スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&持続と永遠

2009-01-29 19:52:47 | 将棋
 王将戦七番勝負第二局が28・29の両日にわたって指されました。
 羽生善治王将の先手で深浦康市王位の4手目△3三角戦法。後手の向飛車に先手の居飛車穴熊という,この戦法ではわりと出てくる戦型に。前期の棋聖戦五番勝負第二局はそれにあたります。もっとも,その将棋が持久戦になったのに対し,この将棋はもっと早くに戦いとなりました。
           
 第1図は先手が穴熊に篭ったところ。ここで後手は△2五桂。▲同飛△2四歩▲2八飛△2五歩▲3八桂と,実戦のようにこう進むところらしいですが,得した桂馬をそんなところに打たなければいけないようでは,後手としても桂損して攻める価値が十分にあるように個人的には感じます。
 第一局もそうだったのですが,この将棋もどこがまずかったのかが僕にはさっぱり分かりませんでした。ただこの後の展開は,結果からみる限り,後手がずっと優位に立っていたように感じます,もしかしたら穴熊に組むその組み方に先手としてはすでに問題があったのかもしれません。
 ということで深浦王位が後手番をブレークし返して1勝1敗に。第三局は2月10日と11日に指されます。

 僕たちがある事柄を真の観念または十全な観念として認識する場合,いい換えれば僕たちが何らかの事柄に関してある真理を確実なものとして認識する場合,この観念が含んでいる内容は,永遠から永遠にわたっての真理であるというように認識します。これはたとえば,平面上の三角形の内角の和が180度であるというような,事物の本性に属するような真理を認識する場合にもそうですし,また,水素と酸素が結合することによって水が形成されるというような,何らかの意味での因果関係の真理を認識する場合にもやはり同様です。これらの事柄は,たとえば昨日は真理であり,また今日も真理であるから,それが真理であるということが1日だけ持続したといわれるべきではなくて,そうした時間の経過とは無関係の真理であるといわれなければなりません。これは真理のひとつの,そして大きな特徴なのであって,したがって個々の真理を示す真の観念の特徴でもあります。
 そこでこのことを逆に考えれば,もしある観念がある一定の持続を含む限り,あるいはある一定の持続に関係する限り,こうした観念は真の観念ないしは十全な観念ではないということが出てきます。いい換えればそれは,誤った観念であり,混乱した観念であるということになるでしょう。そこで再び第二部定理四〇に注意を向ければ,持続に関係するような観念が,永遠であるような観念から生じることはないということが,このことのうちには含まれているというように理解できると思います。そこでもしも想像というものがある持続に関係するような観念であるのなら,それは僕たちが必然とか不可能と確知している事柄からは直接的に生じることはないということの証明になるわけです。これにより,第二部定理四〇と,第四部定理一との間にも整合性が保たれるでしょう。そこでこうしたことが成立しているのかどうかを,考えていくことにします。
コメント
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