スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&必然

2009-01-18 19:36:32 | 将棋
 羽生善治王将に深浦康市王位が挑戦する第58期王将戦七番勝負は,17日と18日に第一局が指されました。ここまでの対戦成績は羽生王将が24勝,深浦王位が23勝。
 振駒で先手は深浦王位。普通の角換り相腰掛銀に。下敷きとなっているのは一昨年の9月に指された渡辺明竜王と谷川浩司九段の将棋で,これについては後手をもっていた渡辺竜王が詳しく解説していますので参考にしてください。
           
 第1図の△3三同金が封じ手。先例は▲2五桂だったのですが,ここで深浦王位は▲7二角と変化。△8二飛▲6一角成で馬はできますが,手番を渡すので損得は微妙という気がします。実戦も以下,△8六歩▲9八銀△7七歩▲同玉△8五桂▲6八玉△7七歩と,手番を得た後手が襲い掛かって第2図に。
           
 ここから▲7九金に△2四歩と受けに回りました。羽生王将としてはこの展開はあまり自信が持てなかったようですが,実戦はこれ以降の先手の攻めが細すぎて,先手が勝つのは大変なのではないかという気がします。第2図では,リスクも伴いますが▲7七同桂から駒の入手を図る順もあったのではないでしょうか。それで本当に先手が指せるかは僕には分かりませんが,ひとつの岐路となった局面ではあったと思います。
 実戦はまだ70手近く続きましたが,最後は攻めきって後手の勝ち。第二局は28日と29日です。

 スピノザは,不可能ということには可能ということが対立する,すなわち対義語としてあるのではなくて,必然ということが対峙し合うと考えています。そこでまず,不可能であるとされる事柄と事物の表象,とくに想像とがどのように関係するのかということを考えてみる前に,その対義語である必然ということが,人間の精神による事物の表象とどのような関係をもっているのかということを考えておくことは,けっして無駄なことではないと思います。
 まず最初に,ここでは必然ということ,あるいは必然的であるということが人間の知性のうちにあるという場合,それは真なるものとしてあるということを前提とします。僕たちはある事柄の真の観念ないしは十全な観念を有していなくても,その事柄について必然的であるとか確実であるとかいうことはできますが,スピノザが口がすっぱくなるほど何度も繰り返していっているように,ことばと観念とは同じものではありません。また,僕たちは,ある事柄の真の観念を有していなくとも,それについて確実だとか必然だとか思い込むこともありますが,これは端的にその事物について誤謬を犯しているにすぎません。いい換えれば,その事物の混乱した観念を有していて,かつその混乱した観念を真理であると思い込んでいる,あるいは逆にいえばそれが虚偽であるということに気付いていないというだけのことです。
 第二部定理七からして,ある事柄が観念として必然であれば,それは形相的にも必然でなければなりません。僕がここでつけている条件は,これに該当しないようなものは必然とは認めないということです。このことは逆に,形相的に必然であるものは客観的に,すなわち観念としても必然であるという意味も当然ながら含んでいます。
コメント
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