スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

小川良成&全身麻酔

2023-08-01 19:17:23 | NOAH
 全日本プロレスやNOAHでは,ジュニアヘビー級というのはひとつのジャンルであって,ヘビー級というのは無差別級を意味するということが説明できました。これで小川良成について語るのに十分な条件が揃いました。
 小川は1985年にデビューしています。天龍源一郎の付き人であったため,1987年のピンチの後は天龍のチームに所属。天龍が全日本プロレスを離脱し,三沢光晴らがジャンボ・鶴田と戦うようになると,今度は鶴田のチームに入りました。身体は大きくなかったため,ジュニアヘビー級の選手としても活躍し,世界ジュニアヘビー級の王座にも就いていますが,この当時のジュニアヘビー級の中心選手は渕正信で,そのことで大きな注目を集めていたわけではありません。
 脚光を浴びたのは1998年に三沢によってパートナーに抜擢され,アンタッチャブルと名づけられたチームでヘビー級すなわち無差別級を中心に戦うようになってからです。1999年に三沢とのチームで世界タッグの王座を獲得。このとき小川は同時に世界ジュニアヘビー級の王者でもあり,きわめて変則的な二冠王者になりました。
                                        
 NOAHの旗揚げに参加。こちらでも三沢のパートナーとして無差別級で活躍。三沢とのタッグでGHCタッグ王座も獲得しましたし,2002年にはGHCヘビー級の王座も獲得しています。2005年にGHCタッグ王座を失うと,しばらくタイトルの獲得はありませんでした。2009年の三沢の殉死を経て,無差別級よりもジュニアヘビー級というジャンルの方を中心とした戦いにスイッチ。2020年にGHCジュニアヘビー級の王座を獲得。かつてヘビー級の王座だった選手がジュニアヘビー級の王座も獲得するという,きわめて珍しいケースになりました。GHCジュニアタッグは何度も獲得していますから,GHCの主要タイトルをすべて獲得した選手ということになります。
 小川は今も現役で戦っています。NOAHに入ってから1度だけ長期の欠場があったのですが,それを除くとずっと現役で戦い続けているということになります。身体が小さく,自分よりもずっと大きな選手と戦うことの方がずっと多かった選手ですから,これは驚異的なことに思えます。

 1月20日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。これが今年の最初の迎えです。昨年の暮れに迎えに行ったとき,О眼科で診察を受ける予定だったのですが,妹が保険証とおくすり手帳を持参していなかったために,行くことができませんでした。この日は持参していましたので,診察を受けることができました。この日は散瞳をしての検査もしました。1年に1度は散瞳しての検査を行うとのことでした。ただ,この検査は医師の指示に従って瞳を動かす必要がありますが,妹はそれがうまくできませんから,どの程度まで検査の効果があるのかは不明です。白内障に関しては,右目は変化はないものの,左目はやや進行がみられるとのことでした。いずれは手術をすることになりますが,妹の場合は全身麻酔が必要になるかもしれません。麻酔をすることに影響がないかということについて,本牧脳神経外科の医師に確認をとっておいた方がよいと言われました。この日のО眼科はどちらかといえば空いていましたが,それでも帰宅したのは午後6時35分になりました。
 1月21日,土曜日。ピアノの先生からの電話がありました。翌日のレッスンの開始時刻の通知です。
 1月22日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時の開始でした。
 1月23日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 1月27日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 1月28日,土曜日。解体工事が終了した隣家の新築工事が始まりました。このとき,下水管が詰まっているのではないかとの指摘を受けました。結論からいうとこれは実際に詰まっていたのですが,この時点では僕の家の排水には何の問題も生じていませんでした。なのでその点については分からないし,現時点では僕が何らかの処置をするつもりはないと答えておきました。後に僕の家の排水に問題が生じることになったので,枡の清掃と下水管の洗浄をしたのですが,そのことについては時系列で説明することにします。この下水管は,僕の家の敷地内を,隣家との隙間沿いに配置してあり,3つの枡があるのですが,下水管自体と枡のうちのひとつは,隣家と共用していたものです。
コメント
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