スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山記念&反論

2009-01-11 19:54:20 | 競輪
 西日本では新年の第一弾となる記念競輪,和歌山記念の決勝(動画)が争われました。
 並びは萩原ー斎藤の宮城に吉岡,武田ー稲村の関東,稲垣に紫原ー加倉で西日本,吉永が単騎。前を取ったのは武田選手で,3番手に萩原選手,吉永選手を挟んで7番手に稲垣選手という周回。稲垣選手が動くと,一旦は下げた萩原選手が巻き返していって打鐘で叩きました。しかしここで車体故障があったようで斎藤選手は追わず,稲垣選手が番手に嵌る形に。残り1周のホームから稲垣選手が一気にスパートして先行。後続は届かず,番手の紫原選手も伸びを欠く中,3番手から加倉選手が突き抜けて優勝。稲垣選手が2着に逃げ粘り,8番手から捲り追い込んだ武田選手が3着に入りました。
 優勝した福岡の加倉正義選手は一昨年10月の防府記念以来となる記念競輪制覇。年末に大きなレースがあり,超一流どころはそこへ向けて調整しますので,この時期は選手の好不調の見極めが難しいところがあるのですが,加倉選手はむしろここから競輪祭へというのが当面の目標となる分,少し有利だったかもしれません。気楽に3番手を回ったのもかえってよかったのかもしれませんが,直線は素晴らしい伸び脚でした。

 そう考えているというわけではありませんが,もしもこれで僕が人間の精神による事物の表象というものがいかにして生じ得るのかということを十分に説明し終えたと主張するならば,これに対しては二種類の反論が可能なのだろうと僕は思っています。ただしこの二種類の反論というのは,文字通りにふたつの反論としてあるというよりは,同じような主旨の反論を,それぞれ異なったふたつの観点からなすものであるといえるかもしれません。
 最初の反論として考えられるものは次のようなものです。たとえば僕たちが宝くじを買うにあたって,あるいは買った後にでもいいですが,その宝くじに当たるということを想像する場合,想像されたこの内容というのは,どの程度の可能性であるかどうかは別にしても,現実化する可能性は必ずあるわけです。そこでこうしたことに関係するような想像については僕の説明でいいでしょう。しかし人間が物事を想像するという場合には,必ずこのようにそれが現実化する可能性を帯びているというものではなく,むしろそれが現実化するということはない場合もあるのです。あるい反論をより強固なものとするためにいい換えれば,人間というのは,ある事柄について,それが絶対に実現不可能であるということを知りつつその事柄を想像するということがあります。つまり偶然という観点からいうなら,それはむしろ生じないことの方が必然であると知っていながらある事柄を想像するということがあるのです。そこでこうした場合の表象に関していうならば,僕の説明ではなお不十分なところがあるといえるのではないでしょうか。というのも,こうした観念については,それがほかの観念といかなる連結を取り得るのか,いまひとつ定かでないところもあるように思われるからです。

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