スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&想像と知覚

2009-01-07 19:18:39 | 将棋
 棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第二局。再度の振駒でまた先手を得た久保利明八段は初手▲5六歩から再び中飛車。今度は木村一基八段が許したので,先手が5筋の位を取るという,第一局とは異なった形に進展しました。
 将棋は後手から仕掛けたのですが,何気なくも思えるような中盤の折衝で差がついてしまったようです。
           
 第1図から▲8六角△6三金▲7五角△8五歩▲7三歩成△同飛▲4八角△7四銀▲7七金△7二飛で第2図。
           
 何の変哲もないように思える10手なのですが,先手が一方的に得をしていたようです。実際これより後は,ほとんど先手がやりたい放題にに殴り倒すような感じで勝っています。第2図というのは見た目よりもずっと先手が指せる局面ということなのでしょう。
 これは二局を通していえることですが,捌きを狙う久保八段のよいところばかりが出て,受けや押さえ込みを得意とする木村八段が本来の力を発揮できなかったという印象。本人も不本意であったのではないかと想像します。
 敗者組から連勝した久保利明八段が佐藤康光棋王への挑戦権を獲得。第一局は2月8日です。

 ここでは宝くじに当たったことがない人間が,宝くじに当たるということを想像する場合と,この想像に対応するような身体運動とで説明をしましたが,たとえば宝くじの未購入者が宝くじを買うことを想像するというような場合にも,これはこの想像をする人間の精神のうちにある観念を,当たるという観念から買うという観念に換えることによってほぼ同じような仕方で説明ができると思います。僕はこれでもって人間の精神がなすような,あるいはなし得るといえるような,すべての想像についてこれを身体運動との関係で説明することができたとはいいませんが,少なくとも人間の精神のうちにある観念ないしは表象像がすでにあって,この表象像に連結するような形で何事かを想像するような場合については,すべてこれと同じ仕方で説明することができると思います。よってこうした仕方での想像に関しては,これでそのすべてを一般的な意味でも説明することができたといっていいのではないかと思います。
 ただし,この点に関しては僕はひとつ注意しておきたいことがあります。たとえば人間はある想像をしたとき,この想像というのは,後に実現するという場合があるわけです。僕たちはある出来事に関して,それを予期していたと感じることが実際にあるのではないかと思いますが,この予期というのは,予期した時点においてはここで僕がいっている想像の範疇に含まれます。それは,予期している時点ではその出来事をその人間が実際には経験していないということからも明らかであるといえるでしょう。そして実際にこうしたことが生じる場合には,今度はこの人間は想像していたことを知覚するということになるのですが,事前の想像と事後の知覚は同一であるということ,いい換えれば,このふたつの場合に人間の身体のうちに生じている運動は同一であるということを,僕は主張しているわけではないのです。いや,必ず同一ではないとはいいませんが,同一ではない場合も当然のことながらあり得るだろうと考えているのです。
コメント
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