スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&集中力

2023-01-04 19:17:23 | 将棋
 昨年の12月23日に指された第12期女流王座戦五番勝負第五局。
 振駒で里見香奈女流王座の先手となり角道オープン中飛車。後手の加藤桃子女流三段から角を交換して,先手の美濃囲いに後手も左美濃という戦型に。先手から仕掛けていく将棋になりましたが,後手が駒得の分かれになり,そのあたりは後手が相当よくなったのではないかと思います。ただ決定打を放つことができず激戦に。
                                        
 長い戦いの末に第1図は逆転して先手がよくなっているようです。ここで☗1八王と逃げれば先手が勝てたようですが,☗1七王と逃げました。これは敗着になりかねない一手でした。
 後手は☖3四金と取って☗同金に☖3三飛。これが金の入手を狙った一着。☗同金☖同桂の瞬間は先手玉が☖2八角以下の詰めろになっているので☗3九金と打って受けました。
                                        
 ここで桂馬が跳ねたのを生かして☖2五桂と二段跳ねで王手をしたのですがこれが敗着。☗1八王と逃げた形は先手玉に寄りがありませんでした。第2図では☖1五歩が最善で,それなら後手が有望であったようです。
 里見女流王座が勝って3勝2敗で防衛第3期,6期,7期,8期,11期に続く連覇で6期目の女流王座獲得です。

 自由の人homo liberと奴隷,また賢者と無知者の関係を表象像imagoにおいて考える場合は,注意しておかなければならない点があります。人間の精神mens humanaが外部の物体corpusを,これは外部の物体に限らず,自分の身体corpusや自分の精神の場合も同様で,一般に何事かを表象するimaginariときには,その精神の受動passioを意味します。ただこの受動には,第四部定理四系が適用されます。いい換えれば,人間の精神は常に何事かを表象しているのであり,この限りにおいては現実的に存在するすべての人間は,奴隷でありまた無知者であるといわなければなりません。ただしこのことは,人間の精神の欠点というより長所であるとみることができます。どういうことであるか,詳しく解説していきます。
 受動と能動actioは対義語であって,人間の精神は,というかどのようなものであれ,それは能動的であるかそれとも受動的であるかのどちらかです。いい換えれば,働いているか働きを受けているかのどちらかです。ただ,人間のように,きわめて多くの個物res singularisによって構成されているひとつの複雑な個物の場合は,その全体を細かく分けることができますので,部分的には働いていて,部分的には働きを受けているということが生じ得ます。これは一般論であって,このことが,人間の精神にも適用されるのです。つまり人間の精神は,働いているときにも働きを受けるpatiということがあるのです。あるいはそういうことができるといってもいいかもしれません。
 精神の能動actio Mentisというのは,一般的には現実的に存在するある人間が,理性ratioに従って事物を概念するconcipereことをいいます。これは第二種の認識cognitio secundi generisで,第三種の認識cognitio tertii generisも精神の能動を意味しますが,ここではそれは置いてきましょう。第二種の認識も第三種の認識も同じ精神の能動であって,それが働いているときにも同じ精神が働きを受けることがある,あるいは現に働きを受けているという点では変わりはありません。
 現実的に存在する人間の精神が働いているときにも働きを受けているということには,程度には差があります。一般的にはこれは集中力といわれるのであって,働きを受けることが少なくなればなるほど,より集中しているとか集中力が増しているといわれます。
コメント
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