
 僕がまず断っておきたいのは,このとき,排尿から別の表象像へと移行する連結の間には,それがどんな連結であったとしても,質的な差異はないという点です。いい換えれば,表象像の正しい連結というのはあり得ませんし,また,各々の人間にとってはよい連結と悪い連結というのはあり得るとしても,普遍的に,万人にとってよい連結とか悪い連結というのはあり得ないということです。したがって,こうした連結の原因である排尿の表象を単独で考察した場合にも,それは万人にとってよい表象であるということはあり得ませんし,しかし同時に,万人にとって悪い表象であるということもあり得ないということになります。まずこの点を,スピノザの哲学から確認しておくことにします。
コメント
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